
作家の読書道 第236回:砥上裕將さん
水墨画を題材にした『線は、僕を描く』でメフィスト賞を受賞しデビュー、同作が本屋大賞にもノミネートされた砥上裕將さん。水墨画家でもある砥上さんに影響を与えた本とは? 画家ならではの選書や着眼点も興味深いです。小説を書き始めたきっかけや新作『7.5グラムの奇跡』についてもおうかがいしました。
その4「気になる小説内の自然描写」 (4/5)
――卒業後はどうされたのですか。
砥上:このままずっと先生のところにいるのではなく、一人でやってみたくなったんですよね。それで先生の名前は出さずに個展を開いていたら、若い水墨画家が珍しかったようで売れ始めたんです。
絵師って流派というのがないんですよね。自由に描いていいんです。「琳派」だって実際に師弟関係があったというより、ある世代からある世代までの間で同じ傾向をもった人たちのことを後世の人がそう呼んだだけだし、「狩野派」も血脈の話ですし。絵師自身は一人一人が勝手にやっていて、たとえばオーケストラの中のバイオリン奏者というより、ギターでブルースやっている流れ者みたいだなと感じていて。道具も墨と紙があればなんとなかなるし、それで、自分でも一人でやってみたくなったんです。
ちょびちょびアルバイトしながら、教室も開きました。いろんな生徒さんが入れ代わり立ち代わりしつつ、長年続けてくださる方もいて楽しくやっていました。毎日朝から晩まで絵を描いて好きなことをやっていればいい。すごく貧乏だったけれど、幸せでした。本当に成功したかったら東京に行っていろいろやらなきゃいけないんだろうけれど、それはどうしようかなと思ううちに何年も経って、それで自分でも満足していました。
――本は読んでいましたか。
砥上:暇なので、そこそこ読んでいました。図書館が近くにあったので、そこで相変わらず技芸書みたいなものも読んだし、小説も読んだし。その頃は伝記ものも多かったですね。マイルス・デイヴィスの自伝、チャップリンの自伝、ビル・エヴァンスの伝記...。
その頃、ブコウスキーにもハマりました。最初は、自伝的小説が映画化された「酔いどれ詩人になるまえに」を観て、底辺感にシンパシーを感じたというか。そこから追いかけるようになりました。長篇の『パルプ』が好きでしたね。構成も何も考えてない書き方がよくて。
日本の小説だと、森見登美彦先生です。学生時代に『夜は短し歩けよ乙女』を読んで笑えるしすごくいいなと思い、『四畳半神話大系』を読み......。最近の『四畳半タイムマシンブルース』に至るまで、新刊が出るたびに買っています。
以前、本の装丁を描くグループ展に参加していたんですが、僕は森見先生の『【新釈】走れメロス』に収録された、坂口安吾の作品をアレンジした「桜の森の満開の下」の光景を描きました。ちょうど、桜の新たな描き方を開発したんですよね。それまでの、しだれ桜を描く既存の技術に満足していなかったんで、ぱっと遠くから見ても桜と分かる描きたかったんです。
その次のグループ展では、米澤穂信先生の『さよなら妖精』に出てくる、雨に濡れた紫陽花を描きました。それも、近距離から見た雨を描くという、方法論としては高度なことをやった新技でした。米澤先生もすごく好きで、とにかく文章が上手な人だなあと思っています。『犬はどこだ』、『ボトルネック』、『王とサーカス』......今年刊行された『黒牢城』も読んで、もう天才だなと思っています。
――小説を読んでいて、草木などの自然描写があると気になりますか。
砥上:気になりますね。どんな植物だろう、どんなふうに咲いているんだろう、などと考えます。花が傾いているのか、うつむいているのか、上を向いているのか、こちらを見つめているのか、風に揺れているのか。そういうことが大事なんです。
――さきほど25歳くらいまで長いものが苦手な傾向が続いたとおっしゃっていましたが、だんだん読む本の傾向は替わっていったんですか。
砥上:25歳を越えたあたりから、短距離走じゃなくなってきたんです。長い小説を読むのが楽しくなってきました。自分は絵で食べていくんだと思ってからは、小説が素直に楽しめるようになりました。
その頃に読んだのがポール・オースター。最初に『シティ・オブ・グラス』を読んだんです。ニューヨーク三部作では『幽霊たち』はあまりハマらなかったけれど、『鍵のかかった部屋』はすごく好きで何回も読み返しています。『ムーン・パレス』も好きだし、『幻影の書』は何年か前に引っ越した時に失くしたけれど買い直して、それから何回も読み返してはすごいな、人間ってこんなものを書けるんだな、と思います。ポール・オースターって、人間の境界線上でのアイデンティティの問題を何回も何回も書いていますが、同じことに何度も立ち向かっていくところが格好いいように思いますね。
幻想的なものに惹かれるという点では、セルバンテスの『ドン・キホーテ』も好きでしたね。騎士道すらももはや幻想になっているのに、そこに全力で向かっていく人間が描かれている。その姿がいつも自分に響きます。
チャンドラーを読んだのもこの頃ですね。何冊も読んだなかでやっぱり一番好きなのは『ロング・グッドバイ』というか、『長いお別れ』ですね。書き方がとにかく格好いいし、視点の使い方がすごく参考になる。一人称で限界までいろんなものを見るにはどうしたらいいか考えさせられます。
――どちらの訳が好きですか。
砥上:清水俊二訳の『長いお別れ』も村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』も好きです。交互に読んで訳を見比べて、こんなに違うんだと思ったこともありました。ただ、読み返す時は、読みやすい村上訳を選びがちですね。
あとはヘミングウェイの『老人と海』。おじいさんと子どもというモチーフも好きだし、自然との関わり合い方にぐっときます。僕、海が好きなんですね。現実の海も好きだし、文学で表される海も好きで、よく手に取っている気がします。
そうそう、吉村昭先生の『漂流』。難破して無人島に流れ着く話なんですが、事実をもとにして書かれた小説で、これはすさまじかった。吉村先生の文章もすごく好きですね。自分とは違う、がつがつ鑿で叩いて精密に組み立てていくソリッドな文章にぐっときます。
それと、いきなり可愛らしいものになりますが、『星の王子さま』と『100万回生きたねこ』も好きです。『100万回生きたねこ』は大人になってから読んだんです。スシローの子どものコーナーに置いてあったんですよ(笑)。僕、猫が好きだし自分でも飼っているんですが、それで読んでみたら、めちゃくちゃ面白くて。毎回スシローに行くたびに僕が眺めているので、家族が買ってくれました(笑)。余談ですがうちのモンちゃんという猫が表紙に描かれている猫と似ているんです。
小説家として大事にしている小説も挙げておいたほうがいいと思うんですが、これはカルロス・ルイス・サフォンの『風の影』から始まるシリーズですね。『風の影』はすごく影響を受けました。自分も、こういうものが一生のうち一度でも書けたらいいなと思って。物語そのものも面白いんですが、青年の心の変化の描写が素晴らしいんです。情景と文章とストーリーがばっちり重なっているし、想像力を膨らませる余地があるし、全然知らない国の知らない時代の話なのに、すごく引き寄せられます。
――その後、漫画や映画など、小説以外で気に入ったものといえば。
砥上:いっぱいあります。黒澤明の「用心棒」、「椿三十郎」、「夢」、チャップリンの「ライムライト」とか。みんなが好きなものがやっぱり僕も好きで、「ショーシャンクの空に」、「エリザベスタウン」、「ノッティングヒルの恋人」、アクションなら「ボーン・アイデンティティー」とか。これは原作であるロバート・ラドラムの『暗殺者』も読みました。マット・デイモンも好きなんですよ。だから「グッド・ウィル・ハンティング」も好きです。それと、やっぱりトム・ハンクスが好きなので「キャスト・アウェイ」とか「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」とか。監督ならクリストファー・ノーラン。「ダークナイト」がすごく好きです。
テレビドラマだと「名探偵モンク」が好きです。主人公が異常なくらいの記憶力と推理力を持っているのに普通のことができないという。「メンタリスト」も人の心理を操るメンタリストが事件の捜査をする内容で、主人公の演技が好きです。
漫画は『よつばと!』が好きです。ありのまま見るということのすごさ、素晴らしさがよく分かるから。『月刊少女野崎くん』は無骨な男の子の日常の話で、これも悪い人が出てこないんですよね。読んでいるとすごく幸せな気持ちになります。
ゲームなら「メタルギアソリッド」とか「DEATH STRANDING」とか。小島秀夫監督が好きなんです。それと、「ゴースト・オブ・ツシマ」は外国の会社が日本美術を吸収しては衣装や景色に取り入れているんですよね。黒澤明監督をリスペクトして作っているのも良く分かります。