『黒百合』多島斗志之

●今回の書評担当者●正文館書店本店 清水和子

1952年夏、15歳の寺元進は父の旧友である浅木氏の別荘に避暑に行く事になります。場所は神戸六甲山。気温が下とは10度は違うという涼しい所です。進はそこで浅木氏の息子、一彦と初めて逢います。一彦は同い年。髪を伸ばしたりしていて、ちょっと生意気だけど2人は段々と打ち解けてゆきます。ある日、2人は池のほとりで倉沢香と出逢う。香も同い年。3人は自然と仲良くなって、一緒に出掛けるようになる。香は目を引くような美人ではないけれど、笑顔が可愛らしくて進も一彦も夢中になってゆく。

この本は、まず表紙が良いです。見る者を、物語の奥に誘うかのようです。開くと活字も素敵でうっとり。そして、この多島斗志之の世界。とても静謐な文章ですが、何か暗い所に堕ちてゆくんじゃないかという不安感もあります。読んでいるとその不安感は何なのかまだわからないけれど。

目の前では、進と一彦と香の爽やかな物語が展開してゆきます。3人の散歩に出掛ける道沿いの、夏草の匂いまでかげそうな瑞々しさ。ずっと浸っていたいです。

ささいな事でも香の関心を得たい。進と一彦は、表には決して出さないけれど、どちらがより香の心を引きつけているのか気になって仕様がないのです。そんな3人の章と章との間には、一見脈絡がない話が入ってきます。進の父と一彦の父が大戦前にドイツ視察をした話、香の叔母の淡い恋愛、そして空襲の最中の殺人......。どこがどう繋がっているのか、全くわかりません。

そうしておいて、最後、全てが繋がってゆくのです!えええーっ。本気で驚きました。どういう事だ〜?と最初に戻って丹念に読み直します。またあの瑞々しさを浴びながら。もっとこの世界にたゆたっていたいよう、と頭半分で思いながら、ここも伏線だった、ここもだ〜とかなり忙しいです。そうやって最後迄読んで納得するけれど、あれ?やっぱり腑に落ちない。そしてまた冒頭から読み直す。それを何回も繰り返してしまいました。普通のミステリーは、伏線がいかにも伏線とわかる予定調和なものが多い気がしますが、この小説は美しい文章にうっとりしている間に最後迄持ってかれた気がします。何か、濃密な霧の向こうで色々な事が起きていた気がしてならない。

『黒百合』、この題名はもしかしたらああいう意味もあるんじゃなかろうか?!と、ハッとしたのは何回も読み直した数日後の事でした。嗚呼またこんな小説が読みたいです。

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正文館書店本店 清水和子
正文館書店本店 清水和子
名古屋の正文館書店勤務。文芸書担当。名古屋は良い所です。赤味噌を笑うものは赤味噌に泣くぞ!と思います。本は究極の媒体だ〜。他の書店に行くのも図書館に行くのもすき。色々な本がすきです。出勤前にうっかり読んでしまい遅刻しそうになり、凄い形相で支度してることもしばしば。すぐ舞い上がってしまうたちです。(特に文学賞発表のときなど)すきな作家の本の発売日は、♪丘を越え行こうよ〜の歌が頭の中でエンドレスに流れてます。誕生日占いが「落ち着きのないサル」だったので、心を静めてがんばりたいです。