第250回: 蝉谷めぐ実さん

作家の読書道 第250回: 蝉谷めぐ実さん

2020年に江戸歌舞伎を題材にした『化け者心中』で第11回小説野性時代新人賞を受賞してデビュー、同作で日本歴史時代作家協会賞新人賞や中山義秀文学賞を受賞、昨年刊行の第2作『おんなの女房』では野村胡堂文学賞を受賞し、時代小説の新たな書き手として大注目されている蝉谷めぐ実さん。その読書遍歴や、歌舞伎に興味を持ったきっかけとは? 好きなものには気合いを入れてきたという、楽しい来し方のお話をどうぞ。

その5「デビュー後の快進撃」 (5/5)

――卒業後は、広告代理店に就職されていますよね。

蝉谷:はい。書く環境が整えられるかと考えて、早稲田に近いのもその会社を選んだ理由の一つでした。卒業生も図書館は利用できるので、通いやすい場所がよかったんです。
 みなさん優しくて、すごくいい会社だったんですけれど、ちょっと忙しくて書く時間が確保できなくて、それで転職し、早稲田大学の職員になりました。

――職員になったらなおさら図書館が使いやすいですよね。

蝉谷:そうなんです。卒業生は図書館を利用できるけれど本を借りることができない。でも職員は借りることができるんです。それはやっぱり大きいです。
 執筆の時期などには仕事をした後、そのまま夜7時か8時くらいに図書館に行って学生の中に1人紛れ込んで10時くらいまで原稿を書いています。土日も図書館に行っています。
 大学の職場でもみなさん優しくて、「執筆頑張ってね」みたいな感じで、ありがたいです。

――転職をしてから『化け者心中』を書き上げて投稿、2020年に小説野性時代新人賞を受賞してデビューを果たされた。引退した稀代の女形、魚之助と鳥屋の藤九郎が、座元から依頼を受けて役者のなかに紛れた鬼を探すという話です。

蝉谷:大学時代に書いたものが原型ですがその時は全然書けてなくて、その後、歌舞伎役者が主人公の別のものを書いても全然駄目で、もう一回掘り起こして書いたのが『化け者心中』でした。大学時代に書いたもののほうが、もうちょっとあやかし寄りでした。

――魚之助にはモデルがいるそうですね。

蝉谷:私が書いたのは文化文政の頃の話ですが、それよりも後の明治期に三代目澤村田之助という役者がいたんです。舞台で宙乗りの最中に落下して、その怪我が元となった脱疽で手足を失い、それでも舞台にも立ち続けていたという名女形です。

――魚之助は客に手足を切断されており、藤九郎が彼を介助する。探偵と助手というバディ関係ですが、今までおうかがいしてきたなかでは、そういうミステリは出てこなかった気が...。

蝉谷:学生時代、映画好きの友達から教えてもらって観たBBCのドラマ「シャーロック」に夢中になった時期があって。『陰陽師』もバディものかなと思いますが、ちゃんとしたミステリのバディものとしては、「シャーロック」の影響が多分にあります。

――ベネディクト・カンバーバッチがシャーロック・ホームズ役だったドラマですよね。

蝉谷:そうです。「シャーロック」のカンバーバッチにはまり、来日した時は大学を抜け出して空港まで1人で観に行きました。3時間くらい待って1分見て終わりました。

――嵐のファンだったり和牛の追っかけだったり、カンバーバッチにはまっていたり、意外な面が続々と見えてくる(笑)。

蝉谷:なので江戸歌舞伎も、役者よりもひいきの人たちの心情に通じ合うものがあるというか(笑)。当時の女の子たちも、こんな感じだったのかなって思うんです。
 私は嵐の大野君が好きで、東京に来た時に「一目見てみたい!」と思って大野君のドラマのエキストラに応募したんです。そうしたら違う俳優さんの登場シーンのエキストラだったので、もう1回応募しました。その時は撮影にならずその場で解散になっちゃったんですけれど、歩いていく大野君は見えたんです......というような経験は、『化け者心中』のひいきたちの心情の描写に役立ったと思いたいです。

――あはは。その『化け者心中』が大変な評判になり、日本歴史時代作家協会賞新人賞や中山義秀文学賞を受賞して。

蝉谷:現代ものを書いていた頃、「作家にならねば」という思いが強すぎて、応募する賞を決めたら過去の選評を読み込んで、その好みに合うように書く、というようなやり方をしていた時期があったんです。それをやめて好きなものを好きなように、出し惜しみせずに書こうと思ったのが『化け者心中』だったので、この先も、そういうところは忘れずに書いていこうと思っています。そのせいで締切が死ぬほど遅れたりして......。

――前も「自分は書くのが遅い」とおっしゃっていましたよね。執筆の際、どの部分に時間をかけるのですか。プロットづくりとか推敲とか。

蝉谷:全部なんです。私はプロットを1から10まで作らないと書けないタイプで。プロットができた後も、地の文も台詞も、120%で書きたいんです。たとえば、登場人物が筆を持つ場面があるとして、どう持つかはその人の心とか性格とかですごく違ってくるので、どう描写するのが一番いいのかを結構考えてしまうんですね。作家はみなさんそうだと思うんですけれど、私は頭の回転が遅いために、時間がかかっちゃうんです。ただただ筆が遅くて不甲斐ないです。

――第2作の『おんなの女房』は、普段も女性として暮らしている女形に嫁いだ女性が主人公です。時代小説で描かれる女性って男性を支えるだけの存在になりがちですけれど、この作品もそうかと思わせて違いますよね。そこが新鮮でした。さきほど役者評判記の話も出ましたが、当時、役者の女房の評判記もあったそうですね。

蝉谷:はい。役者の女房の評判記は作中にも出てきますけれど、顔が可愛いとか背が高いとか、夫の面倒を見ているかどうかといった、俗っぽい、ゴシップのようなところで評価されているんです。でも書かれた女房は絶対になにかしら思っていただろうから、そこをきちんと描こうと思いました。時代小説や歴史小説って、やはり当時の社会が実際そうだっただけに男性優位のものが多いですが、その社会の中にたしかに存在していた女性たちの姿を無視したくないなという気持ちがありました。

――これがまた大評判となり、野村胡堂文学賞を受賞し、山田風太郎賞と吉川英治文学新人賞の候補にもなって。歴史・時代小説の新たな書き手として期待が寄せられていると思いますが。

蝉谷:書いている間は、ちゃんと時代小説として成り立っているのかどうか不安です。その時代の世界観に合うようにいろいろ調べて書いているつもりではあるんですけれど、私のせいで時代小説というものが湾曲して見られてしまったら嫌だな、って。これまで脈々と受け継がれてきた時代小説の流れがあるのに、私のせいで「ふうん、時代小説ってこういうものか」と思われたりして迷惑をかけたくない、という気持ちが強いです。

――「作家になったる」と思ってなって、こんなに評価されているのに。有頂天にならないタイプですね。

蝉谷:消えたくないっていう気持ちが一番強いので。迷惑もかけたくないし、消えたくもないっていう、我儘者です。小説を読むといつだって様々な角度から打ちのめされるし、すでに素晴らしい作品がたくさんある中で私が書く意味はあるんだろうかと考えてしまう。みなさんに追いつくために一生かけて頑張っていかなきゃなって思っています。命尽きるまで勉強あるのみです。
 なので最近はやはり、趣味の読書よりも資料を読むことが多いですね。

――それでも、趣味の読書で好きだったもの、面白かったものはありますか。

蝉谷:私、岩井圭也さんのことはデビューする前から追っていたんです。いろんな新人賞の最終選考に名前が載っていて、この方なんてすごいんだろうと。岩井さんが小説野性時代新人賞を受賞した『永遠についての証明』を読んで衝撃を受けました。自分も小説野性時代新人賞に応募しようと思っていたけれど、もう絶対無理じゃん、って。

――数学がモチーフの作品でしたよね。岩井さんはデビュー後も次々と新刊を出されて、しかも毎回題材がぜんぜん違うっていう。

蝉谷:そうなんですよ! 岩井さんは刊行スピードが早いし、書かれるものは全部ジャンルが違うし、そして当然のごとくに面白いし。新刊の『完全なる白銀』なんて女性が主人公の山岳青春ミステリ小説ですよね。
 岩井さんが受賞された2年後に私も小説野性時代新人賞でデビューして後輩になったのでいろいろ話しかけてくださるんですけれど、岩井さんを追いかける身にもなってください、という気持ちです。尊敬してます。

――さて、今後の刊行予定は。

蝉谷:今は『化け者心中』の続篇にとりかかっています。書いた時は続篇のことを考えていなかったので、どう書くか悩んでいるところです。今年の夏には出す予定です。

(了)