
作家の読書道 第236回:砥上裕將さん
水墨画を題材にした『線は、僕を描く』でメフィスト賞を受賞しデビュー、同作が本屋大賞にもノミネートされた砥上裕將さん。水墨画家でもある砥上さんに影響を与えた本とは? 画家ならではの選書や着眼点も興味深いです。小説を書き始めたきっかけや新作『7.5グラムの奇跡』についてもおうかがいしました。
その1「明るい小説が好き」 (1/5)
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――いちばん古い読書の記憶を教えてください。
砥上:2、3歳の頃、絵本を読み聞かせてもらったのを憶えています。家に「ノンタン」のシリーズが何冊かありましたし、いわさきちひろさんも絵本があったり家に絵が飾ってあったりして、あの水彩画のタッチをよく憶えていますね。いもとようこさんの『ぽちのえにっき』という絵本もお気に入りで、よくせがんで読んでもらっていたようです。
あとはものの名前がたくさん載った、図鑑のような本。自動車の名前がたくさん載っている本が好きでした。
僕は話し始めるのがすごく早くて、生まれて半年くらいで単語を言うようになったそうです。たぶん、耳がよかったんでしょうね。字を読み始めるのはすごく遅かったんです。小学校に入ってもあまり読めていなかったと思います。
――では、小学校に入ってからはどんな本を。
砥上:相変わらず図鑑が好きで、昆虫図鑑や星座の図鑑を眺めていました。北斗七星の話など、星座にまつわる神話が好きでした。読むのが遅かったので、低学年の頃に「ズッコケ三人組」を読み終えた時は誇らしい気持ちになりました。『ズッコケ山賊修行中』と『謎のズッコケ海賊島』などは自分でも持っていました。でも特に読書が好きな子ではなく、活発に外で遊ぶような子でした。
――外でどんな遊びをしていたんですか。
砥上:団地や集合住宅の多い地域に住んでいたので、建物の壁を登ったり塀を登ったり。マンションとマンションの壁と壁の間を飛んだりしていました。市営の団地に住んでいる友達は、鍵を忘れたといって5階の自分の家まで壁をつたって上がったりしていました。
――え、パルクールみたいじゃないですか。
砥上:パルクールという言葉は後で知りました(笑)。そういうことができる友達が何人もいたんですよ。
――ごきょうだいはいましたか。
砥上:妹がいます。僕とは逆で、妹は読み書きできるようになるのが早くて、喋るのが遅かったですね。大量に漫画を持っていてすごく大事にしていて、僕がこっそり借りて読んでいると怒られました。持っていたのは『シャーマンキング』とか、「シャンプ」系の漫画が多かったように思います。
漫画は、手塚治虫先生も好きでした。小学生の頃、親戚同士が集まる時に子どもはやることがないので、近くの本屋で漫画を2、3冊買ってもらってじーっと読んでいたんです。その時に『ブラック・ジャック』を買ってもらっていました。『ブッタ』も学校にありましたし、『どろろ』は友達から借りました。「ジャンプ」系漫画の全盛期だったのに、自分のまわりでは手塚治虫先生が流行っていたんです。
うちの両親は本を読まないタイプなんですが、家に1冊だけ小説があったんです。それが夏目漱石の『こころ』でした。どちらかが学生時代に授業か講義で使ったんだと思うんですが、表紙もボロボロになっていました。それで夏目漱石という作家がいると知っていて、高学年の時に教科書で『坊っちゃん』を知って、全部読んだんです。やんちゃな感じや無鉄砲なところが自分に重なるように思えて、すごく好きでした。明るく楽しい小説があるということにものすごくインパクトを感じました。小説っていいなと思った最初の体験だったと思います。
――学校の国語の授業は好きでしたか。
砥上:好きでした。僕は算数などは駄目で、国語と習字と、図画工作が得意だったんです。親が、字はきれいに書けなければいけないという考えだったようで、習字は4歳から習いに通っていました。でも、妹はばんばん上手くなるのに、僕はそこまで上達しなくて。人の言うことを聞かずに好き勝手にやりたがるので、一通り書けるようにはなるんですが、極端に上手くはならなかったんです。でも習字は好きでした。
――砥上さんは作家であり水墨画家でもあるので、その頃から筆を使っていたんだなあ、と。絵を描くのも当時から好きでしたか。
砥上:たいして上手くないけれど好きでした。授業で絵を描く時はこだわって、何度も画用紙をもらいにいって何枚も描いていました。
エネルギーをぶつける対象があると向かっていくタイプだったんです。絵も、きちんと構図を考えてじっくり描くのではなく、どんどん描くタイプでした。今思い出したんですが、一回、割りばしに墨をつけてペンのように使って、すごく緻密なゴミの山みたいなものを描いたことがあります。それは何かの賞をとりました。
――その頃、将来は何になりたかったんでしょう。
砥上:鍼灸師や指圧師になりたかった。親に肩揉みをやらされていたんですが、続けさせるために「上手い」って褒めるんですよ。俺は指圧が上手いんだ、これで食べていけるんじゃないかと思いました(笑)。今思えば、いいように使われていたわけですね。親が鍼治療にも行っていたので、それもなにか神秘的に感じて憧れていました。どこか東洋文化に惹かれていたところがあります。
――映画などは好きでしたか。
砥上:母親が映画好きで、よくビデオを借りてきていたんです。それで「フォレスト・ガンプ」を見て、ぼろぼろ泣いた記憶があります。主人公の設定とか、自然描写とか、戦争の悲惨さとか、ダン中尉との友情とか...すごくよかったんです。それでもっと知りたいと思って、ウィンストン・グルームの原作を買ってもらいました。その後、海外文学をわりと読むようになるんですけれど、その入り口になったような気がします。