第236回:砥上裕將さん

作家の読書道 第236回:砥上裕將さん

水墨画を題材にした『線は、僕を描く』でメフィスト賞を受賞しデビュー、同作が本屋大賞にもノミネートされた砥上裕將さん。水墨画家でもある砥上さんに影響を与えた本とは? 画家ならではの選書や着眼点も興味深いです。小説を書き始めたきっかけや新作『7.5グラムの奇跡』についてもおうかがいしました。

その2「臨書集や漢詩」 (2/5)

  • 風の谷のナウシカ 1 (アニメージュコミックスワイド判)
  • 『風の谷のナウシカ 1 (アニメージュコミックスワイド判)』
    宮崎 駿
    徳間書店
    473円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • NHKカルチャーラジオ 漢詩をよむ 美 こころへの響: 暮らしの中で (NHKシリーズ NHKカルチャーラジオ)
  • 『NHKカルチャーラジオ 漢詩をよむ 美 こころへの響: 暮らしの中で (NHKシリーズ NHKカルチャーラジオ)』
    佐藤 正光
    NHK出版
    880円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

――中学生時代の読書生活は。

砥上:漫画版の『風の谷のナウシカ』なんかを読んでいました。小学生時代に映画を観てあまり意味がわからなかったんですが、誰かが漫画版を持っていたのでみんなで回し読みしたら、これは面白かった。「古畑任三郎」のドラマも小学生の頃観ていて、中学生になってから小説版もあると知って読みました。
 それと、中学2年生だったか、教科書に『こころ』の一部が載っていたんです。、そういえば家にあったなと思って読みました。人間の内面をあそこまで細かく掘り下げていく小説にそれまで出合っていなかったので、そこに感動した憶えがあります。先生と呼ぶ人との関係や、暗い過去を背負って生きている様子に惹かれたんですが、今思えば、自分も後になって『線は、僕を描く』でそうしたものを書いているんですよね。
 あとは、太宰治の「走れメロス」も教科書に載っていて、すごく面白くて、そこから太宰治を何冊か読みました。『人間失格』は主人公に共感はしなかったけれど、近距離でボディブローを入れられるような感覚で、そこがすごく好みでした。太宰でいうなら『きりぎりす』が好きですね。画家の妻の独白で、夫が急に売れ始めるんですよね。そこからすれ違っていく人間の心理を面白く読みました。

――部活は何かやっていましたか。

砥上:部活はやっていなかったんですが、近所で格闘技を習っていました。空手道場のはずなんですけれど、総合格闘技みたいなことを教えていたんです。振り返ってもよく分からないですね(笑)。だから腕っぷしは強くて、不良たちに近寄られることもなかったです。
 当時、僕が住んでいた地域は失業中の労働者の世帯が多くて、そのストレスが全部下に向かっていたんです。家庭内暴力を受けている子どもたちも周りにいました。不良も多くて、学校も、窓ガラスが割れたり、廊下を自転車が通ったり、授業が成立してなかった。みんな、午後の授業なんて出ないで帰っちゃうんです。先生も止めなかった。僕も授業に出ずに家に帰って本や漫画を読んでいました。
 でも、暴力振るわれるから帰れない奴もいるんです。僕の家に集まってみんなでゲームをやったりもしました。僕らはファミコン、スーパーファミコン、プレイステーションが揃ったゲーム世代なんです。あとは、逃げ場としての本屋さんがありました。家に帰れない奴が雑誌のコーナーで3、4時間くらい、立ち読みじゃなくて座り読みしてたりしましたね。それでも追い出されず、温かく見守ってもらっていました。今もその本屋さんにはすごく感謝の念があるし、時々行っています。店長は替わったんですが、作家になったと言ったらすごく喜んでくれました。

――高校時代はいかがでしたか。

砥上:公立の受験に失敗して私立の学校に行きました。授業さぼっていたんですからそりゃ受験も失敗しますよね。そうしたらその学校では、家にお手伝いさんがいたりとか、やたらお金持ちの子がいるんでびっくりしました。授業が成立していることにも驚きましたね。先生もちゃんと教えてくれるし、みんな静かに聞いているし。でも、僕は馴染めなくて、かなり孤独を感じていました。そんな時に、校舎の建て替え工事をしている場所を通りかかったら、「おーい」って声をかけてくる奴がいて。中学時代の同級生が作業服きて基礎工事の作業をしていたりする。中学を出て働いている奴らを見ていると、みんな立派なお父さんになって、まわりの人のために働いていて、たくましいなと思っていました。

――中学よりも、高校のほうが馴染めなかったんですか。

砥上:自分が感じていることと人が言っていることがすごく違うと感じるんです。大人になってもそうですね。「普通はこうするよね」「普通はこう感じるよね」と言われても良く分からない。「どうでもいいよね」みたいな反応をしてしまう。大学に入ってから、そいう反応はよくないなと分かってくるんですけれど。
 高校では書道部に入ったんですが、先生が「こいつは学校には馴染まないが悪い奴じゃないし、書道はやる気があるようだ」と思ったのか、匿ってくれたというか。書道部の準備室にいさせてくれたんです。そこでやりたい放題やっていました。臨書集や美術書をずっと見たり、ひたすら字を書かせてもらったり。定価8万とか10万円の筆も相当使わせてもらっていました。ひとつのことに極端に集中するところがあるので、この一文字をどう書くかとか、この線をどう引くか、延々に考えていました。思えば、そうした時間は後に水墨画をやる時に役立ちました。基礎みたいなものですから。
 でも、残念なことにやっぱり上手くならなかったんです。一般のなかでは上手いけれど、書道の専門高校に行っている生徒たちは相当レベルが高くて、そういう奴らには勝てないという。書道って音楽と同じで、残酷なくらい才能が関わってくるんです。努力すればどうにかなるくらいにはなるけれど、それ以上はいかない。

――その頃、どんな本を読んでいましたか。

砥上:書道部の先生が大学の文学部書道学科出身の人で、漢文の素養があったんです。書道を文学だととらえるようなところがありました。その影響だと思うんですが、漢詩が好きでした。今もNHKテキストの『漢詩を読む』のシリーズを毎日ひとつずつ読んだりしています。
 漢詩はまず、長くないのがいいですね(笑)。短い言葉でとてもきれいな情景を見せてくれる。それに、日本語に変換した時にものすごく美しい表現になるんです。中国の思想には老成の美学があって、老いていくのはめでたいことだというところに温かさや朗らかさを感じました。悲嘆にくれるような内容の漢詩もありますが、やはり記憶に残っているのは、酒を飲んで楽しかったとか、人と笑い合ったといった内容のものですね。漢詩に限らず、基本的に明るくて前向きなメッセージを持つものを好む傾向があるんです。

――「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」みたいな内容の詩ということですね。具体的に、好きな漢詩といいますと。

砥上:于武陵(うぶりょう)の「勧酒」ですね。有名な詩です。

君に勧む金屈卮(きんつくし)
満酌辞するを須(もち)いず
花発(ひら)けば風雨多し
人生別離たる

これは井伏鱒二の訳が有名で、

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

これがすごく好きなんです。寺山修司もこの訳を使ってますよね。

つばくらからす鵙(もず)つぐみ
鳥も天涯家なき子
草むら遠く燈をともす
ひとの幸せ過ぎゆきて
さよならだけが人生だ

とか。こういう関連したものを見つけては、いいなあと思って一人でニタニタしています(笑)。

» その3「水墨画をはじめる」へ