第236回:砥上裕將さん

作家の読書道 第236回:砥上裕將さん

水墨画を題材にした『線は、僕を描く』でメフィスト賞を受賞しデビュー、同作が本屋大賞にもノミネートされた砥上裕將さん。水墨画家でもある砥上さんに影響を与えた本とは? 画家ならではの選書や着眼点も興味深いです。小説を書き始めたきっかけや新作『7.5グラムの奇跡』についてもおうかがいしました。

その5「デビューの経緯と新作」 (5/5)

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  • 『キャプテンサンダーボルト 上 (文春文庫)』
    和重, 阿部,幸太郎, 伊坂
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  • 『風の影 上 (集英社文庫)』
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――大学生の頃以来、再び小説を書くようになったきっかけは。

砥上:知人が「小説を書いてみようかな」と言い始めたんです。へえ、と思って聞いていたら、彼は僕が以前書いていたことを知っているので、「お前も暇だろ? お前も書け」と言うんです。それで書き始めたら面白かった。
 その友人が現代作家にハマっていて、いろいろ本を貸してくれたんです。そのなかで面白かったのが、阿部和重さんと伊坂幸太郎さんの『キャプテンサンダーボルト』。読んで、自分もこれくらいはちゃめちゃなものが書きたいなと思ったんです。それで書き始めたら、ちゃんと500枚くらい書けたんですよね。昔は短いものしか書けなかったのに、俺、変わったな、と思って。それで、エンターテインメントの賞に応募しました。

――それがメフィスト賞だったんですね。

砥上:そうです。その時書いたのは、喋る猫が闘う話だったんです。応募した後になってメフィスト賞がミステリ寄りの賞だと知り、絶対に無理だと思ってもう結果も気にもしていませんでした。展覧会の準備などもあって気にしている余裕もなかったし。
 そうしたら編集部から連絡があり、今回は駄目だったけれどもまた頑張ってみませんか、みたいなことを言われて。こういう機会もなかなかないだろうし、小説を書いている間楽しかったので、やってみる気になりました。
 でも2回目に書いたものも駄目でした。それでどうしようと思っていた時に、編集者から「水墨画でやりましょう」と言われたんです。水墨画に興味ある人なんてほとんどいないのになと思いながらも、ネタはいろいろありますし、それで書いたんです。

――そうして書き上げた『線は、僕を描く』でメフィスト賞を受賞されたわけですね。

砥上:あれが駄目だったら、たぶん小説の応募は止めていたと思います。自分のことだから何年も頑張れないので、もういいやと思っていたはずです。

――これは青年の成長物語としても読ませるし、水墨画や芸術の奥深さや捉え方について言語化されているのが興味深かったです。

砥上:僕はいつも、先生が言った言葉ひとつでも「あれはどういう意味だったんだろう」とすごく考えていたんです。ちょっとした一行を読んで、「どういうことなんだろう」と考えるし、自分の行動でも、「いらんこと言っちゃった、失敗しちゃった」と考えこんでしまうほう。そうして何回も同じことを考えるから、言葉に変わっていく部分があるのかなと思います。こう言われたら悲しいとか、こういう出来事があったらこう思うはず、といったことに対して、「本当にそうなの?」と疑っているところもある。それが自分と人との間に距離ができる理由なんでしょうけれど、いちいち言語化して考えようとするところは小説を書く際に役に立っているかもしれません。
 青年の成長物語という点では、『風の影』をはじめ、読んできたいろんなものが血肉になっていると感じます。そういえば、立花隆さんの『青春漂流』という、伝統芸能や芸術家をはじめいろんなお仕事の人と話した本があるんですが、あれはよく読むと物語仕立てになっていて。そうしたものが『線は、僕を描く』を書く時に役に立っていた気がします。

――デビューしてからの読書に、何か変化はありましたか。

砥上:読む時の視点が替わりました。人が思いつかないような比喩が書かれたものも好きですが、簡潔に書かれているものをすごいと感じるようになりました。こういうふうに簡潔にまとめて物語を進めていくと、読者が想像する余地が生まれるんだなって。
 自分は書きたいことを全部書いてしまうんです。気に入った場面は何ページも書こうとしてしまう。それを後から自分で削るんですけれど、編集者に渡すとさらに削ろうとされます。そういう経験があるので、簡潔に書かれているもののすごさが分かるようになりました。よく考えれば、自分がもともと好きで読んでいたのも短い話が多かったですし。

――生活のリズムは。

砥上:午前中にちょっとしたメモを作るなど小説に関することをすませ、お昼休憩をしてから、夕方からまた書く時もあれば、書かない時もあります。でも僕は集中力が続かないので、基本的に午前中が勝負です。

――読書の時間は。

砥上:資料読みは午前中にすませますが、楽しみとしての読書は午後、ドライブして海の近くの公園などに行って、そこの駐車場に停めて車の中で読んだりします。『7.5グラムの奇跡』も、車の中で書いていた時もありました。コロナ禍で喫茶店に行けなくなって、でもずっと家の中にいるのも鬱々としてくるので車で移動して散歩するようになったんです。その時に本も読みたくなって、習慣になりました。お気に入りの場所がいくつもあります。

――デビュー作『線は、僕を描く』が本屋大賞にもノミネートされ話題になりましたよね。そして刊行された第二作の『7.5グラムの奇跡』は、新人視能訓練士の青年が主人公。この職業を選んだのはどうしてですか。

砥上:『線は、僕を描く』の青山君は、ものを見ることに関して天才的な青年なんです。そうした天才的な能力を持たずに、前向きに一生懸命働いている人たちの話が書きたいと思いました。不器用な人たちが、自分はこれをやって生きていっていいんだって思える話が書きたかった。それで、一般的に社会に出て仕事をしている人ということで、この職業にしました。
 妹が視能訓練士なんですよ。それに、監修してくれた眼科医の東淳一郎先生は飲み仲間で、以前からいろいろ話を聞いていたんです。彼らはたんたんと検査しているけれど、その裏にはいろんな技術もあるし、いろんな思いがある。患者さんの視力が下がったり視野が欠けたりしたら落ち込むし、ちゃんと目薬をさしてほしいと真剣に思っていたりする。眼科医療に携わる人たちにも感情があるけれど、患者には感情を悟らせないようにしながら診察している。彼らの感情って永遠に語られることがないかもしれない、ならば物語になるんじゃないか、と考えました。

――視能訓練士という職業や、眼科のいろんな検査方法も知らないことが多くて面白かったです。

砥上:妹や東先生にいろいろ取材しながら進めていったんですが、あまりに初歩的な質問をするのは失礼なので、ある程度は自分で分かるように最初に勉強しました。検査器具や検査の基準がいっぱいあって、それがなかなかやっかいで。半年は勉強のために時間を使いました。読んだ方から「ちゃんと眼科に行こうと思った」「眼科の人たちを温かい目で見るようになった」といった感想を聞くと、本当に嬉しいです。

――今後はどんなことを題材にする予定ですか。

砥上:興味の対象範囲がマニアックなところにあるので、そうしたものを書くんでしょうね。水墨画の話もまだまだネタはありますし。ゆっくり進めていきます。

(了)