東京の古本屋 休業期間編

 朝刊を手にとると、「市場の古本屋ウララ」の店主・宇田智子さんがインタビューに答えていた。「古書往来座」の瀬戸さんが、宇田さんのことを「社長」と呼んでいたことを思い出す。あれは何がきっかけで「社長」と呼び始めたんだったっけか。部屋でひとり考えていても答えは出ないから、瀬戸さんに「社長」の記事が載った朝刊を見せにいこうと、久しぶりで「古書往来座」を目指す。

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 店はシャッターが下りていて、「感染防止休業中です。」と書かれた紙が赤いビニールテープで貼られていた。入り口の扉にも同じ貼り紙があり、「準備中」と書かれているけれど、店内には灯りがともっていた。中を覗き込んでみると、こちらに気づいた瀬戸さんが扉を開けてくれる。瀬戸さんは髭を剃っているところで、「マスクしてると、髭剃んなくなっちゃうね」と笑う。

 瀬戸さんに会うのは、3月30日以来、1ヶ月半ぶりだ。最後に会ったのは、東京都知事による緊急記者会見がおこなわれた日で、その中継を一緒に眺めていた。「もし店を閉めてろって言われたら、瀬戸さんはどうします?」その場にいた古本屋さんが尋ねると、「開けます、開けます」と瀬戸さんは答えていた。その言葉を鮮明に記憶している。「閉めてろって言われても、生きてけなくなるから、それは無理かな」と。

 あの日の段階では、緊急事態宣言も出されていなくて、今ほど強く行動自粛が呼びかけられてはいなかった。でも、4月に入ると新規感染者数が右肩上がりに増えてゆき、街に漂う気配も一日、また一日と移り変わってきた。その変化を、「古書往来座」の帳場に立ちながら、瀬戸さんは感じていたという。

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「あのね、変化って言っても、売り上げが減ったとか、そういうことじゃないんだよね」と瀬戸さんは言う。「たしかに売り上げがあんまり良くない日々が続いてはいたけど、たまに売り上げが爆発する日もあって、それはいつも通りのことではあるんだよ。ただ、不安が募ってはいたかもしれないね。僕がずっと感じてるこの場所の特徴っていうのは、大声で『ぶっ殺すぞ!』って叫びながら明治通りを歩いてる人が多めだし、店の前に鬼ころしのパックがたくさん捨ててあることもあるし、街が抱えてる社会性を考えても怖いなとは思ってた。それで、4月12、3日頃かな、タイタイが店番してるときに、マスクをせずにケータイでしゃべりながら入ってきたお客さんがいて、それを他のお客さんが注意したらしいんだよね。それはまあ、今の時代の一シーンではあるなと思ったんだけど、そういう変化はちょっとずつあったかもしれないね」

 「古書往来座」でそんな出来事があったのは、ちょうど東京都が休業要請をおこなう施設を発表した時期だ。都が「基本的に休止を要請する施設」として挙げた業種の中に、「古本屋」が含まれていた。「新刊書店」は社会生活を維持するための生活必需品を扱う店だから休業要請の対象外とされたのに対し、「古本屋」は趣味的要素が強いとの理由で休業要請の対象となったのだ。

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 「古本屋が休業要請の対象だって聞いたときは、すごく驚いたね」と瀬戸さんは振り返る。「いや、役所の人がどんどん線引きをしていくときに、よく古本屋って業種が出てきたなと思ったんだよね。昔は古本屋ってあちこちにあったけど、今はもう珍しいものだと思ってるわけ。ブックオフのことは皆知ってるだろうけど、古本屋ってものが存在することを、役所の人がよく知ってたなと驚いたんだよね」

 東京都の発表を受け、4月15日の夕方、瀬戸さんのもとに組合(東京都古書籍商業協同組合)からメールが届いた。そこには、休業要請の対象となるのはあくまで100平方メートル以上の店舗に限られていること、休業に応じる場合は(100平方メートル以下の店舗でも)協力金が支給されること、協力金を受け取る条件は「5月6日までの休業要請期間中に20日間以上休業すること」とされており、逆算すれば4月17日から休業すれば支給の対象となることがわかりやすく記されていたという。そのメールを読んだ瀬戸さんは、「明日一日考えてから決めよう」と思って、お酒を飲んでいた。そのあいだに事態は大きく動いた。夜になって東京都知事の記者会見がおこなわれ、協力金の支給対象となるのは「少なくとも、明日4月16日(木曜日)から、来月6日(水曜日)までの間、休業などにご協力いただいた方」と発表されたのだ。

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「とりあえず明日、店でお客さんの雰囲気を感じながらじっくり決めるぞと思ってたら、先輩(「古書信天翁」の山﨑哲さん)が連絡をくれて、『明日から閉めなきゃ駄目だよ』って教えてくれたんだよね。でも、それはもう12時近い時間で、酔ってるしさ、とにかくあの日は疲れたね。そうやって連絡をもらってからも、すぐに『よし!』とはなんないよね。だって、寝て起きたら16日なんだよもう。決断するにしても、それは自分の内部を通ってきた決定じゃないから、決断できないよね」

 日付が変わり、4月16日の午前0時22分、瀬戸さんは「古書往来座」のアカウントでツイートした。そこには140字たっぷり使って、「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーむ。」とうなり声が記されていた。

「休業したときの協力金っていうのが、1店舗だと50万円だって言われてたんだけど、その数字がまたジャストな数字だったんだよね。それがね、店開けてるのと同じぐらいの数字だったから。そこで決断するかどうかってことには、店をやっていることに対する思いの積み重ねも影響してたと思う。古本屋をやっていると貯金ができないし、死んでいく一方の商売かもしれないなって、呑気に思ってるわけ。『じゃあ古本屋をやめよう』とは思わないけどね。お店を頑張りたいとは思うけど、店の苦しさというのもあって、『ここで50万もらえたら、ちょっと考え直すきっかけにもなるかな』と思ったり――とにかく疲れてたんだよね」

 ツイートを投稿したあとも、瀬戸さんは決断しきれず、明日の営業をどうしようかと悩んでいた。そこに一通のメッセージが届いた。それは「古書往来座」のお客さんからのメッセージだった。

「そのお客さんはすごく知的で愉快な人で、『名画座手帳』が出ると買いにきてくれるんだよね。『名画座手帳』にはカバーがついてないから、カバーが欲しいお客さんは市販のビニールカバーをつけるんだけど、ページ数が増えるとぴちぴちになるんだよ。それを見て、『バドガールのチューブトップみたいだ』って言って、ここで話して笑ってたんだよね。そのお客さんからメッセージが届いて、開いてみると『瀬戸さん、今年もまたチューブトップの話をしたいです』と書かれてて。それを見て『よし!』と決めたね。いや、その前から休む方向で決まってはいたんだけど、休むにしても納得が行かなかったわけ。でも、そうやってメッセージをもらったことで、強引に営業を続けてここが感染源になったり、ギスギスした空気の中で続けたりするより、お店を休業して、また『名画座手帳』を出すときにチューブトップの話をしようって、そこではっきり決まったね」

 そうして「古書往来座」は4月16日から臨時休業に入った。ただ、休業中も瀬戸さんはいつもと変わらず、12時半頃には店にきて、作業をしている。店の入り口にも「通販営業中」と貼り紙を出しており、インターネット経由で注文が入った商品を発送している。

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「組合からのメールに『ネットなど、非対面営業に対する規制はありません』と書かれてたんだけど、色々基準があるんだよね。たとえばレストランはテイクアウトで営業してもオッケーだけど、古本屋は駄目、とかね。休業要請が出たばっかの頃にさ、ビビビさん(下北沢にある「古書ビビビ」店主・馬場幸治さん)が感染拡大防止協力金相談センターに電話して、古本屋が抱えてるいろんな疑問を確認して、それをツイートしてくれたんだよ。『店を閉めて通販だけ営業するのはオッケーだけど、出張買取はたぶんNG』とかね。一生懸命電話して、それを共有してくれたから、すごく助かった。あの時期、感染拡大防止協力金相談センターに電話しても全然繋がらなかったんだけど、ビビビさんが『500回くらい電話すれば繋がりますよ』って書いてたから、よしと思って僕も電話をかけて。レストランみたいにして、お店の外からお客さんに『この本、ある?』と言われて、『はい、どうぞ』ってテイクアウトするのはどうかって確認したんだけど、それは駄目って言われたんだよね」

 通販の売り上げを伸ばそうと、店内には「ネット入力 最低10件 目標25件 1日で!!」と貼り紙を出した。でも、作業はまったくはかどらず、貼り紙は「最低1件 目標5件」に下方修正された。でも、その目標にさえ届かず、「ここ2、3日は1冊も登録してないね」と瀬戸さんは笑う。

「うちを取材してくれたときにさ、僕が風を気にかけてるのを見て、『漁師みたいだ』って言ってくれたじゃない? たしかに、店を開けるのは漁みたいなものなんだよ。今は漁をしてない漁師だから、つまんなくて。これまで意識してなかったけど、普段は番台に本の山があって、『これはあの人が買いそうだ』とか、『あの棚に置いておけば触る人がいるぞ』とか、『すぐには売れないかもしれないけど、隣の本に目が留まるきっかけになるぞ』とか、そういう企みをいつも試みてたんだよ。臨時休業に入っても、良いアイディアを小気味よく出して、ひとりで楽しく仕事するだろうと思ってたんだよね。どんな思い上がりか知らないけど、そう思ってたんだよ。でも、全然駄目。アイディアなんて全然出てこなくて、毎日『つまんねえ』ってただ思ってるだけだね」

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 臨時休業中に入ってから、店にいると疲れるようになったと瀬戸さんはこぼす(反対に言えば、今までは店番していても疲れなかったということだ)。疲れの原因は「正解を求めてしまうから」だと言う。

「売り上げを落とさずに、お客さんの要望に答えるにはどうすればいいんだろうって、臨時休業に入ってからずっと考えてたんだよ。本棚を写真に取って、即効性のある通販を模索して状況に立ち向かってる同業たちがいて、僕もそれをやんなきゃと思うんだけど、どうも駄目なんだよね。何が正解なんだろう、どうしたらいいんだろうって考えるんだけど、ずっと釈然としなくて。だから店の中でラジコンを走らせたり、"ピストル"撃ったり、歌ったりして過ごしてる」

 ツイッター越しに「古書往来座」の様子を伺っていると、店内に的を設置し、おもちゃのピストルでBB弾を打っている様子が流れてきた。「最近、店にいるとツイッターばっか見ちゃうんだよね」と瀬戸さんは照れくさそうに笑う。「つぶやきもして、ああ『いいね』が欲しい!と渇望する。これも臨時休業中の気づきなんだけど、これまではお客さんと会うことで生存確認してたんだよ。棚に並べた本を見て、『こんな本あったんだ!』って言ってもらう――今まではお店でお客さんから『いいね』が欲しかったの。承認欲求だね。今は店にお客さんがいなくなったから、ツイッターにお客さんを探しちゃうんだよね」

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 嘆きたくないと思いながらも、つい「つまんない」という言葉がこぼれ、ツイッターばかり見て過ごす日々が続く。そんな中ではたと思い出したのは、「古書往来座」を創業したのも5月だということだった。

「うちの店は2004年5月24日にオープンしたんだけど、それに向けて準備をしているあいだ、すごく楽しかったんだよね。もともとクッションフロアだったところに、シンナーをぶちまけて皆で剥がして、棚はここに置こうか、いやそれじゃ狭くなるって相談しながら開店準備をしてたんだけど、あの楽しさを今やっちゃえばいいんだって気づいたんだよ。今までは休業させられてると思ってたけど、これは6月1日への準備だと考えよう、と。それから余計にだらしなくなったの。『だらだらしちゃ駄目だ!』と思って過ごしていて、たぶんそれが辛かったんだけど、だらしなくていいと思った。開店準備中の頃はもっとだらだらしてたし、だらだらしないと良いアイディアが出ないと思ってたんだよね。それに気づいてから、ちょっと楽になったよ。それが僕の遠まわりの正解なんだって思えたんだよね」

 臨時休業を余儀なくされているのではなく、お店の準備をしている――そう思えてから、ようやく店で過ごす時間が楽しくなったと瀬戸さんは振り返る。もうひとつ、臨時休業中の楽しみはお昼ごはんだ。この連載でも触れたように、瀬戸さんは普段、ものの5分で弁当を平らげてしまう。それが今、お弁当を味わいながら食べられるようになったという。

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「お客さんがいるとさ、アンテナを貼っちゃうから、ゆっくり食べてられなかったんだよ。だけど今は落ち着いて食べてるから、お弁当の味のこと、いつもよりおぼえてるんだよね。1時過ぎに武藤さんがきてくれて、相変わらず『三升屋』のお弁当を食べてるんだけど、今日はサバと、あとは和風ハンバーグみたいのが入っててね――」

 ちょうどお店に立ち寄っていた武藤良子さんが、「和風ハンバーグじゃない、メンチ」と割って入る。

 「あれ、メンチ入ってたっけ? とにかく、サバが美味しかった。昨日はね、チキントマト」

 「鶏肉じゃなくて、豚肉ね」と再び武藤さん。

「あ、そう。鶏肉じゃなかった?――でも、美味しかったんだよ。営業中に食べてたら、美味しかったかどうかもおぼえてないもん」

 ぼくが「古書往来座」を訪ねた日、床はブルーシートで覆われ、本棚はビニールで覆われていた。瀬戸さんの中では今、いろんなものを赤く塗るのが流行っていて、店内のそこらじゅうを赤く塗るつもりだという。6月1日、往来座、前より赤いっすよ――そう考えると「ああ、楽しい」と思えるのだと、瀬戸さんは笑う。休業要請から明ける頃、「古書往来座」はどれくらい赤くなっているだろう。




この連載を始めるにあたり、「はじめに」という文章の中で、ぼくはこう書いた。「この連載で登場するお店は偏りのある並びになるだろう」と。

 取材から遠ざかっているあいだ、次に取材するとしたらどこにお願いしようかと考え続けてきた。どのお店に取材するにしても、意味のようなものが発生してしまう。取材するとなれば、特定のお店を選んで話を聞かせてもらうことになる。たとえ何軒かに話を聞かせていただくとしても、そのお店を選んだ理由のようなものが滲んでしまう。そうやって特定のお店を選ぶことは、そのお店のありようが(瀬戸さんが言うところの)「正解」だと提示しているかのように受け取られてしまう可能性もある。

 この2ヶ月のあいだ、古本屋さんたちはそれぞれに選択を迫られ、それぞれの決断をして、今日に至っている(もちろんそれは古本屋さんに限らず、すべての人たちがそうだとも言える)。そこに「正解」や「不正解」があるはずもない。

 古本屋さんの中には、実店舗での販売をメインとするお店もあれば、インターネットの通販専門で営業されているお店もあり、「催事」つまり古書市を中心に営業されているお店もある。実店舗のある古本屋さんであれば、休業要請に応じれば協力金が支給されるけれど、営業補償の対象から外れてしまっているお店もある。行政が「古本屋」に対して休業要請を出したのであれば、営業形態によって補償の可否を決めるのではなく、「古本屋」全般に協力金を支払って欲しいと思う。「催事」という、多くの人たちが集まるイベントが中止となったのも、感染拡大防止に協力する行為だということは明白であるはずだ。

 この「取材後記」のような文章を書いているのは5月25日だ。今日で緊急事態宣言が全面的に解除されるという。

 これで街は元通りになるのだろうか?

 自宅にこもって過ごしているあいだ、ぼくは通販でバリカンを買い求めた。この状況が続けば散髪に出かけることも躊躇われるだろうと思って、数年ぶりに頭を丸刈りにした。これまでは月に一度は美容院に出かけ、髪型を整えてきたけれど、自宅にこもっているうちに「自分は髪型に対してさほど執着がない」ということに気づき、自分で丸刈りにすることに決めた。3ミリに整えた頭を自分で撫でながら、さっぱりした気持ちになるのと同時に、どこか後ろめたい気持ちにもなった。ここ数年間通ってきた美容院の売り上げを、月に数千円とはいえ、減らしてしまうことになるのではないか――と。

 この二ヶ月という時間が、人の行動にどんな影響を与えるのかは、これから徐々にわかってくることだろう。ただ、ぼくにとって古本屋さんは生活に必要不可欠な場所だ。だから、この連載を読んだ人が、これまで何気なく通り過ぎていた古本屋さんにも目が留まるように、言葉を綴っていけたらと思っている。