第227回:尾崎世界観さん

作家の読書道 第227回:尾崎世界観さん

2001年にロックバンドのクリープハイプを結成、12年にメジャーデビュー。ヴォーカル、ギター、作詞作曲で活躍する一方、16年に小説『祐介』を発表した尾崎世界観さん。最新作『母影』が芥川賞にノミネートされるなど注目を浴びる尾崎さんは、どんな本を求めてきたのか。歌うこと、書くことについて切実な思いが伝わってくるお話です。リモートでインタビューを行いました。

その4「見本で読書生活」 (4/8)

  • へらへらぼっちゃん (講談社文庫)
  • 『へらへらぼっちゃん (講談社文庫)』
    町田康
    講談社
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――高校を卒業したらどうしようと思っていたのでしょうか。

尾崎:高校3年の時にライブハウスで本格的に活動をはじめて、大人のバンドに混じって出ていたんです。今思うとライブハウスに騙されていました。「お前たちは上手いから、もう大人のほうに出ろ」と言われて「すごい評価されてる」と思ったんですけど、大人に混じると一気にノルマが上がるんです。ライブハウスの人はそのために言ったんでしょうね(笑)。そのあたりからライブのリハーサルのために高校を早退したりして、気づいたらもうみんな就職を決めていました。夏休みに慌てて学校の担当の先生に会いにいったら「遅いよ。もうこれくらいしかないよ」と言われて、見せてくれたファイルの中に加藤製本があったんです。本だったら好きだし「ここがいいです」と言って面接を受けて合格して、卒業までまたバンド活動をしていました。でもメンバーには就職したとは言わず、親にはバンド続けていると言わず、加藤製本にもバンドをしてますと言わず、もう最悪でした。就職してからもその状態で夕方まで働いて、スタジオに行って練習をして。あの時は辛かった。

――どうして言わなかったのですか。

尾崎:バンドの他のメンバーは就職せずに活動していたので、親からのプレッシャーで就職したとは言えなくて。親には「バンド辞めろ」と言われて「辞める」と言ってしまって。もう本当にどうしたらいいか分からなかったですね。
 仕事はできなかったけれど、すごく好きでした。同期でも好きな人がいたし、何より本に関われることが嬉しかった。当時、駄目になった見本をもらえたんですよ。製本会社は、本を大量に作る前に、出版社に「こんな形の本になります」と見せるために何冊か見本を作るんです。手作業で膠を塗ったりして、職人のような作業をして。その時にインクがつくなどして駄目になった見本をもらっていて。そこからいろいろ読むようになりました。
 そこで町田康さんの本をもらったんです。最初は『くっすん大黒』で、こんなに面白いものがあるんだ、って。自分もみんなを裏切ってどうしようもない状況だったから、駄目な主人公が自分と一緒に思えて、こういう人がいるならまだ自分も生きていけると、すごく救われました。それから『へらへらぼっちゃん』とか『屈辱ポンチ』を読みましたね。
 吉田修一さんを知ったのも加藤製本でした。デビュー作の『最後の息子』が最初で、そこから『熱帯魚』や『パーク・ライフ』など、初期の頃の作品を夢中になって読みました。
 すごく印象に残っているのは小川勝己さんの『ぼくらはみんな閉じている』。短篇集なんですけど、全部気持ち悪い話だったので憶えている(笑)。写真集ももらったりしましたね。そういえば、木村拓哉さんの写真集が出た時と「ハリー・ポッター」が出た時は、すごい残業になりました。
 当時、ライブのたびに当日欠勤をしていたんです。朝、事務のおばさんに電話をするんですけど、2人いて、1人が優しくて1人はめちゃくちゃ怖い。電話をするたびに「優しいほうであってくれ」と思うんですけどたいてい怖いほうで、「尾崎です」って言った瞬間に「分かってるけど何?」「体調が......」「(嫌そうに)はい!」がちゃん、って。そういうことが続いて、1年足らずで辞めてしまったんです。そこからバイトをしながらバンドをやっていました。本当に加藤製本には迷惑をかけました。
 でも今、加藤製本で自分の本を作ってもらっているんです。当時の上司の飯塚さんが今は営業の部署にいて、こないだも本ができる時に会いに行きました。

――自分で加藤製本さんをリクエストしたということですか。

尾崎:そうです。最初に『祐介』を出した時に、版元の文藝春秋と取引きがあるようだったので、「なるべく加藤製本にしてほしいです」とお願いしました。逆に今は、加藤製本と取引のない出版社と仕事をする時、「加藤製本さんじゃないと無理ですか?」と言われるようになりました(笑)。
 1度、バンドをしながらバイトをやるのがきつかった時期、あのまま加藤製本で働いていたら幸せだったなと思い、恋しくなって神楽坂の印刷会社を受けに行ったんですよ。「週5日来てくれないと駄目だ」と言われて無理だったんですけど、その帰りにせっかくだからと加藤製本の近くまでいったら向こうから同期が歩いてきて、今の自分を見られるのが恥ずかしくなって陰に隠れました。あれは情けなかったですね。

――尾崎さんがはじめて本を出した時、加藤製本さんのみなさん喜んでくださったのではないですか。

尾崎:本が10万部売れると出版社が特装本を作ってくれるんですけど、『祐介』を出した時、10万部も売れていないのに飯塚さんが特装本を作ってプレゼントしてくれたんですよ。箱に入って、箔が押してあって。いまだに大事にとってあります。本当にありがたいです。

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