『グレタ たったひとりのストライキ』マレーナ&ベアタ・エルンマン、グレタ&スヴァンテ・トゥーンベリ

●今回の書評担当者●ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広

  • グレタ たったひとりのストライキ
  • 『グレタ たったひとりのストライキ』
    マレーナ・エルンマン,グレタ・トゥーンベリ
    海と月社
    1,760円(税込)
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 今、世界で最も注目されている人物、グレタ・トゥーンベリ。
 2018年夏スウェーデン、15歳のグレタは同国国会議事堂の前で、たった1人で「気候変動のための学校ストライキ」を決行します。

 グレタは主張します。直ちに二酸化炭素排出量を大幅に削減し、地球温暖化を2度未満に抑えなくてはならない。さもないと気候変動により世界は確実に崩壊に向かい、人類は生存の危機に陥る。そのためにも世界各国は対策を取り、企業は直ちに経済優先の産業政策をストップさせるべきであると。

 人々は自分の家が焼け落ちようとすればパニックになるが、地球環境が焼け落ちようとしてもパニックにはならない。しかし自身の家の焼失と同じことが地球に起きている。その元凶は世界のごく一部の富裕層にのみ利益をもたらす経済優先政策にあること、そのために不利益を被るのは将来の若い世代であること、などの主張が彼女の口から明快に語られていきます。

 グレタの主張は彼女と同世代の若者による共感から始まり、インターネット、SNSを通じて瞬く間に世界中の人々の支持を集め始めます。その一方で、多数の批判と中傷を受けることにもなります。「こどもは学校に行くべきだ。」「裏で糸を引く人間がいる。」「こどもの政治利用だ。」など。しかし、その大人たちの言い分も、本書を読めば大きな誤りであること、そして彼女の主張によって生じる不都合を隠すための方便であることがわかります。気候変動を真剣に訴える少女と、既得権益を死守したい大人の対立の構図は、差別や偏見など、あらゆる問題を可視化していきますが、ことの本質はそこにはありません。本当に論ずべき問題は地球が危うい、地球上の人類が、生物が滅びゆく危機に瀕しているということに尽きるのです。

 本書は、彼女の母親であるスウェーデンのオペラ歌手 マレーナ・エルンマンによる手記です。俳優である夫 スヴァンテ・トゥ―ンベリとともにグレタを支え続け、まだ年齢的には幼いグレタがたった1人で抗議行動に向かうまでを綴った奮闘記でもあるのです。

 きっかけはグレタが授業で観た、公害をテーマにした1本の映画でした。それを観て大きなショックを受けた彼女に異変が起こります。彼女は重度の摂食障害を患い、アスペルガー症候群であると診断されます。長女のために両親は仕事を投げ出してでも懸命に奔走し、救おうとしました。グレタが復調したと思えば、今度は次女のベアタに異変が起こります。しかしこの母と父には子どもたちの尊厳を守る心があったことが幸いでした。こうして家庭内の危機を乗り越えた家族の奮闘だけでも1冊の本になりそうな劇的なエピソードですが、これを発端にしてトゥーンベリ家の物語は世界を揺るがす問題提起へと昇華していくのです。

 そして先述した大人たちによる誤解、もしくは悪意は本書で一蹴されることになるでしょう。グレタの行動は全て彼女1人での学習、研究を経て、彼女が1人で決断し実行したことなのです。彼女の両親は保護者としてグレタを見守り、支援はするものの、啓蒙はしていません。むしろ両親はグレタによって環境問題への関心を高め、活動を支援するに至ったのです。

 母マレーナは、グレタの主張とそれを行動に移していく過程を、的確な論点で整理し文章化していくことで、気候変動のいよいよ差し迫った危機とその犯人を、そして人々の無関心をあぶり出していきます。父スヴァンテはひとり行動するグレタの体調を慮りながら常に後ろから見守り、安全を確保し、あらゆる面でフォローしていく役目を全うします。この2人の最大の理解者の後ろ盾もあり、グレタは活動を継続していくことになります。

 しかし、事実を訴え、世界の過ちを指摘していくことで、グレタも家族も周囲から孤立してしまいます。彼らの訴える話の現実味からは出来る限り目を背けたい、耳を塞ぎたい、逃避したい、もっと明るい展望を持ちたい、誰もがそう思ってしまいます。それどころか彼らをナイーブ過ぎると片付けてしまい、グレタは病気だから、繊細だから、変わり者だからという偏見を持つことで、自分たちが現実を見ようとしないこと、行動しないことの言い訳を作り上げ、気候変動など無いことにしてしまおうとするのです。

 グレタをめぐる一連の狂騒と関わる人間の姿は、この環境問題が、格差、差別、分断といった社会の難題と地続きであることを顕著にします。彼女を変わり者呼ばわりして敬遠しながら事実を無視し続け、普通に食事をし、人生を謳歌しようとする私たちと、狂っているのは果たしてどちらだと言えるでしょうか。それに対し、グレタはたったひとりで間違っていることを間違っていると訴えているだけなのです。

 ただこうして書いている私自身が本書を評することは困難を極める作業となりました。なぜならば、私もかつては環境問題に対して冷ややかな態度をとり、距離を置いてきたからなのです。その無関心によって企業の隠蔽、政治の無策に加担してきたことを自覚しなければなりません。

「エコロジー」という言葉が流行りだしたのは今から約30年ほど前だと記憶しています。人類による環境破壊と地球温暖化による異変の危機から、本来は生態学を意味する言葉が、人類と自然との共存を目的として環境を考慮していく為の言葉にシフトしていったのです。そこで企業が持ち出して来たのは、「環境にやさしい」「地球にやさしい」という上滑りしたスローガンとキャンペーンでした。当時まだ学生だった私も空々しさと胡散臭さを感じとり、あえて環境問題と距離を置くことこそが、文明の利便性と快楽に浸る我々人間自身への批評と成り得ると思いましたし、人間は環境破壊の免罪符を背負って生きていくしかないのだと嘯いていたのです。

 しかし、同時に楽観もありました。まだしばらく先までは大丈夫だろう、1人くらい地球に優しくなくたって平気だろう、などと私たちのほとんどが危機感を棚上げしてきました。実はそれこそが本音であり、より罪が重いことだったように思います。それがこの30年だったのではないでしょうか。

 そして、その30年が経過した今、北極の気候変動による永久凍土融解、アマゾン熱帯雨林の大規模火災の長期化など、地球規模の異変が無視出来なくなっています。日本でも記録的な猛暑、度重なる台風や豪雨による災害は記憶に新しいところです。誰もが今、地球がおかしいと肌で感じ始めているはずです。(問題なのは、ごく一部のジャーナリズムを覗いて、日本のマスコミがこの事実をほとんど黙殺していることです。その理由を知ると愕然とするより他はないのですが。)

 しかしながら私は、表紙のグレタの真っ直ぐな視線を受け止められるような大人ではありません。彼女のように今すぐ航空機移動を控えることや、明日からヴィーガンになるということも、実行に移すことは正直に言えば難しい。しかし、難しい難しいと言って躊躇している間に事態は進行していき、そして子どもたちの未来は奪われていくのです。

 まずは読んで欲しいのです。彼女の主張に賛同するか反対するかどうかは、本書を読んでから判断すべきです。本書の問題提起の核心は、これを中学生の少女が主張しているということにはありません。今目の前に迫る危機を理解することにあります。そこを見誤ってはなりません。

 悪意ある中傷には断固反対するのみですが、誤解は解くことが出来ます。私自身、環境問題に対する誤解を解くことが出来たのです。1人の少女が立ち上がったことで多くの人々が気づき、一緒に立ち上がり始めた。多くの人も誤解を解いて気づき始めているはずです。気づくことができるのならば、今からでも遅くはないと、本書は、グレタは教えてくれたのです。

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ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広
ときわ書房志津ステーションビル店 日野剛広
1968年横浜市生まれ 千葉県育ち。ビールとカレーがやめられない中年書店員。職歴四半世紀。気がつきゃオレも本屋のおやじさん。しかし天職と思えるようになったのはほんの3年前。それまでは死んでいたも同然。ここ数年の状況の悪化と危機感が転機となり、色々始めるも悪戦苦闘中。しかし少しずつ萌芽が…?基本ノンフィクション読み。近年はブレイディみかこ、梯久美子、武田砂鉄、笙野頼子、栗原康、といった方々の作品を愛読。人生の1曲は bloodthirsty butchers "7月"。