『恋地獄』花房観音

●今回の書評担当者●中目黒ブックセンター 佐藤亜希子

 極度の飽き性のせいなのか、一途な想いというものに憧れる。恋でもいい。夢でもいい。叶おうと叶うまいと、変わらずに"なにか"を想い続けるということ。場合によっては狂気ともとれるその感情に焦がれている。

 2010年に『花祀り』(幻冬舎文庫)で第一回団鬼六大賞を受賞しデビューした、花房観音さんの『恋地獄』(幽BOOKS)は、結ばれることのない男との恋愛を小説として残そうとする女流作家・鷹村妃の物語と、先祖の供養ができない子孫の代わりに墓の御守りをする墓守娘の語りで構成された官能長編怪談(と帯にはあるが、個人的には純愛怪談)である。

 鷹村妃は妻子があるくせに他の女性との繋がりを次々と求める男に心底惚れている。男は妃の人生を変えるきっかけとなった映画作品の監督なのだが、デビュー作は絶賛されたものの、それ以降の作品は鳴かず飛ばずで酷評され、今となっては仕事もほとんどない。男は言う。──俺が死んだら、俺という人間のことを全て、隠すことなく書いて欲しい。妃は傲慢で愛されたいと強く願うくせに自分からは愛そうとしない男を身勝手だと思いながらも、物語を残させるために他の女には言えないことをさらけ出してまで自分を必要としてくれることに喜びを感じている。

 墓守娘(娘といっても70歳を超えた女性)は、かつてかけおちをしたものの失敗に終わり、自ら首を吊った男に憑かれている。墓守娘の家の床の間に首だけを残し、一向に消えようとしないそれは、顔色ひとつ変えず恨み言を言うでもない。ただ、そこにいる。けれど、彼女が惚れた男たちとの縁を次々と切っていく。墓守娘は言う──他の男に渡しとないとか思ってたわけやないんやろ。ただ、人が幸せになるのが、嫌なんやろ。彼女は自殺をしておいてたまに"悪いこと"をする男を身勝手だと思いながらも、自分が死んだらひとりきりになってしまう男に哀れみを抱いている。

 厄介な男に惚れてしまった女と厄介な男に惚れられてしまった女。ふたりに共通しているのは、恋に落ちることは地獄に堕ちることだとわかっていながらもそれを止められない、どころか望んでいるようにさえ見える点だ。恋や愛など目には見えず、形にも残らないあやふやなものに人生を費やす。どれだけ好きな相手だろうと、終わってしまえば想いや記憶は薄れ、代わりを見つけることなど容易い現代に慣れてしまっている者たちからすれば、その姿は滑稽にも愚かにも見えるのかもしれない。けれど、人も物も溢れた今だからこそ、狂おしいほどに一途な感情は蠱惑的な輝きを放ちながら、胸に深く刻みつけられる。

 形のない、必ず消えてしまう、これ以上もないほどの無常である恋愛というものを、文章という形で書き残せるということ──女としてこれ以上の幸福があるのだろうか。

 そう言い切った鷹村妃は恋に溺れた馬鹿な女のひとりに過ぎないのか。私にはそうは思えない。愛情であれ執着であれ、苦痛を伴いながらも手放せない"なにか"がある彼女に羨望と焦燥の念を抱かずにはいられなくなるのだ。

 まぁ、新しいゲームを始めてもものの見事に3日でめんどくさくなってしまう私には、なかなかにして道のりが遠い話ではあるのだけれど。

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中目黒ブックセンター 佐藤亜希子
中目黒ブックセンター 佐藤亜希子
自他共に認める熱しやすく冷めやすい鉄人間(メンタルの脆さは豆腐以下)。人でも遊びでも興味をもつとす ぐのめりこむものの、周囲が認知し始めた頃には飽きていることもしばしば。だが、何故か奈良と古代魚と怪奇小説への愛は冷めない。書店勤務も6年目にな り、音響専門学校を卒業してから職を転々としていた時期を思い返しては私も成長したもんだなと自画自賛する日々を送っている。もふもふしたものと チョコを与えておけば大体ご機嫌。