
作家の読書道 第250回: 蝉谷めぐ実さん
2020年に江戸歌舞伎を題材にした『化け者心中』で第11回小説野性時代新人賞を受賞してデビュー、同作で日本歴史時代作家協会賞新人賞や中山義秀文学賞を受賞、昨年刊行の第2作『おんなの女房』では野村胡堂文学賞を受賞し、時代小説の新たな書き手として大注目されている蝉谷めぐ実さん。その読書遍歴や、歌舞伎に興味を持ったきっかけとは? 好きなものには気合いを入れてきたという、楽しい来し方のお話をどうぞ。
その1「家に本がいっぱいあった」 (1/5)
-
- 『うしおととら(1) (少年サンデーコミックス)』
- 藤田和日郎
- 小学館
-
- 商品を購入する
- Amazon
-
- 『ブラック・ジャック 1』
- 手塚治虫
- 手塚プロダクション
-
- 商品を購入する
- Amazon
-
- 『火の鳥 1』
- 手塚治虫
- 手塚プロダクション
-
- 商品を購入する
- Amazon
――いちばん古い読書の記憶を教えてください。
蝉谷:絵本の『三びきのやぎのがらがらどん』ですね。この連載で他にも挙げている方がいらっしゃるので、やはりみなさんお好きなんだなと思っていました。
それと、『めっきらもっきら どおん どん』というタイトルが特徴的な絵本も好きでした。男の子が異世界に迷いこむお話なんですが和風な感じで、大黒さんみたいな妖怪が出てきたりして。おそらく祖父が頼んでくれていた福音館書店から毎月送られてくる絵本の1冊だったと思います。
――本が好きな子だったのですか。
蝉谷:今回の取材にあたり母に「どんな子だった?」と訊いたら、妹と弟が遊んでいる後ろで一人で本を読んでいたような子だったそうです。
でも、家ではそうだったんですけれど、外では目立ちたがり屋でした。近くの公園で虫取りしたり、木登りして遊んでました。
――蝉谷さんは大阪出身ですよね。
蝉谷:はい。大学進学で東京に来るまで大阪の住宅街で育ちました。ただ、2歳くらいの頃に、父の仕事の関係で一時期シカゴにいました。その間はずっと、祖父が録画して送ってくれるアニメの「ムーミン」とか「アルプスの少女ハイジ」とかを観ていたようです。
――小学校では、目立ちたがりで?
蝉谷:そうなんです。私は国立の小中高校に入ったんですが、その小学校受験で、学力テストや面接とは別に、みんなが遊んでいるところを試験監督の人が見て点数をつける、といったコミュニケーション能力を測るみたいなものがあって。幼稚園児ながら目立たないと点数をつけてもらえないと感じていたんです。そのあたりから、野心というか競争心みたいなものが助長されていったというか。
その学校は、小学校から中学校に上がる時と、中学校から高校に上がる時にテストと内申点で3分の1ずつ落とされるんです。それもあって競争心が強くなったように思います。
――クラスでもわりと発言したりとかされていたのですか。
蝉谷:とにかく賢く見られたくて、朝の読書の時間も小学校低学年なのに高学年が読むものを借りて読み、知らない漢字があるとわざわざ立って周りにも聞こえるように先生に質問したりして。先生からはめちゃくちゃ鬱陶しがられていたと思います。
――そうしたなかで読んで面白かった本はありましたか。
蝉谷:記憶に強く残っているのは、夢枕獏さんの『陰陽師』です。祖母の本棚にあったんです。漢字のタイトルでこりゃあ賢く見られるぞ、と。村上豊さんの表紙絵の妖怪のちょっととぼけた感じにもそそられて、それが気になって手に取ってみたら、漢字が多いなりにも結構わかるところがあったのでそこからずっと読んでいました。
――おじいさんおばあさんと一緒に住んでいたのですね。
蝉谷:はい。祖母は高校の古典の先生で、祖父は社会の先生で歴史とかを教えていました。父は医師なので、家に様々なジャンルの本があったのは、今思えばいい環境だったなと思います。
祖母の本棚には『源氏物語』のような古典や、海外文学の全集もあったはずなんですけれど、その頃には全然手が伸びずで。祖父の部屋にあった歴史系の図鑑などを読んでいました。その中に『輪切り図鑑』というのがあって、ヨーロッパのお城を輪切りにして中の生活の様子がわかる絵が載っていたんです。それを眺めながら妄想するのが好きでした。
父は漫画も好きで、『うしおととら』『ブラック・ジャック』なんかもそろっていました。それと、私が通っていた小学校は手塚治虫先生の母校なんです。図書館に手塚先生の漫画が全部あったので、そこで『火の鳥』なども読んでいました。あとは『シートン動物記』や『ファーブル昆虫記』とかも好きでした。
ただ、だからといってすごく本を読んでいたわけではなく、休みの時間になると真っ先に校庭に飛び出ていて、運動会などもすごく気合いを入れるタイプでした。
――蝉谷さんは江戸の歌舞伎を題材にした小説を書かれていますが、小学生の頃から、おばあさんに歌舞伎に連れていってもらっていたそうですね。
蝉谷:京都まで連れていってもらっていました。でも、「はじめて歌舞伎を観た時の衝撃...!」みたいなことはぜんぜんなかったんです。学校で「歌舞伎に行ったんだ」と自慢できる、くらいの気持ちでしたし、着物の人がいっぱいいたなという程度の記憶しかないんです。
そうした日本文化よりは、「ハリー・ポッター」のシリーズを読んだりしていて...。でも「ハリー・ポッター」はみんなが読んでいるので途中でやめて、『ダレン・シャン』シリーズや『バーティミアス』シリーズを読みました。
それと、父が持っていた横山光輝さんの『三国志』の漫画も読みました。異世界や今とは違う時代にのめり込めるような小説や漫画が好きだったのかもしれません。
――その頃、将来なにになりたいと思っていたんでしょう。
蝉谷:小中校の頃はやっぱり遠い将来よりも、上にいけるかどうかばかり気にしていました。中学校に上がれるかな、高校に上がれるかなって...。周囲はみんな頭のいい人ばかりだったので、そんなことを考えていたのは自分だけだと思うんですけれど。
――ああ、3分の1ずつ落とされてしまうから。
蝉谷:途中で入ってくる人たちがめちゃくちゃ頭がいいので、友達と「またバケモノが入ってきたぞ」と、とんでもなく失礼なことを言ったりしていました。そういう子と闘って上に行かなきゃいけないという思いがずっとあって。学期末になると成績表とは別に、学年での順位が書かれた細長い紙が配られるんです。憶えているのが、私は小学校の時は21位で、貰った紙を大事に大事にしていたんですが、中学校に入ったらもう、高校に上がれるかどうかギリギリの順位になってしまって。
本が好きだったので小説家になりたいと考えたことがあったような気もします。でも世の中にこんなに面白い本がいっぱいあるということは、自分もそれくらい面白いものを書かないとやっていけないんだ、と子どもながらに考えていたように思います。今でさえ「あの子はこないだの試験で何点とった」などと思いながら生きているのに、その世界に入ったらずっと挫折とか嫉妬とかがあるだろうから大変だな、って。
――国語の授業は好きでしたか。
蝉谷:授業は楽しかったです。新学期に新しい教科書が配られるとすぐ全部読んでいました。この連載を読んでいると授業で朗読させられるのが嫌いだったという方も結構いらっしゃるんですけれど、私はめちゃくちゃ気合いを入れるタイプでした(笑)。台詞の部分は誰よりも情感をこめて読む、みたいな。
――へえ。聞いてみたいです。小説家さんってトークイベントでよく自作の朗読しますから機会はあるかも...。
蝉谷:いやいやいやいや、それはいいです! 小学校まではそうだったんですけれど、今はもうずっと部屋にいたい人間なので! 恥ずかしいので!
――ふふふ。お決まりの質問ですが、作文や感想文は好きでしたか。
蝉谷:私は好きでした。作文でもいつもの目立ちたがり屋の性分が出て、人と違う書き方をしたい、と気負っているところがありましたね。高校の時には賞も頂いたと思います。
夏休みの感想文の宿題などでは、課題図書よりも難しいものを選んでいました。小学生の頃だったか、安部公房の『砂の女』を読んで書きました。祖母か祖父の本棚にあったものを選んだ気がします。でも、書いたことだけ憶えていて、ぜんぜん中身は憶えていないんです。お馬鹿な子どもでした。
――読書以外に、なにか夢中になったものはありましたか。運動とかゲームとか...。
蝉谷:ゲームは色々なものに手を出してきました。小学校の時はポケモンをやったり、妹や弟と一緒にマリオカートをしていました。あとは、父が「HALO(ヘイロー)」というゲームをやっているのを横でずっと見ていました。地球の人口が爆発的に増加して、地球に住めなくなった結果、人類は宇宙に進出するんですが、人類は神を冒涜するものだと宇宙人の連合軍に一方的に戦争を仕掛けられて......、ストーリーはよくわからなくても、世界観を見ているだけで面白かったです。私がはじめてSFに触れたのがこのゲームだったと思います。
中学生時代には「戦国BASARA」もやりました。私の歴史の知識はそこから始まっていて、でもゲームなので大分史実と違う。伊達政宗が六刀流だったり、本多忠勝がロボットだったりするんです。デビューしてから時代小説を書いていらっしゃる方々とお話しする場に呼んでもらえることがあるんですが、そこで「本多忠勝がね...」という話になると、私、最初にロボットを思い浮かべてしまって、ちょっと気まずかったりしています。