北澤書店 2/3

1月28日(木曜)


 昨日に続き、今日も曇天だ。午後には雨の予報も出ている。10時半にお店に到着してみると、入り口に、昨日とは違う本の山が積み上がっている。そこに積まれているのは、市場で落札してきた本だ。「北澤書店」は、古書組合による配送サービスを利用している。市場で落札したものを木曜にまとめて届けてもらって、次の洋書会に出品するものを入れ替わりで持っていってもらっている。

 帳場には一郎さんと里佳さんが並んで座り、今日もメールに返信するところから一日が始まる。お客さんから送られてきたメールの中に、「自分の持っている本がファースト・エディションかどうか、買い取ってもらえるとすればいくらになるか教えて欲しい」という問い合わせがあった。ファースト・エディションというのはつまり、初版本だ。

「ファースト・エディションと言っても、値段がピンからキリまであるんだよね」と一郎さん。「サインが入っているのはまた値段が高くなるからね」

「サインが入っていると、いくらになるの?」と里佳さん。

「やっぱり100万以上にはなると思う。それから、コンディションによっても値段は全然違ってくる。こないだ9万9千円で売れた本は、お客様は『状態がいいですね』と喜んでくださったけど、もっと良いコンディションのものを売ったこともある。それは25万円つけて、外国人の旅行者が買ってくれたけど、コンディションによって値段が全然違うんだ。後ろに載っている著者のポートレイトにも、色が2種類あるんだよね」

「それは、どっちが値段が高いとかってあるの?」

「いや、どちらもファースト・エディションであることに変わりはないんだけど、とにかく色が2種類ある。そのあたりは、お客様がどういった意図で本を探しているかによっても価値が変わってくるところなんだよね」

 古本の世界というのは、専門書になればなるほど、骨董品の世界に近づく。つまり、真贋を見抜く知識と目が必要になる。これまで出版されてきた書物の数を想像すると気が遠くなってしまうけれど、「私はちょっとオタク気質なので、マニアックな違いを知ると、ワクワクします」と里佳さんは笑う。

「自分ひとりで一から勉強するんだとしたら気が重いですけど、隣に父がいて、情報が無料で耳に入ってくるのはありがたいなと思っていて。ディスプレイの仕事も同時進行で進めていかないと厳しいので、どうしても自分の仕事に集中しちゃうんですけど、本当なら聞けるうちにもっと聞いておきたいなと思うんですよね。さっき父が話していたようなことって、私はとてもじゃないけどお客さんに話せないので、できるだけ習得したいですね」

 メールの返信を終えると、一郎さんは本の山から7冊揃いの重厚な本をピックアップしてくる。イギリスの考古学者アーサー・エヴァンズによる『ザ・パレス・オブ・ミノス』という本で、火曜日の洋書会で落札したのだという。

「40数年の古本屋人生で、この本は2回しか売ったことがないんですよね。2回ともイギリスに出張したときに手に入れたものだったから、市場で見るのは今回が初めてで。入札の封筒を見ると、結構札が入っていたんですよね。そうなると、うちが入れないわけにはいかないし、入れる以上はちゃんとした札を入れないとマイナス宣伝になってしまう。瞬間的に判断して札を入れたらば、無事に落っこった。比較的高価な本だから、落丁や乱丁がないか、図版の欠けがないか、今日はそのチェックに時間を費やそうと思ってます」

 市場で落札した本は、中身に問題が発覚した場合、返品することもできる。ただし、その期限は一週間と定められているので、早めにチェックしておきたいのだという。一郎さんの語る「うちが入れないわけにはいかない」という言葉に、老舗の重みを感じる。

「それは自分の勝手な思いかもしれないけどね」と一郎さんは笑う。「そこに入れた札を見れば、その業者の状況が大体わかっちゃうんです。見当違いな値段を書けば、『ああ、こいつもヤキがまわったな』と思われかねないから、入れる以上はちゃんとした値段を入れないといけないんです。この人は入れるだろうと思っていた人が札を入れてなかったとすれば、『おや?』と思われるしね。こういうものは、ときどき思いついたように買ったところで売れないんだ。いつも買って、売ってと繰り返している人が勝者になるんですよね」

 一郎さんはブラシを取り出すと、本のホコリをそっと払い、乾いた布で優しく拭く。そうして中身のチェックに取り掛かる。汚れや破損、書き込みがないか。ページや図版に欠けがないか、確認してゆく。その作業を「落丁繰り」と呼ぶ。汚れやページの欠けの確認だけなら、時間をかければぼくにだってできるだろう。でも、図版に欠けがないかどうかをチェックするには相当な知識が必要になる。それを身につけるまでに、一体どれだけ時間がかかったことだろう。

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 1巻目の落丁繰りが終わるころには、1時間が経過している。時刻は13時、一郎さんは手を洗って、お昼ごはんを食べに出かける。外ではもう雨が降り始めていたので、歩いて1分とかからない場所にある「蜀楽」という四川料理の店を選んだ。

「ここは最近オープンした店だけど、ぼくはもう2回来ました」と一郎さん。「新しい店ができるとね、家族はぼくに試食させるんです。前に来たときは麻婆豆腐と坦々麺を食べましたけど、いずれも美味しかった。今日は酢豚にしようと思います」

 タッチパネルで注文すると、5秒後には厨房から「麻婆豆腐、酢豚入ります!」と声が聴こえてきて、ぴったり3分で酢豚定食が運ばれてくる。ほどなくしてぼくが注文した麻婆豆腐もやってきた。四川風と書かれているだけあって少し辛いけれど、ほどよい辛さでごはんが進む。

「神保町にはね、伝統的に中華料理の店が多いんです」。お店からの帰り道、一郎さんはそう教えてくれた。明治時代には清国からの留学生が数多く神保町界隈に暮らしており、その影響で今も中華料理の店が数多く存在する。

「今は立派なビルになってるけど、ぼくがこどものころだと、新世界菜館もまだ木造の建物だったんです。今でも覚えてるのは、シュウマイ。昔はね、新世界菜館でシュウマイを頼むと、付け合わせとして千切りにしたキャベツが載っていて、とんかつみたいにソースをかけて食べてたんです。今ではちょっと想像がつかないかもしれないけど、60年前はたしかそうだった」

 お店に戻ると、一郎さんは薄い鞄から手帳を取り出し、予定を確認する。その薄い鞄には、ヤクルトスワローズのロゴが入っている。

「50を過ぎて日常生活に疲れが出てきたときに、神宮球場にぶらっと入って、ナイターを観ながらビールを飲んでたんだよね。夜空を見ながら、ゲームもまた少しは見ながら、ビールを飲んでいた。そのうちに試合が面白くなって、通うようになったんです」

 今ではヤクルトの全試合をテレビで観るほどファンになり、お店の定休日である日曜には、昼からビールを飲んで野球を観るのが楽しみだという。ただし、ヤクルトだけを応援するわけではなく、他の球団の選手も好きなのだと一郎さんは語る。

「優等生的な答えになっちゃうんだけど、どの選手も好きなんですよ。ヒーローという格好良いものじゃなくて、そこに人間の姿がある。今年から横浜の監督になった"番長"、彼が現役を引退したときの試合は、相手がヤクルトだったの。それでぼくも観てたんだけど、あともう少しで終わりだってときに、センターを守っていた桑原という選手がね、守備をしながら涙を流しているわけ。『この人と一緒に試合をやれるのはこれで最後だ』――ぼくは勝手にそう解釈したんだけど、そうやって涙を流している姿を見ると、ファンになっちゃって。野球選手がユニフォームを着て立っている姿というのがまず、格好良いと思うんだよね」

 お店に戻ると、惠子さんが本の仕分けを進めているところだ。昨日の資料会で落札した海外の絵本を箱から取り出し、仕分けてゆく。ディスプレイ用の本を保管する倉庫に出かけていた里佳さんも戻ってきて、一緒に本を手に取っている。

「なかなか汚れてるね」

「なかなか汚れてるでしょう?」

「でもこれ、綺麗にしてあげれば、お客様によろこばれる本になると思う」

「この本、ウォルター・クレインじゃなかったっけ。ああ、やっぱりそうだ。これも可愛いんだよね」

 テーブルに着くと、里佳さんはインターネットから注文があった本の発送作業に取り掛かる。納品書をプリントアウトすると、一郎さんにハンコを押してもらう。それとは別に、一筆箋を取り出し、言葉を綴る。お礼の言葉とともに、その本がどんな内容のものであるのか、1冊ずつ手書きで手紙を書いているのだという。

「ディスプレイ用に買っていただくお客様にも、こうやって一言添えてお送りすると、1000人にひとりは内容に興味を持ってくださるんじゃないかと思って、手紙を書くようにしてるんです。ときどきお返事をいただくこともあって、それはすごく嬉しいですね。顔は見えないけど、手紙でやりとりすると、ネットの冷たさがなくなるじゃないですか。押しつけがましくなっちゃうかもと思いつつも、どうしてもお客様に感謝の気持ちを伝えたくて、一枚一枚書いてます」

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 今日の注文は3件だが、手紙を書くだけで30分近く経っている。数行で済ませるのではなく、一筆箋はびっしり文字で埋まっている。「まとめて注文が入ると、時間が足りなくなっちゃうから、そういうときは家で手紙を書いてます」と里佳さんは笑う。

「私が扱っているものは、装丁が綺麗だからという理由で注文してくださるお客様が多いんですけど、『この本ってこういうものですよ』とお伝えすると、より愛着を持ってもらえるんじゃないかと思うんです。そこから興味を持ってもらって、作者や内容について調べてもらえると、母体である書店の業務のお客様になってもらえるんじゃないかって期待してます」

 手紙と本をぷちぷちでくるむと、段ボールを組み立てる。使用するシールには「KITAZAWA BOOKSTORE」とプリントされている。もう何年も前に作ったものが残っていて、それをディスプレイの発送にも使っているのだという。「こういうものもコストがかかっちゃうから、私がいちから店をやるのであれば省いちゃうところなんですけど、昔の在庫が残っているので、ありがたく活用してます」と里佳さんは言う。

 両端の長さが均等になるように、丁寧にテープを貼る。それも、いきなりべたっと貼ってしまうのでなく、段ボールの片側に貼り、端っこがヨレてしまわないようにくるんと留めておき、反対側と隙間なく合わせてからテープを貼る。段ボールを組み終えると、本を入れて、まわりに緩衝材をぎっしり詰めてゆく。その緩衝材も、古新聞ではなく、ボール紙を使っている。

「社長も昨日話してましたけど、買ってくださったお客様と受け取ってもらう本に敬意を払っているので、こういうのも雑にできない業務なんです」と里佳さん。「丁寧に梱包された状態で届くと、お客様にも『大切にされてきた本なんだな』と伝わるんじゃないかと思うんですよね。もちろん、どう感じるかは人によってさまざまだと思うんですけど、そう感じてもらえたら嬉しいなって。北澤さんで買って良かったなと思っていただきたい。だから、お客様のためでもあるし、本のためでもあるし、自分のためでもある。効率は悪いんですけどね。注文をたくさんいただくと嬉しいなと思う一方で、発送作業だけで一日が終わるときもあります」

 3件の発送準備を終えるころには、1時間が経過している。

「後でいいので、集荷をお願いしてもらえますか?」里佳さんがそう語りかけたものの、一郎さんは落丁繰りに集中していて、返事はなかった。少し間があって、「集荷を頼む?」と一郎さんが返す。

「はい、3件」

「3件? 3箱?」独り言のように一郎さんが繰り返すと、「ときどき、こう、噛み合わないときもあるんです」と里佳さんは笑う。

 里佳さんが生まれる前にはもう、お店はビルになっていて、住居と店舗は別になっていた。本に囲まれた父親の仕事場を訪れるのが小さい頃から大好きで、機会があれば母親に連れて行ってもらっていた。

「4歳か5歳の頃から、ここにいた記憶があるんです」と里佳さんは振り返る。「おもちゃのマイクで、犬のおまわりさんを歌ったりして遊んでました。今は家族だけでやってますけど、昔は社員さんもたくさんいて、『こんな格好良いお店、他にないんじゃないか』と思うぐらい、自慢の店でした。父は2階で仕事をしていて、昔はもうちょっと厳しい感じだったんですね。2階には商談室もあって、高価なもののやりとりをしていたんです。ちょっとこどもには立ち入れない雰囲気もあったので、たまに2階に上がれると嬉しかったのを覚えてます」

 日曜日はお店の定休日で、一郎さんは自室にこもって本を読んで過ごしていることが多かった。里佳さんが父と一緒に出かけるとすれば、行き先は「三省堂書店」(神田本店)だった。

「日曜日になると、父の運転で三省堂に連れて行ってもらって、それはすごく楽しかったですね。ちょっとバブリーな感じですけど、『好きなだけ買っていいよ』と言われて、6階の児童書コーナーで6冊とか7冊とか、まとめて買ってもらってました。そうやってきっかけをたくさん与えてもらえたので、本の面白さを発見できたんです。今でも読みたい本がたくさんあって、時間がほんとに足りないなっていつも思ってます」

 里佳さんは三姉妹の長女だが、両親から「いつか店を手伝って欲しい」と言われたことはなかった。里佳さん自身も、読書は好きだったけれど、店を継ぐということは考えずに育ったのだという。

「お店自体はクールだなと思っていたんですけど、若い頃の自分には本屋はちょっと地味な仕事に見えていたんです。それに、あの頃はまだ、父はいつまでも元気に本屋さんをやっているっていうふうにしか考えていなかったかもしれないですね。親が老いていくとか、仕事が継続できなくなるかもしれないとか、そういう理解にまで至っていなかったので、私がいなくてもここは順調にやっていけるものだ、と。だから10代の頃は、自分がここに入るっていうよりも、自分が好きなことを探しまわることに夢中だったかなと思います」

 両親が夫婦ふたりだけで店をやると決断したとき、里佳さんは二十歳になったばかりだった。ただ事ではない雰囲気は感じながらも、「いつのまにか二階だけになっていると思っただけで、そんなにピンときていなかった」という。そこからファッション関係の仕事に就き、社会人として鍛えられてゆくうちに、気づけば30歳を迎えていた。

「小さい頃はぬくぬく育ってきたので、就職して初めて社会というものを知って、人間として成長できたんですね。ここから次のステップを考えたいなと思ったときに、久しぶりに店にきてみたら、ひとりもお客さんがいなかったんです。父が何もする作業がなさそうに座っている姿を見たときに、『あれ?』と思ったんです。今まであって当たり前だと思っていたものが、なくなってしまうかもしれない危機感を初めて感じて。これまで英語を勉強してきたわけでもなかったですし、洋書を販売するノウハウもわからないので、気持ちだけじゃ事業を継承するのは難しかったんですけど、ファッション関係の仕事をやっていたので、店に並んでいる洋書を見たときに、打ち出し方を変えればよくなるんじゃないかと思ったんです」

 里佳さんが手伝い始めたころにはもう、惠子さんが店頭でディスプレイ向けの洋書の販売を始めていた。TwitterやInstagramといったSNSが普及していたこともあり、上手に発信すれば若い世代に洋書の魅力を伝えられるはずだという確信が里佳さんにはあった。まずは100人を目標に始めたInstagramは、反響が大きく、現在は1万人近いフォロワーがいる。ただ、当初抱いた確信にまではまだ至っていないのだと里佳さんは語る。「その確信が実現していれば、こんなにあくせく働かなくても、もっとうまく行ってるはずです」と里佳さんは笑う。

 小さい頃から洋書はかっこいいものだと感じていたけれど、仕事として扱ううちに知識も増え、その魅力を再認識した。2017年秋にはホームページをリニューアルし、「KITAZAWA BOOKSTORE」のサイトとは別に、「KITAZAWA DISPLAY BOOKS」のページを立ち上げている。

「ディスプレイとして洋書を扱うということは、入り口としては装丁から入るわけじゃないですか。それって父がやってきた仕事とはまるで違っていて、周囲からも『本を冒涜している』と思われがちではあるんですね。『あの北澤書店も落ちたものだ』とネットで叩かれることも少なくなかった。お店で直接言われたこともあります。同じ洋書を扱いながら、違う目線で商売をするのは、周りからすると理解し難いところもあるかもしれないなと思うんです。でも、父はそれを受け入れてくれた。2018年には店内をリニューアルして、ディスプレイの本を店内に持ってくる決断をしてくれて。その決断って――ほんとに大きな決断だったと思うんです。それはほんとにありがたかったなと思います」

 話を聞いているうちに、昔の記憶が甦ってくる。ぼくの祖母が暮らしていた家には大きな書棚があり、そこには文学全集がずらりと並んでいた。小さい頃の自分には、それはただの飾りにしか見えていなかった。でも、そうして目に馴染んでいたことも、ぼくが読書に興味を持つきっかけになったような気がする。

 戦後の復興期を抜け、高度成長期を迎えると、住宅事情も改善されてゆく。応接間や居間には書棚が設けられ、そこに並べるものとして文学全集や百科事典が次々に刊行され、売り上げを伸ばした。中には一度も読まれることがなかったものもあるかもしれないけれど、そうして飾られていただけの本だって、誰かに影響を与えた可能性はある。

「文字を読むだけなら、紙をバチンバチンと綴じて売るのでいいと思うんです。でも、やっぱりそうじゃなくて、中に書かれている言葉と、それに合わせた装丁があって、初めてひとつの本として完成する。装丁画家さんがいるくらいですから、そこに着目すること自体は全然おかしなことではなくて。同じタイトルでもいろんな版があって、その中で自分の好きなカバーを探すこともできる。昔の革装の本を見ていても、あんなに凝った作りになっているのは、飾りとしても見栄えがいいものを置いておきたいということですよね。綺麗な装丁であることによって捨てられずに済んで、生きながらえてきた本がある。その本がもう一度日の目を見るように繋いでいくのが、私の役目なんだと思います」

「KITAZAWA DISPLAY BOOKS」は、ディスプレイ向けに本を販売するだけでなく、コーディネートも引き受けている。ただし、色やサイズだけでセレクトしているわけではないのだと里佳さんは語る。

「よく勘違いされてしまうところなんですけど、色やサイズの要望に応えつつ、内容もその場所に合ったものを選んでいるんです。インテリアとして本を飾っているお店の中には、パッと見はお洒落なんだけど、タイトルを見るとおかしな並びになっている、残念なディスプレイもあるんです。うちは本屋さんとしてやっている以上、内容も吟味して並べるようにしてます」

 その一例として、「ウィリアム・モリスと英国の壁紙展―美しい生活をもとめて」という展覧会からオーダーを受けたときのことを聞かせてくれた。その展覧会に架空のウィリアム・モリスの書棚を展示したいとオーダーがあり、本をセレクトすることになった。ウィリアム・モリスは1896年に亡くなっているので、20世紀以降の本が並んでいるのは不自然だ。19世紀までに出版された洋書の中から、ウィリアム・モリスが影響を受けた作家や、親交のあった作家たちの本を選んだ。

「ディスプレイの仕事は、『小道具なんだから安いでしょ』って思われることも多くて、なかなか報われない仕事ではあるんです。ただ単に色とサイズの指定にだけ合わせて並べるのは簡単なんですけど、見る人が見ればめちゃくちゃな並びになってしまう。誰も気づかないかもしれないなと思いながらも、やっぱり1冊でも変なの入れちゃうと気になってしょうがないので、予算を低く提示されても、良い本を詰めちゃうんですよね。ただ、ときどき『この本、どこに売ってるんですか?』と問い合わせをいただくこともあるらしくて。こないだ、山の上ホテルのケーキショップにディスプレイさせていただいたんですけど、山の上ホテルは文化人が集う場所でもあるので、見る人が見ればわかる本を置きたいな、と。北澤書店としてやっているからには、100人中ひとりでも『え?』と思うような空間にはならないように心がけてます」

「北澤書店」には、「店内空間撮影は5枚までとさせて頂きます」と貼り紙がある。その下に、「人物撮影(お客様御自身を含む)は有料となります」と書かれている。商用での撮影の場合でも、無料で貸し出すところも多い中、こんなふうに貼り紙を出すのは勇気が要っただろうなと思う。

「私がここでお手伝いするまでは、うちの社長も『どうぞ、どうぞ』と無料で貸し出してたんです。朝6時から撮影と言われたら、社長も無償で6時から立ち会っていたんです。でも、他にはない空間だと思うからここを選んでくださっているのであれば、そこに価値を見出してビジネスに繋げることはやりたいなと思ってました。本を売るっていうだけでは厳しくなっているなかで、何が唯一無二なんだろうということを考えると、空間を提供することや、『この人から本を買いたい』と思ってもらえる存在であることも大切になってくると思うんですよね。北澤書店に行きたいと思ってもらえるような、なにか特化したものを作って提供していけたらなと思っています」

 現在は週に1度、明治古典会の経営員として市場で働きながら、洋書以外の古書についても学んでいる。経営員とは、市場を運営するスタッフを指す。里佳さんは自分から「経営員になりたい」と申し出たわけではなかったけれど、入ってみると同じ30代の古本屋や、2代目、3代目も多く、今後のことを考える糧になっているという。

「コロナの時代になって、本屋さんを続けるのはより一層厳しい状況になったと思うんです」と里佳さんは言う。「店に行かなくても、ネットで買えてしまうので。そんななかで、本屋さんっていう空間をどう残していくのか。今は3人で一生懸命やってますけど、これから両親が高齢になって、全部ひとりでやることになったらどうするのか。そこはすごく悩んでいるところではありますね。ただ、何かに縛られて考えるのだけはやめようと思っていて。そもそも自分で土地を買って開業したわけではなくて、父や祖父がやってきたことに乗っかっているような形なので、自分が自立して商売を続けていくにはどうすればいいかを考えるようにしているんです。どうすれば好きなことを仕事にしてやっていけるか、考えているところです」

 話を聞いているうちに、外に白いものがちらつき始める。天気予報は雨だったのに、東京都心は今シーズン初めての雪となった。

 お店が閉まったあと、ぼくは山の上ホテルに立ち寄った。緊急事態宣言の影響で、バーは閉店中だ。バーとは反対側にケーキショップがあり、美味しそうなケーキが並んでいる。その後ろの棚に、洋書が並べられていた。頭を斜めに捻り、背表紙に書かれた文字を追う。英語がすらすら読めるわけではないので、そこに並んでいる本がどんな本であるのか、ぼんやりとしかわからなかった。いつかは読み取れるようになるだろうかと考えながら、焼き菓子を買う。

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