『メキシコ麻薬戦争』ヨアン・グリロ

●今回の書評担当者●進駸堂中久喜本店 鈴木毅

  • メキシコ麻薬戦争: アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱
  • 『メキシコ麻薬戦争: アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』
    ヨアン グリロ
    現代企画室
    2,376円(税込)
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 ここ一年ほど麻薬にハマっている。
 いま麻薬が一番アツい。たまらなくアツい。
 ドキュメンタリー映画『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』を観てさらに麻薬にハマってしまった。
 そう、ハマったのはメキシコの麻薬戦争である。

 いまメキシコは修羅の国なのだ。
 
 映画ではアメリカと国境を挟んだ街シウダー・フアレスで毎日銃による殺人が起き、警察官のリチ・ソトは黙々と死体と薬莢を片付ける。この地では警官は「薬莢拾い」と揶揄される。捜査などしないからだ。

 10歳くらいの三人の少年が殺人現場を見物しながら、
「あれはAKー47(ロシア製のマシンガン)だよ、僕の伯父さんもあれで死んじゃった」
 なんて表情変えずに語り合う。

 一方、アメリカのロサンゼルスでは

 ♫手にはAK-47
  肩にはバズーカ
  邪魔する奴は頭を吹っ飛ばす
  俺たちは血に飢えているんだ
  殺しには目がないぜ♫

 と大変物騒な歌をライブでオーディエンスと大合唱しているメキシコ系アメリカ人のキンテロ(27歳)は、メキシコの麻薬密売組織の人間を讃える歌「ナルココリード」のバンドで一旗揚げようとする。

 なぜこのような事態にメキシコは陥ってしまったのか。
 それを知る最良のテキストがヨアン・グリロ『メキシコ麻薬戦争』(現代企画室)である。
本書は近年メキシコで大問題になっている麻薬戦争をアメリカとの歴史的関係や、麻薬ビジネスに変わる人々(ナルコ)に密着した、暴力と文化的背景まで浮き彫りにしたルポタージュである。

 90年代まで、南米の麻薬ビジネスの中心はコロンビアであり、最大の顧客はアメリカであった。トム・クランシー原作のハリソン・フォードの映画『今そこにある危機』(1994)はアメリカ政府(というかハリソン・フォード一人)がコロンビアの麻薬カルテルと対決する映画であったが、これは実在のコロンビアの麻薬組織メデジン・カルテルの超大ボス、パブロ・エスコバルをモデルにしていた。実際に本気を出したアメリカとコロンビア当局によりパブロ・エスコバルは殺害され、コロンビアの麻薬犯罪は沈静化した<パブロ・エスコバルについてはマーク・ボウデン『パブロを殺せ』(早川書房)が詳しい>。

 その後この一大麻薬ビジネスを受け継いだのがメキシコなのである。
 顧客は相変わらずアメリカである。

 現在メキシコには七つの麻薬カルテルが割拠し、縄張りを巡り日夜殺し合いをしている。犯罪を取り締まる公権力はカルテルからの賄賂や脅しで弱体化し、果ては麻薬ビジネスに協力し誘拐までも請け負う地元警察も現れる。

 このように既に法治国家の体を成さず犯罪組織に乗っ取られようとしているメキシコの現状を本書は「犯罪的蜂起」呼ぶ。

 そんなメキシコ国内では2006年からの4年間に麻薬がらみでなんと3万4000人もの死者が出た。これはもう戦争状態であり、「麻薬戦争」と呼ばれる理由である。

 映画『皆殺しのバラッド』で映し出されるシウダー・フアレスはアメリカへの密輸ルートの最重要拠点であるがために複数のカルテルが支配しようと争い、血で血を洗う戦争状態に陥っていたのだ。

 因みにメキシコの麻薬カルテルのひとつであるシナロア・カルテルを題材にしたのがドン・ウィンズロウの小説『犬の力』(角川文庫)。また、コーマック・マッカーシーは『血と暴力の国』(扶桑社ミステリー文庫)や同名映画の脚本である『悪の法則』(早川書房)でメキシコ麻薬密売組織を題材にしている。

 そして最も根が深いと思わせるのが、麻薬密売に関わる人間(ナルコ)が貧困層から英雄視されていることだ。

 貧しい農民の出から金持ちになり、地元には施しを与え、政府やアメリカを敵に回す義賊。メキシコ革命の英雄パンチョ・ビリャのようにアウトローが崇拝される土壌がメキシコにはある。そしてそれが「ナルココリード」という麻薬密売の世界を物騒な歌詞で歌ったバラードとなり、これがギャング・ラップを追い越す勢いでアメリカの移民のあいだでブームとなっている。これらは「ナルコカルチャー」と呼ばれ、美女と麻薬と暴力が必ず登場する低予算ナルコムービーなるものも存在する。

 文学では麻薬密売人の宮殿で生活する少年の視点からグロテスクでシュールなナルコ世界が描かれるフアン・パブロ・ビジャボロスの『巣窟の祭典』(作品社)もオススメである。

 映画『皆殺しのバラッド』(原題は『NARCO CULTURA』なのだ)ではそんなナルコブームで一旗揚げようとするのがキンテロなのである。

 キンテロは言う。
「俺、メキシコとか行った事ねえし、行ってみたらもっと良い歌作れると思う」
 メキシコの麻薬の売人の歌を歌ってて一度も行った事ないのかよ! と観客全員が心の中でツッコミを入れたのは言うまでもないが、まるで高校デビューのヤンキーが暴走族の集会に出たいと言わんばかりに無邪気に修羅の国メキシコへキンテロは足を踏み入れる。

 世界最大の麻薬消費国はアメリカである。その巨大な需要があるからこそ麻薬ビジネスは組織化し、ロシアンマフィア、イタリアンマフィアとも結びつき急速にグローバル化している<ロベルト・サヴィアーノ『コカイン ゼロゼロゼロ』(河出書房新社)に詳しい>。

 本書『メキシコ麻薬戦争』ではこれからの未来、麻薬戦争解決への提言としてアメリカ国内における麻薬の合法化を挙げている。

 つまり麻薬の違法化、撲滅では問題は解決できないところまで来てしまったということである。

 日本人にとって非現実的な出来事に思えてしまうこれら麻薬問題はメキシコ、そしてアメリカでは現実であり、日常に浸透している。
 それらを詳らかに記した本書は、読んでいて目眩がするほどの衝撃の書なのである。

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進駸堂中久喜本店 鈴木毅
進駸堂中久喜本店 鈴木毅
1974年栃木県生まれ。読書は外文、映画は洋画、釣りは洋式毛バリの海外かぶれ。世間が振り向かないものを専門にして生き残りをかけるニッチ至 上主義者。洋式毛バリ釣りの専門誌『月刊FlyFisher』(つり人社)にてなぜか本と映画のコラムを連載してます。