『さよなら渓谷』吉田 修一

●今回の書評担当者●豊川堂カルミア店 林毅

「店長知ってます? 山岡親子がついに和解したんですよ」
 バイトT君がある日、そんなことを言ってきた。
「へえ」
そしたらバイトのN君がきて、
「店長、岩城が結婚したんですよ」なんて話をする。
「でも、それってマンガの中の話じゃないの。現実のニュースみたいに言わないように」
 巻数の長いマンガは、つきあう年数がとにかく長い。(美味しんぼは、もう20年になるのでは。ドカベンは、私が小学生のころからあった気がするので...何年?)
まあそれだけ長いと、なんだか物語の中にどっぷりと入りこんでしまって、どれが現実なのか作り話なのか、なんだか分からなくなってしまうのかしらん。(そんなわけないか)
 まあそれだけ面白い話、ということなんだろうね。
 
 昨年私がいちばん面白く読んだのは吉田修一『悪人』で、まるで現実に起こったかのような緊迫感と、その語り口に圧倒されました。
「ねえねえ・・・」とその凄さを、私も誰かに語りたくなるような物語でありました。(昨年中はずっと、口を開けばその話題になってしまい、お客さんに版元さんに同僚、いろんな方にお買い上げいただきありがとうございました)
 その『悪人』から連なる物語を描いた小説が出たとあっては、居ても立っても居られません。(オビには《『悪人』を凌ぐ最新長編》とあるし、そわそわと一気読み。

 行方不明だった幼児が渓谷で遺体となって発見され、母親の元にマスコミが殺到。逮捕の瞬間を今か今かと待っている。始まりは、秋田の児童連続殺害事件と思しき事件である。そこからどんな展開を見せていくのかと思っていると、取材に訪れた週刊誌記者が事件には直接関係のないと思われた隣の夫婦に興味を持ったことで、事件の隣に潜むもうひとつの事件を暴いていくことになる。
 妻はなぜだか児童殺害の犯人の女とデキていると証言して、にわかに夫に子殺しの共犯の疑いがかかる。妻はなぜ夫を陥れようとしたのか。夫はそれをなぜ否定しないのか。
 夫が起こしていた15年前のレイプ事件がすべての発端となり、事件は被害者だけでなく、加害者も社会からはじいてしまっていた。犯された者の傷を共有できるのは、他でもない自分を犯した男でしかないというのは皮肉な運命である。不幸であるために一緒にいるという二人の関係が、悲しく切ない。

 個人的にはこういう体験があるわけではないけれど(そりゃそうか)、つい自分をそこに当てはめて考えてしまった。男と女では思うところは違うだろうけど、なんだかこの物語について誰かと語り合いたいと思ってしまいました。

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豊川堂カルミア店 林毅
豊川堂カルミア店 林毅
江戸川乱歩を読んだ小学生。アガサ・クリスティに夢中になった中学生。松本清張にふけった高校生。文字があれば何でも来いだった大学生。(東京の空は夜も明るいからと)二宮金次郎さながらに、歩きつつ本を捲った(背中には何も背負ってなかったけれども)。大学を卒業するも就職はままならず、なぜだか編集プロダクションにお世話になり、編集見習い生活。某男性誌では「あなたのパンツを見せてください」に突進し、某ゴルフ雑誌では(ルールも知らないのに)ゴルフ場にも通う。26歳ではたと気づき、珍本奇本がこれでもかと並ぶので有名な阿佐ヶ谷の本屋に転職。程なく帰郷し、創業明治7年のレトロな本屋に勤めるようになって、はや16年。日々本を眺め、頁をめくりながら、いつか本を読むだけで生活できないものかと、密かに思っていたりする。本とお酒と阪神タイガース、ネコに競馬をこよなく愛する。 1963年愛知県赤羽根町生まれ。