『カタツムリが食べる音』エリザベス・トーヴァ・ベイリー

●今回の書評担当者●あおい書店可児店 前川琴美

  • カタツムリが食べる音
  • 『カタツムリが食べる音』
    エリザベス・トーヴァ・ベイリー
    飛鳥新社
    1,728円(税込)
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「この本の主役はとても小さい。」そう、カタツムリだ。カタツムリを「あの子」と呼び、対等なパートナーとして敬愛しているこの著者は34歳の時謎の病気に罹ってしまう。寝たきりの入院生活の中で薬害にも遭う。「肉体は無用の長物」となり「脊椎動物としての私の地位は、文字通り溶解しようとしていた」と述べているが、決して絶望することなく、ベッドの中から自分は血の通った人間であることを情感豊かに訴える。

 カタツムリの生態に関する省察を深めてゆくと同時に愛を育んでいく著者の筆致は機知に富み、哲学に満ちていて美しい。レポートは著者のままならぬ体と裏腹に、ますます生き生きとしてくる。カタツムリとホモ・サピエンスである自分に共通点を見出したり、違いを知ることを存分に楽しみ、ユーモアを交えて紹介している。

 端から見れば、寝たきりの女性のベッド脇に水槽が置かれている、ただそれだけの世界に「異種動物間の絆」を深めた宇宙があるのだ。その幸福を私達にリリカルに教えてくれる。本書は学術書として興味深いだけでなく、日本人にはお馴染みの小林一茶の「でゝ虫の其身其まま寝起き哉」もエピグラムとして載っていて、カタツムリの素晴らしさを多面的に伝えている。

 入院生活は20年に及び、一時的に何とか退院したけれど、たった一杯の水を飲みにキッチンまで出かけるだけで失神するほどの辛い状態に変わりはない。しかし、肉体は縛られていても、心は地球上に生息している全ての生物と共にある。過去、現在、未来に渡り、俯瞰してその進化をゆったりと眺めているのだ。

 病気によって「細胞内のミトコンドリアは機能せず、病原菌が全細胞内の設計図を"書き換え"、それによってわたしの生命自体を書き換えて、ほとんどすべての将来の計画を奪い去ってしまった」けれど、ミクロの視点から翼を広げ、時空を越えて羽ばたいているように見える。その生き様は感動的だ。「どんなにささやかであれ生きる営みはそれ相応に報われる」という言葉は光り輝いている。

 ちなみに、この本の終わりにある訳者あとがきがめっぽう愉快で微笑ましい。この本を読めばカタツムリが雌雄同体であることは分かるはずなのに、自分が飼っているカタツムリに「カタ坊」「ツムリ子」と名付けたエピソードを寄せている。しかも自分の掌で戯れる赤ちゃんカタツムリの写真まで! 著者の「あの子」が載っていないのに! 

 しかし仕事はぬかりない。You Tubeで「the sound of snail eating」と検索すると、カタツムリが食べる音を実際聞くことが出来ることを紹介しているが、それはこの表紙にあるいくつかの穴を開けた犯人が実はカタツムリであるという趣向を補填するものである。

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あおい書店可児店 前川琴美
あおい書店可児店 前川琴美
毎日ママチャリで絶唱しながら通勤。たまに虫が口に入り、吐き出す間もなく飲 み下す。テヘ。それはカルシウム、アンチエイジングのサプリ。グロスに付いた虫はワンポイントチャームですが、開店までに一応チェック! 身・だ・し・な・み。 文芸本を返品するのが辛くて児童書担当に変えてもらって5年。