盛林堂書房 1/2

中央線沿線には古本屋さんが数多くあるが、なかでも西荻窪は駅の近くだけで何軒も古本屋さんが点在している。そのうちの1軒が、南口から徒歩2分の場所にある「盛林堂書房」だ。10坪ほどのお店にはミステリやSF小説がずらりと並び、他にも文学や映画、音楽、美術など、扱うジャンルは幅広い。2代目店主の小野純一さんが切り盛りしており、営業時間は11時から18時半まで。定休日は月曜日。


1月17日(金曜)


 東京に暮らしてずいぶん経つけれど、通勤電車に揺られたことはほとんどなかった。朝の中央線に乗るのは少し憂鬱だったけれど、下り方面にはほとんど誰も乗っていなくて、あっさり座ることができた。

 今日から3日間、西荻窪の「盛林堂書房」の見習いとして過ごすことになった。近所を散策してから「盛林堂書房」へと思っていたら、あっという間にお店の前にたどり着いてしまった。コンビニで買った三陸わかめのおにぎりを頬張っていると、10時30分きっかりにお店のシャッターが上がり、店主の小野純一さんの姿が見えた。

「おはようございます。さっそくですけど、荷物を置いてもらって、開店作業を手伝ってもらいます」。挨拶もそこそこに、仕事にとりかかる。まず、店の外に並べる百円均一の棚を、スタッフのふみさんと小野さんの母とが配置している。棚を出し終えると、そこに百円に値付けされた均一本を運び、並べてゆく。本を並べたままだと重くて運べないから、毎日棚から外して、並べ直しているという。

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「ここに積み上がっているのが均一のネタなんですけど、これをそのまま並べちゃうと、昨日と同じ配置になっちゃうから、並びが入れ替わるようにランダムに持ってきてください。そうすると、3日前には右の棚に並んでいた本が、気づいたら左の棚に入っていたりする。風景が変われば見方も変わるから、毎朝この作業をやってるんです」

 せっせと本を運んでいると、少し息が切れる。10分ほどで均一棚が完成すると、「じゃ、お疲れ」と、小野さんのお母さんは去ってゆく。

 開店準備は続く。次ははたきかけだ。「はたきを横向きにして、空気を入れてあげるような感じで」。その言葉に従って、棚の上から下へ、はたきをかける。はたきはホコリを払うものだと思っていたけれど、そうか、「空気を入れてあげる」。隅から隅まで叩いているうちに、本に餌やりをしているような心地になる。すべての棚にはたきをかけ、モップで床を拭き終える頃には、開店時刻は10分後に迫っている。

「じゃあ、次は棚を整えましょう。これはうちの特徴なんですけど、棚から本が少し出てますよね」。言われてみると、「盛林堂書房」の棚は、本を奥まできっちり押し込むのではなく、棚板の手前にせり出すように並べられている。「うちの先代は、池袋にあった『高野書店』に丁稚で入って、古本屋になった人なんです。『高野書店』の棚が、このやりかただったんです。お客さんが本を棚に戻すとき、ほとんどの場合はこうやって奥まで押し込みますよね。そうすると、お客さんがどの本を手に取ったのか視覚的にわかるから、『この棚はよく触られているのに、動いてないな』と客観的に見れるんですよね。それがわかると、お客さんはどうして買わなかったのか――値段が高かったのか、状態が悪かったのか――分析できるんです」

 これまで僕は、本がせり出して並べられている理由について、考えてもみなかった。理由があるにしても、「そのほうが美しく見えるから」だと思っていた。でも、そこには明快な理由があったのだ。古本屋さんは、思っていた以上に棚を観察している。

 少しでこぼこになっていた棚をきれいに揃えているうちに、開店時刻の11時を過ぎている。一息つくと、小野さんは小さな肩掛け鞄だけを手に取り、「じゃ、神田に行きましょうか」と出かけてゆく。行き先は神保町にある東京古書会館だ。

 古本の世界には「古書組合」がある。東京であれば「東京都古書籍商業協同組合」だ。各都道府県の古書組合は「全国古書籍商組合連合会」を組織しており、この傘下にある古書組合に加盟している古本屋さんであれば、全国各地で開催されている古本の「市場」に参加できる。東京の「市場」は都内4箇所にある古書会館で開催されていて、いちばん大きい会場が東京古書会館である。

 西荻窪の改札をくぐると、小野さんはたったったっと階段を駆け上がる。ほどなくしてやってきた中央線に乗れば、22分で御茶ノ水にたどり着く。ホームに降りると、目の前にエスカレーターがあった。ぴったりの位置に乗ってたんですねと告げると、「もともと鉄ちゃんだったからね」と小野さんがはにかんだ。「鉄ちゃんの中でも乗り鉄だったから、青春18きっぷで"乗りつぶし"をやっていた時期もあって、北海道から沖縄まで、当時あった路線は全部乗りました。短い時間で乗り換えることも多かったから、そのときのことが染みついてて、できるだけ無駄をなくす癖がついてるんです」

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 御茶ノ水から坂を下り、12時10分、東京古書会館にたどり着く。平日は毎日、ここで市場が開催されている。「市場」は、正式には「交換会」と呼ばれる。古本屋さん同士が本を持ち寄って、不要なものを売りに出し、必要なものを落札するため、「交換会」と呼ばれるのだ。

「今週は3階だけなんです」と、古書会館のスタッフの方が言う。

「マジか。ちょっと例年以上に少ないね」と小野さん。いつもは古書会館の3階と4階、ツーフロアに本が並ぶけれど、今日は出品された本が少なく、3階だけなのだという。

 フロアいっぱいに、紐で縛られた古本が並べられている。それを古本屋さんたちが眺めている。紐で縛られたくくりごとに、封筒が添えてある。落札したいと思った場合、希望する金額を紙に書き、この封筒に入れておく。時間になると開札され、一番高い値をつけた人が落札する。

 直接触れずに古本の束を見てまわる人もいれば、気になる本を手にとってじっくり見ている人もいる。黙々と古本に見入っている人もいれば、「あの映画が面白かった」と談笑している人もいる。一見すると、のどかで穏やかな風景にも見える。でも、古書会館に足を踏み入れる前に、「他の方が金額を書いているときは、絶対に手元に視線を向けないように」と小野さんから事前に注意されていたので、どうしても緊張してしまう。ここは市場であり、真剣勝負の場だ。どうすれば自分が落札できるか、お互いにお互いの様子を探り合っているはずだ。

 今日は金曜日で、開催されているのは「明治古典会」という交換会だ。明治以降の初版本や限定本、作家の書画や直筆原稿が並んでいる。小野さんはするすると手早く本をチェックしていたが、ふいに足を止めた。そこで出品されていたのは、井伏鱒二の『河鹿』と『定本侘助』、『白鳥の歌』の3冊セットだ。『河鹿』は、和装本を保管するために使われる「帙(ちつ)」というケースに入れて保管されており、とても美しい状態だ。小野さんは何度か手に取りながら、「帯があるのは初めて見た」とつぶやく。落ちないと思うんだけどと言いながらも、金額を記入して封筒に入れ、会場をあとにする。

「今日はいくつか入れたけど、何も入札せずに、誰かとお昼だけ食べて帰ってくることもありますよ」。帰りの電車で、小野さんが教えてくれた。「同じ古本屋同士、ライバルと言われればライバルなんですけど、それ以上に尊敬すべき先輩だし、仲間なんです。一匹狼でやっている方もいますけど、本を見ている最中にも『あれ、見た?』『見た、見た。状態良いよね』って話し合ったり、『そんな本が出てるの、気づかなかった』『今から戻れば間に合うよ』って教えてもらったり。市場はやっぱり、楽しいですよ。仲間と会って食事することもできるし、半分は気分転換です」

 「市場」は月曜から金曜まで、毎日開催されている。古本屋さんごとに、頻繁を顔を出す「市場」は決まっていて、小野さんの場合は月曜の「中央市会」と金曜の「明治古典会」に行くことが多いという。

 出品される古本は、しっかりとジャンル分けをして一括りになっている場合もあれば、ごちゃまぜで出品されることもある。当然、ジャンル分けされたものの方が値段はつきやすくなる。だから、ごちゃまぜになったものでも、「これをしっかりジャンル分けして何曜日の市場に出せば、あの人が落札してくれるだろう」と判断して、落札する場合もある。「扱っているものは古書だけど、古書を人に売る商売だからね」。中央線の中で、小野さんはそう教えてくれた。

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 神保町でお昼を済ませ、店に引き返すと、新入荷の本をダスターで拭く仕事が待っている。汚れが酷い場合は洗剤を少しつけて、丁寧に拭き取る。ゆっくりと掃除を続けるうちに、日が傾いてくる。小野さんはチラリと時計を確認し、「あと30分もすると、古本屋らしからぬ風景に変わると思います」と言った。

「盛林堂書房」は2013年、「書肆盛林堂」という出版部門を立ち上げ、「盛林堂ミステリアス文庫」というレーベルで出版を行っている。今日はその最新刊である『彼の偶像 岩田準一 作品集』が刷り上がってくる日だ。17時過ぎになると、印刷会社の方がやってきた。納品された本を手に取ると、小野さんの表情が曇った。製本の粗さが気になるらしかった。

「いつもはここまで糊を入れないのに、なんでこんなに入れてるんだろう。背のところも、ちょっと、垂直に入ってないですよね。商品として考えると、この状態だと『取り替えてください』って話が出てくる可能性があると思うんです。申し訳ないですけど、納品は保留してもらって、対応策を考えていただけますか」

 納品された本を受け取らなかったのは、これが二度目だという。

 いろんな角度から本の仕上がりを確認する姿は、今日のお昼、東京古書会館で井伏鱒二の『河鹿』をまじまじと確認する姿と重なって見えた。『河鹿』が出版されたのは1958年だから、61年前のことだ(すぐに計算できてしまう)。それだけ時間が経っているというのに、『河鹿』の表紙の白さは、真っ白に透き通っていた。そうして美しい本を目にしていればいるほど、自身が出版する本にも厳しい目を向けてしまうのだろう。

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「本の状態表記には『イタミ』、『経年並み』、『美本』、『極美』と色々ありますけど、その基準は店によってバラバラなんですよ。それはやっぱり、どれだけ状態が綺麗な本を見たことあるかに尽きるんです。僕は江戸川乱歩の本に関しては人一倍厳しくて――それは乱歩が好きだからということだけではなくて、江戸川乱歩邸にお邪魔したことがあるんです。乱歩邸の蔵には『自著箱』というのがあって、出版社から送られてきた状態のまま、桐箱で保管されているんですよ。大正・昭和初期の時代の本が形崩れもヤケもない状態で残っているのを手に取らせてもらって、『これが本当の極美だよね』というのを見てしまったんです。そうやって本の状態を知るためにも、実物を手にしてみるしかないんですよね」

 小野さんが入札した井伏の3冊は、無事落札できたらしかった。「市場」にもデジタル化の波が押し寄せていて、開札の結果はインターネット経由で確認できるようになっているのだ。「うちは井伏鱒二が通ってくれた店でもあるから、全部帯ありで揃えたいと思ってたけど、それがようやく叶いました」。小野さんの声が少し弾んだ。

盛林堂書房 1月18日(土曜)、19日(日曜)へつづく >>