『皮膚感覚と人間のこころ』傳田 光洋

●今回の書評担当者●あおい書店可児店 前川琴美

  • 皮膚感覚と人間のこころ (新潮選書)
  • 『皮膚感覚と人間のこころ (新潮選書)』
    傳田 光洋
    新潮社
    1,188円(税込)
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「紙の本を買いなよ」アニメの登場人物が言った。「電子書籍は味気ない。本はね、ただ文字を読むんじゃない、自分の感覚を調整するためのツールでもある。(略)精神的な調律、チューニングみたいなものかな。調律する際大事なのは、紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ」人間の心理傾向を数値化した近未来を描いたアニメ「PSYCHO-PASS」でテロリストがアナクロなことを喋った時、まだ書店員であった私は、テロリストに本の営業されちゃってるよ、と笑った。

 しかし、勤務先が閉店し、一日中本に触れ、それを求める人に手渡ししていた感覚が失われた今、彼の言葉がようやく理解できた。とても淋しい。多分、心でも、皮膚でも。

 皮膚って一体何だろう。この本を読むと、身体全てを皮膚に覆われている自分という生き物について改めて考えさせられる。

 懐で草履を温めた秀吉の行為の何が信長の心を動かしたのか。それは温かいという皮膚感覚だという。温かいという感覚は無意識に好印象を与える。もし秀吉が冷え性で、草履が温まらなかったら、または、体温が高すぎて、草履が生温かく、ネチネチして気持ち悪いと信長が感じたら、歴史が皮膚感覚で変わっていたかも知れないのだ。晩年の秀吉の草履や寝具を誰かが温めておく心遣いをしていたら、千利休は切腹させられなかったのかも......人類は体毛を失い、皮膚感覚を発達させ、視覚とは別に光(!)を、聴覚とは別に音(!)を感知するようになり、皮膚独自に情報処理を行っているという信じられない最新研究を目の当たりにすると、その機能の精巧さに驚嘆する。何という神秘だろう。

 私たちは自身の輪郭である表皮にもう一つの脳をまとっていながら、そのことを意識すらしないで生きていたのだ。頭蓋にしまわれた脳と違い、見て、触れることが出来るむきだしの器官であるにも関わらず。憎しみ合って殴り、愛し合ってハグをして、自分以外の皮膚とも交感してきた種なのに。そのワンダーを一つ一つ静かに繙く著者の理論の骨子が美しい。「ケラチノサイト」「カルシウムイオン」など、専門用語のカタカナオンパレードであるにも関わらず、無知の私ですら次が読みたくてページをめくる手が逸る。

 文章は理知的で、余分な形容を削ぎ落としていながら、温かい。先人が行った実験の一つ一つに敬意を払う人柄に、科学のバトンの流れを担った体温のある責が滲み出ている。そして、科学者だけではなく、安部公房、トーマス・マンなどの文学者の作品における皮膚感覚が、ラットの実験によって導き出されたものと一致していることを挙げているが、そのようなフレキシブルな眺め方にも温かさは表れている。

 作家は、皮膚が多様な情報を感知し、身体や情動に信号を送る細胞であることを本能的に知っていて、本質をついていたのだ。世界のささやきを、皮膚感覚のレベルで言葉に落とし込む作家の所業に、著者は一人の人間として私達と同じように率直に感嘆している。

 人間の精神活動は、創造主たる神が人間に与えた数字という道具を用いれば、科学という手法の中で記述可能なのではないか、と科学者である著者は言う。本に触れていないと淋しいという私の感覚は、数値化出来るのかも知れない。

 しかし、一人の人間として著者は血の通った言葉で続ける。「一方、私たち一人一人の中に、言葉にできない、なにごとかがある」

 現代の実験科学は、心の本質や生命の巨視的な振る舞いを理解しようとする学問なのだ。更に精緻に。それが人間の進む道だと。ゴールはない。謙虚に語る著者の言葉に、私は何の言葉も数字も持たない。しかし、心の奥で微かなシグナルが鳴り続けているような気がする。数値化しきれないなにごとか。科学の向こう、それを求めて次の本をこの手が欲している。

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あおい書店可児店 前川琴美
あおい書店可児店 前川琴美
毎日ママチャリで絶唱しながら通勤。たまに虫が口に入り、吐き出す間もなく飲 み下す。テヘ。それはカルシウム、アンチエイジングのサプリ。グロスに付いた虫はワンポイントチャームですが、開店までに一応チェック! 身・だ・し・な・み。 文芸本を返品するのが辛くて児童書担当に変えてもらって5年。