『みちづれ 短篇集モザイク1』三浦哲郎

●今回の書評担当者●HMV & BOOKS TOKYO 鈴木雅代

  • みちづれ―短篇集モザイク〈1〉 (新潮文庫)
  • 『みちづれ―短篇集モザイク〈1〉 (新潮文庫)』
    三浦 哲郎
    新潮社
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 前の職場を去るとき、餞別にといただいた本が、とても素敵だったので紹介したい。
 その本を私に、と選んでくれた方の気持ちがとてもうれしく、しかもとても好みだったので驚いてしまった。

 三浦哲郎は『忍ぶ川』で芥川賞を受賞した青森県出身の作家。
 長篇よりも隅々にまで目配りができる短かいものの方が自分の性に合っていると思い、短篇作家を志したそう。確かに『忍ぶ川』を始め『ユタと不思議な仲間たち』など長篇の傑作もいくつかあるが、やはり短篇のほうが定評があるようだ。

 始めこそ一篇の長さ30枚ほどのものを書いていたらしいが、だんだんに短くなり、『モザイク』という題で編んでいったころには、10枚ほどの短さになっていて、連作短篇集『モザイク』をいつか百篇入れた短篇集にしたい、とこのあとがきで書いている。

 良い文章には無駄がないとはよく聞くけれど、短いからといって殺風景だったり、ミニマムな印象はなく、かえってこれだけの文章を読んだだけで、時代や風景、登場人物の人となり、服装、表情がさあっと思い描けることに驚いてしまう。
会話文が東北の方言で語られているせいか、昔話を聞いているようなどこかぬるい空気を纏っている。自分とその土地になんの関わりもないのに、なぜか郷里のように懐かしくて、過去をさかのぼるような、さびしく切ない雰囲気が全体を通して漂っている。

 その雰囲気を味わいたくて次へ次へと読むけれど、二十四もあるうち、一つとして同じような書かれ方はしていない。同じ雰囲気を持ちつつも新しい描かれ方が、常に新鮮だ。書き出しの部分が、どれもとても魅力的でいくつか挙げたい。

「その老人のことを、彼は勝手に、露草の好きな爺さん、と覚えていた。毎年、夏から秋口にかけて、老人の古びた住まいの前庭に露草が踏み石を覆い隠すほどに生い茂り、粗末な半袖シャツに麦藁帽子の御当人が、花鋏や移植鏝を手にして咲き揃った青い小粒な花のなかにさも満足げに佇んでいるのを、通りすがりに何度も見かけていたからである。」『なわばり』

「どじ。あほ。まぬけ。ひすてり。あばずれ。こんちきしょう。ほかに、なにか、なかったかしらん。」『ののしり』

「夜がふけて、家族が寝静まると、家のどこかが微かに軋みはじめる。あるときは貧乏ゆすりのように小刻みに。あるときは、胡弓でも弾くように長く、尾を引いて。」『すみか』

 そしてこの中でも、川端康成文学賞受賞作の『じねんじょ』はとくに好きな一篇だ。

 小桃は、死んだと聞かされていた父親と、顔を見るために一度だけ落ち合うことになった。街のフルーツパーラーへと、昔母への土産にと父が寄越した着物を着て、40を過ぎた娘は出掛けて行く。

「お前(おめ)はなんにする?」
 ウェイトレスに手を上げて父親がいった。
「父ちゃんは?」
 小桃は思わずそういって、うろたえた。いい齢をして、忽ち涙ぐんだからである。
「我だら(わだら)クリーム・ソーダせ。」
「んだら、おらもクリーム・ソーダ。」
 と四十女が椅子に躰を弾ませていった。

 結局二人はただ、どちらも無言のまま、たっぷり時間をかけて一杯のクリーム・ソーダを飲んだだけなのだ。

 短い文章の中に、二人がどんな気持ちでフルーツパーラーまでたどり着いたか、どんな服装をして、どんな表情で、どのようなトーンで話しをしたのかを、はっきりと頭に思い描いては胸が熱くなる。

 三浦哲郎の文章は冬が似合う。
 年の瀬にはまだ読んでいない他の短篇を訥々と読んで、東北のシンとした寒い夜を頭の中で味わいたい。

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HMV & BOOKS TOKYO 鈴木雅代
HMV & BOOKS TOKYO 鈴木雅代
(旧姓 天羽)
家具を作る仕事から職を換え書店員10年目(たぶん。)今は新しくできるお店の準備をしています。悩みは夢を3本立てくらい見てしまうこと。毎夜 宇宙人と闘ったり、芸能人から言い寄られたりと忙しい。近ごろは新たに開けても空けても本が出てくるダンボール箱の夢にうなされます。誰か見なく なる方法を教えてください。