『戦死やあわれ』竹内浩三

●今回の書評担当者●銀座・教文館 吉江美香

 よかったなぁ、店が銀座で! こんなに嬉しいことって久しぶりかも。
 五輪メダリスト達のパレードを目の前で観た。世界の舞台で活躍した選手たちは文字通り輝いていた。

 ひときわ大きな歓声を浴びた体操の内村選手(素敵すぎる!)のお母さまは「生きているからこそ演技が出来る。命が一番大切。」とTVインタビューに応えていた。

 表彰台の一番高い所に立ち、胸に光る金メダルを愛しそうに何回も見つめ最高の笑顔をみせた青年は23才でオリンピックチャンピオンの座についた。

 竹内浩三は大正9年生まれ、現在91才で生きていてもまったく不思議はない。
 しかし彼は終戦4か月前にフィリピンで戦死した。享年23才。無名の一兵卒の多くがそうであったように遺骨のない白木の箱だけが故郷三重県の姉の元に戻った。

 憧れの日大芸術学部映画科に入学し、詩や小説を書き、友と同人誌を創った浩三の作品からはお人好しでお茶目、繊細な心を持つ若者の姿が浮かび上がる。徴兵を目前にして揺れ動く感情が、時に切なく時にシニカルに描かれていく。

 出征後も浩三は書く手を止めることなく対戦車肉薄演習や月の光で銃剣術という余りに荒唐無稽な訓練が続く毎日を克明に綴った。口には出せない不条理な思いを、国のため大君のためと茶化すかのように。つらい行軍で地べたを這いずり廻りながらも空や風、樹木や花や鳥に優しい眼差しを向け詩に託す。サイダー瓶につつじの枝を挿し、兵舎に飾る人間が手柄を立てるご立派な兵士になれるはずもない。

 自分は戦争では役にたたないと自嘲しながらどこか醒めた目で己を、戦時下の日本を見つめる。
「日本よ オレの日本よ オレにはお前がみえない」という叫びは今の日本にそっくりそのまま当てはまる。ポケットにしのばせた小ネズミを愛で、夜の松林に放してやった時には自分がそのネズミであったならと切に願ったであろう。

「注釈なしで憎みたい者を憎み、したいことをする」という理由で、彼のお手本は「子供」だったという。つかの間の平穏な日に弾くオルガンの音色に集まってくる子供たちを浩三がどんな表情で迎え入れていたかが痛いほど伝わってくる。私信を含めて浩三が書いたものの多くが散逸し空襲で失われたことを残念がるのはやめよう。

「遠い他国でひょんと死ぬるや だまって だれもいないところで ひょんと死ぬるや」。

 芸術の子、浩三は今ここにこうして生きていると納得するしかない。
 顔を伏せた草むらで命を慮るより先に、そこ咲く白いりんどうを慈しむ青年はまた銀座で映画を観たいなぁとたびたび夢みる。恋や金の無心に悩んでいた学生時代の浩三はあちこち眺めながら銀座通りをぶらついたかもしれない。真夏のパレードで50万人が熱狂したこの大通りを。

 戦地から姉に宛てた手紙に、差し入れは食べものより本を、と記した彼はもしかしたら教文館に立ち寄っていたかもしれない。
 そう考えたら、とても嬉しくて、すごく悲しくて、泣けてきた。

« 前のページ | 次のページ »

銀座・教文館 吉江美香
銀座・教文館 吉江美香
創業127年を迎える小社の歴史のなかでその4分の1余に在職してるなんて恥ずかしくて言えやしないので5歳から働いていることにしてください。好きな人(もの)はカズオ・イシグロ、木内昇、吉田健一、ルーカス・クラナハ、市川左團次、UKロック、クリミナル・マインド、文房具、生け花。でもやっぱり本がいちばん好きかな。