『尾道坂道書店事件簿』児玉憲宗

●今回の書評担当者●啓文社西条店 三島政幸

「今年の本屋大賞、行けなくなった。すまんけど一人で行ってくれる?」

 こんな電話があったのは、2016年3月のある日のことだった。
 そしてこれが、私が児玉さんの声を直接聞いた、最後の機会となる。

『尾道坂道書店事件簿』に詳しく書かれているが、児玉さんは1999年、当時の福山の新店だった「啓文社ポートプラザ店」の店長時代に、病に倒れた。

 数年後、復帰した時は、車椅子姿だった。

 下半身不随というのは大きなハンディキャップである。しかし、児玉さんはそれを一切匂わせず、弱音を吐くことはなかった。まるで健常者と同じように、いや、それ以上に精力的に、書店員の仕事をしている人だった。

 本屋大賞へは第2回目から、二人で毎年参加した。明治記念館はステージが高いところにあるので、記念撮影の際、みんなで車椅子を抱え上げるのも恒例行事となっていた。秋の「鮎川哲也賞」にも、できる限り二人で参加するようになった。折角の東京出張だからと、毎回、前後に書店視察ツアーをやっていた。その年に開店したばかりの店舗や、新規出店の参考になりそうな店舗を廻っていた。その時の分刻みのスケジュールを組むのが私の役割だった。車椅子の移動には大きなロスタイムが発生することも、この東京旅行で学んだことだ。特に地下鉄の乗り換えが大変だった。大手町駅や神保町駅が鬼門だった。

 2015年の暮れに、福山に新しい店「啓文社BOOKS PLUS緑町」がオープンした。周囲の反対を押しのけて出店を強く主張したのは児玉さんだったと聞いている。そして、啓文社で初めてのカフェ併設型の、今までにやったことがない新しいコンセプトの店を作り上げた。自ら「陰の店長」を名乗るくらいに。これまでの書店視察の成果が全部出たような店である。

 ところが開店後、すぐに入院することになってしまった。長年の車椅子生活で臀部に大きな褥瘡(床ずれ)があり、治療のため手術が必要だったからだ。

 2016年の1月に入院、1月末に復帰したが、その際も、長時間車椅子に乗ることがないよう、仕事もセーブするように、という医師の指導があった。しかし本人は責任感が強いので、ちょっと無理をしていたのではないかと思う。また褥瘡がひどくなったので、再治療が必要になったのが、その年の春のことだ。

 ところが入院のための事前検査の数値が悪すぎて、褥瘡どころの話ではなくなり、入院治療が長期化しそうだ、ということになってしまった。
ここで、冒頭の電話のシーンになる。

 オープン前に、カフェスペースを使ってミステリ作家を呼んだイベントをどんどんやろう、という話もあった。サイン会は大きな集客力が必要になるので開催へのハードルが高いが、トークショーのようなイベントなら少人数でもできる。なので、ミステリ作家に会う機会があれば「福山でイベントをやりませんか」と声をかけて欲しいと言われ、実際に著名な作家さんにどんどん声をかけ、それぞれご快諾もいただいていた。でもそれは私にとっては児玉さんありきのイベントだと思っていたので、開催は難しくなった。唯一、私が文庫解説を書かせていただいた縁で、貫井徳郎さんをお招きしてのトークイベントが開催できた。しかし、既に長期入院に入っていた児玉さんの姿は、そこにはなかった。

 児玉さんはツイッターやフェイスブックも積極的に更新していたので、自分の病状も包み隠さずに知らせていた。ある日、ベッドに寝たままで、ベッドごと病院の屋上に上げてもらい、外の空気を久し振りに吸った、という投稿があった。車椅子に乗れないほどの状態なのは明らかだった。

 亡くなられたという一報が入ったのは、2016年10月5日のことだった。その前日の4日に他界されたそうだ。私はそんな状況もつゆ知らず、呑気に新潟まで遠征して、NGT48劇場でのHKT48出張公演を観ていた日だった(思えば私の母親が鬼籍に入った時も、AKB48のじゃんけん大会に参戦した翌日の帰りの新幹線の中で知らされた。こういう知らせは本当に突然やってくるものである)。偶然だが、10月5日は児玉さんの誕生日でもあった。フェイスブックのウォールに「誕生日おめでとう」のメッセージが次々に投稿されているのを見ながら、心が痛くなった。

 影響力が大きいので、亡くなったことはオープンにしないように、という通達もあり、当時は何も言えないまま、通夜・葬儀に参列した。ただ、情報を聞いた人からの問い合わせも相次いだので、事実関係はお知らせした。

 葬儀では、自分の親が死んだ時以上に泣いてしまった。心の支えを失った感じである。

 もしかしたら、私のこの文章で、児玉さんの今回のことを知った方もおられるかも知れない。もしそうでしたら、大変申し訳ありません。

 私は、児玉さんの足元に及ばないほど書店員としてはダメダメである。それは児玉さんも熟知されていた。ただ、私が考えた企画だったり、やったことに関しては、本当に嬉しそうに、高く評価してくださった。伊坂幸太郎さんや乙一さん、道尾秀介さんなどの魅力を買って、まだマイナーな頃から積極的に本を売ってきたことや、ツイッターを使った「作家直筆POPフェア」「書店員秘密結社」なども他人に自慢げに話してくれた。今の業界での私の知名度は、ほとんど児玉さんのおかげである。

『尾道坂道書店事件簿』にも、島田荘司さんとの邂逅の回など、何箇所かで私のエピソードが登場する。しかしそれ以上に、書店員としての児玉さんの精力さや、大きな病気に向かって行った強い姿勢が全編から伝わってくる。今でも、悩んだ時や心が折れそうになった時、本書を開く。私の本には、カバーをめくったところに「本もご縁、人もご縁。」との直筆のサインが入っている。

 児玉さんは今でも、全国の書店員の、そして私の背中を、そっと押してくださるのだ。

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啓文社西条店 三島政幸
啓文社西条店 三島政幸
1967年広島県生まれ。小学生時代から図書館に入り浸っていたが、読むのはもっぱら科学読み物で、小説には全く目もくれず、国語も大の苦手。しかし、鉄道好きという理由だけで中学3年の時に何気なく観た十津川警部シリーズの2時間ドラマがきっかけとなって西村京太郎を読み始め、ミステリの魅力に気付く。やがて島田荘司に嵌ってから本格的にマニアへの道を突き進み、新本格ムーブメントもリアルタイムで経験。最近は他ジャンルの本も好きだが、やっぱり基本はミステリマニアだと思う今日このごろ。