第十五回 女の100年、まだ旅の途中(前編) 対談ゲスト:斎藤美奈子さん

【対談ゲスト:斎藤美奈子さん(文芸評論家)】

平山 昭和100年を女性史で振り返ろうということで、いろんなジャンルについてさまざまな女性とお話をさせていただきました。「メディア・流行」は酒井順子さん、「結婚、出産、育児」を堀越英美さん、「事件史」は高橋ユキさん、「政治・経済」は佐藤千矢子さん。それで最後の総括でお話をお伺いしたく、お声がけさせていただきました。お引き受けいただき、ありがとうございます。

斎藤 もう何でも聞いてください。

平山 心強いです。いろんな論点もあるかと思いまして、事前にご質問と資料の年表をお送りしていたのですが......

斎藤 はい。拝見して気絶しました。

平山 (笑) 大量にお送りしてしまい恐縮です。私自身、今まで戦前の女性についてピンポイントで「点」で書いてきたところがあるので、流れを把握したいというのもあって勉強がてら作ったものになります。

斎藤 受験勉強じゃないけど、すごいです。同級生のものすごく勉強ができる女の子の友達を思い出しました。

平山 今まではお相手の方に各ジャンルの年表をお送りしてきたんですけど、斎藤さんには全てをお送りすることになってしまい......

斎藤 でも平山さんの本って、こういう感じだよね。どんな本でも資料集めは基本ですけど、たいがいは書く段階で資料の大半は捨てるわけ。でも平山さんは捨てないんだなって。その鬼のような執念で、あれらのご著書ができてるんだと納得しました。『戦前尖端語辞典』とか『化け込み婦人記者奮闘記』とか。その2冊、私が書評を書かせていただいたんですよね。ご存じですよね。

平山 もちろん存じております。その節はありがとうございました。

斎藤 あの2冊は、じつは私が選んだのではなくて「ぜひこれを書いて」ってそれぞれの媒体に依頼されて書いたんですけど、その舞台裏がこの年表でちょっと見えた気がしました。本当に敬服いたしました。

平山 もったいないお言葉です。書評を書いていただいてなかったら、今回オファーをする勇気はなかったです。よろしくお願いします。

女性史における第一の転機は1925年

平山 それでは、まず昭和100年の流れとして何かお感じになったことはありますか? 最初の20年が戦前・戦中、そこから復興、高度経済成長、バブル、失われた30年と続くわけですけど。

斎藤 まず、100年ということでいうと、まさに100年前、大正から昭和に変わる1925(大正14)年が重要な年ですよね。治安維持法と男子普通選挙法が一緒に制定されたのがこの年です。その前はざっくりいうと大正デモクラシーの時代で、その理論的支柱が吉野作造の民本主義。文化的には大衆文化が花開く大正モダニズムの時代ですが、大正デモクラシーの引き金をひいたといわれる米騒動(18[大正7]年)も、被差別部落の解放を宣言した水平社宣言(22[大正11]年)も、労働運動の象徴としての第1回メーデー(20[大正9]年)も、その時代のできごとだった。人権に対する意識がぐんと向上したわけね、この時期に。細井和喜蔵の『女工哀史』が出たのがちょうど1925年です。そういう成果がこの後、どんどん削り取られていく。昭和はそこから始まっている。

平山 そうですね。本当に暗い時代に......

斎藤 入っていく。どんどん下り坂になっていくのよね。婦人参政権運動も戦前からじつは盛んで、市川房枝と、平塚らいてうと、奥むめおが中心になってできた新婦人協会(19[大正8]年結成)が相当がんばって、治安警察法を改正させて女性の政治集会への参加を認めさせたりした。参政権運動もいい線まで交渉が進んだりしてたけれど、全部ダメになるわけです。だから、戦争がなかったら全然違ってたでしょうね、日本のジェンダーの現状は。平山さんからはそこで区切りみたいなこと書いていらしたでしょ?

平山 この対談のための資料に「女性にとって『いちばん大きな断絶』はどこにあると思われますか?」という質問を書いてお渡ししていました。

斎藤 断絶ね。転機がいつかって話ですよね。転機は何回かあるんだけど、一つの転機はやっぱり戦後の憲法24条(注1)と民法の改正、そして婦人参政権の獲得じゃないでしょうか。法律は大事で、それが変わるとガラッと変わる。もちろんそこに至るまでには地道に運動してきている人たちがいて急に変わるわけじゃないし、憲法に関してはGHQの方針もあった。でも大元が変わると意識まで全部変わってくるんですよね。だから昭和の最初の転機は、戦後の民主化ですね。

平山 GHQの意図ではあったけれども。

斎藤 とはいえGHQの意図の背景にもやっぱり活躍した人がいて、日本国憲法に「両性の平等」を入れさせるために、GHQの民政局員だったベアテ・シロタ・ゴードンさんが頑張ったのは有名な話ですよね。彼女は当時22歳でしたが、少女時代に日本で生活した経験があって、日本の女性がおかれている状況をよく知っていた。同時に日本でも、婦人参政権運動をしてきた人たちがいたわけで、そこは両輪でしょうね。

平山 そうですよね。民主主義になって急に女性も国会議員になれますって言われても、人材がいなければどうしようもないですもんね。

斎藤 1946年の戦最初の衆院選では女性候補者が39人当選したんですよ。人数的に言うと、2005年になるまでずっとトップ(注2)だった。大きな転機でした。

女性史における第二の転機は1970年

斎藤 二つ目の転機は1970(昭和45)年ですね。第二波フェミニズム。ウーマンズ・リベレーション。日本式にいえばウーマンリブ運動です。それまでの女性運動は「第一波フェミニズム」といいますけど、要は男性と同等の権利を寄越せという話だった。参政権とか財産権とか教育の機会均等とかの「公的な権利」ね。第二波のウーマンリブは問題の立て方が全然違うわけです。ジェンダー規範、つまり男らしさ女らしさは所与のものなのかとか、性別役割分業(注3)を肯定していいのかとか、個人的な関係を問題にした。アメリカやヨーロッパでは60年代から、日本にもウーマンリブ的活動は始まっていたけれど、1970年にリブ合宿(注4)というのがあったのね。だから70年がリブ元年。

平山 リブ合宿! みんなでヌードになって山に登ったという......

斎藤 いきなりそれ? だいぶ偏見が入ってるなあ。

平山 偏見か。

斎藤 ですよ。イメージがおかしくない? 平山さんみたいに勉強している人でもそうだとすると、あとは推して知るべしだな。ウーマンリブ運動はアメリカから輸入されたみたいなことをいう知ったかぶりの学者がいるんだけど、そうじゃなくて、日本中のいろんなところで同時多発的に、「この男女関係、おかしいんじゃないか?」と考える人たちが職場や地域や大学なんかに出てきたということだと思う。先駆的な存在としては森崎和江(注5)さんとかね。学生運動の中で女子学生は下働きをさせられたとか、職場でお茶汲みをさせられるとかの経験が積み重なれば、そりゃ頭にも来るし、世の中はおかしいと考えはじめる。それで、田中美津(注6)さんなどが音頭を取って、分散していたリブグループが一堂に会して話し合いをしようじゃないか、という合宿だった。見てきたようなことを言ってますが(笑)、夜通し語り合うみたいな感じで、男子は全員締め出した。そうするとものすごく意地悪な報道のされ方をするわけですよ。

平山 なるほど。

斎藤 リブがどれだけ男社会とかメディアのバッシングを受けたかは筆舌に尽くしがたいですよ。今でも性暴力を告発した人に対するバッシングはすごいけど、それ以前の問題で、頭のおかしい女たちが集まって怪しいことをやってるって感じですからね。あなたが言っているのもそれ(みんなでヌードに)に近くない?

平山 田中美津さんが「ヌード山登り会」があったと書いてらっしゃったんだけど、すみません、でもインパクトが大きくて(笑)。

斎藤 だから、そこだけ覚えてるのが変なんだって(笑)。いや、もちろん性の問題は大きかったと思いますよ。「男は奔放でいいけど女は貞淑であれ」という性の二重規範に対する反発も大きかったしね。いろんな試行錯誤があったとは思いますけど。

平山 確かにそうですね。

斎藤 上野千鶴子さんや江原由美子さんたちが出てくるのは80年代でしょ。80年代になって急にフェミニズムは学問になったんだよね。

平山 「女性学」(注7)ですね。

斎藤 70年代は、もっとこう、プリミティブで......

平山 「女性の身体は女性のもの」とか、身体性の回復みたいな面がありましたね。田中美津さんも鍼灸師ですし。

斎藤 そうそう、中山千夏さんの『からだノート』(1977年)という本がベストセラーになったりした。田中美津さんは団塊よりもちょっと世代が上だけど、その頃の熱気というのはすごかった。私は1976年に大学に入ったので、一番熱気があった頃は過ぎていたけど、でもね、「魔女コンサート」(注7)なんていうのがあって......

平山 聞いたことがあります。

斎藤 女性のアーティストたちが集まってリブっぽいコンサートを開くとか、そういうことがいろいろあった。まだまだ熱気があった時代ですよね。70年代の運動の担い手の中心は、主婦、働く女性、あとは学生だよね。高学歴のイメージはあったけど、とにかく市井の人たちだった。ところが、80年代になって「フェミニズム」という言葉が出て来た頃から、構成要員がガラッと入れ替わった。女性学が立ち上がったのは80年代初めで、それ自体は非常に大きな成果なんだけど、主導権がアカデミズムに移ったあたりから、急に難しくなっちゃったんだよね。

平山 なるほど。

斎藤 勉強しなきゃいけないんじゃないかという雰囲気になって、「私はちょっと勉強してないので言えません」みたいな感じになることにリブ系の人は怒っていましたね。

平山 そのあたりから、例えば食であるとか教育であるとか個々のイシューの方に散っていったっていうのは聞いたことがあります。

斎藤 うん。そこから市民運動に行った人たちもいたし、職場の組合で差別と闘った人たちもいましたね。70年代って大衆レベルでも女性の自立がブームだったでしょ。『クロワッサン』とか『MORE』、そういう雑誌が創刊された時代ですよね。

平山 「モア・リポート」があったり。自立女性のイメージとして、桐島洋子さんとか犬養智子さんたちが出てらした(第二回 女の時代、メディアの時代(前編)参照)。

斎藤 ですね。それもあるし、雑誌の特集も多かった。世界的な文脈でのリブの成果は1975年にメキシコで開かれた第1回国連女性会議ですよね。運動としてのリブのパッションをいちばん残していたのは「行動する会」(国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会)じゃないかな。「わたし作る人、ボク食べる人」というインスタントラーメンのコマーシャルを批判して有名になった会ですね。

 でも、じゃあリブの運動がなぜ続かなかったかというと、実感優先、運動優先なので理論がなかったわけです。するとやっぱり私たちの世代は「これでいいのか?」って感じになってくる。70年代後半、新宿二丁目に「ホーキ星」(注8)という女性が集まるお酒も飲める店があったんです。リブっぽいお姉様たちが昼間は働いて、夜は交代で店番に入るみたいなお店で、学生の時によく行ってました。当時は「ホーキ星」の他にはそういう話ができる場所がなかったから非常に貴重な場で。そこで知り合った学生たちとイベントやったりしてたんだけど、「ただ集まって喋っててもね。やっぱり理論が必要だよね」みたいな話になって。そこに出てきたのがフェミニズムや女性学だったわけです。上野千鶴子さんが『セクシィ・ギャルの大研究』でデビューしたのが1982年。その後ですよね、フェミニズムの時代は。ただ、初期のフェミニズムは論争ばかりやってたからなあ。

平山 ああ。

斎藤 なんで団塊世代はああもセクト化するかって思ってましたね。ラジカルフェミニズムだのマルクス主義フェミニズムだのエコロジカル・フェミニズムだの言って論争してるわけです学者さん同士が。普通の人はどうでもいいよって話じゃないですか。大越愛子さんの『フェミニズム入門』(1996年)なんて派閥の解説だった。日本の第二波フェミニズムにも紆余曲折があるわけです。

平山 私は70年生まれですけど、実はリブ運動の情念の感じにちょっと抵抗がありました。

斎藤 うんうん、そうでしょうね。

平山 あと、田嶋陽子さんが「ビートたけしのTVタックル」とかでいじられてるイメージもあってちょっと苦手だったんですけど、それも一つの歴史になった今、あらためて興味が湧いています。今はどう落ち着いていってるんだろうかというところが気になります。

斎藤 いろいろ波を越えてきて、ジェンダー問題を自分ごととして考えよう、変えていこうという人たちが増えたよね。90年代には上野さんの『スカートの下の劇場』(1989年)や小倉千加子さんの『アイドル時代の神話』(1990年)がベストセラーになったりもして面白い時代でしたね。田嶋陽子さんはそれこそ90年代にテレビメディアで一孤軍奮闘してたから見てて辛かったけど、今、再評価されてるでしょ。

平山 そうですね。

斎藤 『愛という名の支配』(1992年)が文庫になったりして(2019年)。あの本は過激だけどおもしろい。家父長制を奴隷船に例えて、甲板に立って指揮してる男と奴隷として船を漕いでる女。当時の人にショックだったかもしれないけど、本質をガーンと言うわけ。柚木麻子さんとか山内マリコさんとか、80年頃に生まれた世代の作家が田嶋さんに影響されたと言っているのは「おお、そうなんだ」でした。

平山 そうですね。『エトセトラ』で特集を組まれてましたね。

斎藤 そうやって、田嶋さんや上野さんもだけれど、それぞれの場で頑張っていたフェミニストは多い。そうした先輩たちの礎の上に私たちはいるわけです。

平山 確かにそうですね。そう考えると、本当に100年のうちのここ3、40年ぐらいのことですね。

斎藤 法律的な分野で言うと、90年代はいろいろ進歩があったんですよ。

政治分野に見るフェミニズム

平山 土井たかこさんが活躍された時代ですよね。

斎藤 自社さ連立政権というのがあってですね。

平山 懐かしい。自民党、社会党、新党さきがけですね。

斎藤 ご存じですか? 自民党と、社会党――途中から社民党なんだけどと、新党さきがけの連立政権で。社会党と自民党が連立か!?と当時は思ったけど、ふりかえると、あの政権は類い希なる中道リベラル政権だった。1994年から98年までの短い政権でしたが、この時に成立したり、審議会がつくられて後に引き継がれたジェンダー関係の法律はすごく多いんですよ。育児介護休業法(95年)、母体保護法(96年)、介護保険法(97年)、男女共同参画社会基本法(99年)、児童売春ポルノ禁止法(99年)、ストーカー規制法(2000年)、児童虐待防止法(00年)、DV防止法(01年)とかね。村山内閣の後にできた橋本内閣の時代には、土井さんが社会党の委員長で、新党さきがけの議員団長が堂本暁子さんだった。堂本さんはその後千葉県知事になりましたが、与党三党のうちの二つの党のトップが女性だったわけです。そうするとやっぱり変わるんですよね。

平山 それは大きいですよね。

斎藤 特に大きかったのは男女共同参画社会基本法。基本法はそのジャンルの憲法みたいなものだから、この法律ができたことの意味は非常に大きい基本法に向けた審議会ができたのが1997年の自社さ政権時代。施行されたのは99年の小渕内閣の時ですが、この時の官房長官が野中広務で、自社さ時代の方針を受け継いだのね。基本法のもとになったのは女子差別撤廃条約で、日本が批准したのが85年。条約に批准して基本法ができたことで、自治体にも条例と男女共同参画室を作ることが義務付けられたわけです。当時はあまり大きく報道されなかったけれど、これがあるとないとでは大違い。男女平等、ジェンダー平等は国策だって言えますからね。ただ、達成されたことが大きいと反動も来るわけで......2003年頃からの数年はバックラッシュの時代だった。保守系の雑誌や新聞のフェミニズムバッシング、ジェンダーフリー教育バッシングはほんとうにひどかった。

平山 年表を作っていて、戦後復興から高度経済成長期の昭和というのは長嶋茂雄とか石原裕次郎とか力道山とか、すごくマッチョな時代だったんだなって思いました。その亡霊が     バックラッシュとして2000年前後にもまだまだ影響してたんですね。

斎藤 というより、昭和の亡霊が息を吹き返したってことでしょうね。特に自民党の「ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」(注9)、あれ、ひどくない?

平山 ひどいですね。

斎藤 座長だったのが安倍晋三だからね。

平山 ああ......

斎藤 安倍晋三、山谷えり子、あと萩生田光一。石原慎太郎が都知事だったしね。主に教育をターゲットにしていたけれど、ジェンダー政策全体に対する横やりですからね。選択的夫婦別姓法案も止まるし。男女混合名簿を使うなと通達するなんてありえないわけじゃない。この十数年ぐらいの間に相当いろんなことが止まった。性教育が遅れているのもそのせいです。その間に、他の国のジェンダー政策は大きく進んだから、おかげで日本のジェンダーギャップ指数が118位なわけです。

平山 ジェンダーフリーをやりたくないというのは、その政治家や政党の支持者に反対している人が多いからでしょうか。

斎藤 支持者というか、この頃からべったりだった統一教会の影響が大きいかもしれませんね。あとは「生長の家」みたいな宗教団体や「日本会議」とかの保守系団体。自民党はそれらと手が切れない。夫婦別姓に反対している理由も結局それ。家族制度が壊れるの何のってごねているけれど、「なんとなく嫌だ」ってだけで、本当はそんなに深く考えていないと思う。安倍さん、石原さん、高市さんはこの流れを汲んでいます。

不同意性交等罪の新設、セクハラという言葉の浸透は大きな進歩

斎藤 とはいえ、それでも80年代の男女雇用機会均等法ぐらいから、法律は変わっていったわけです。直近で言うと、2023年の刑法改正が大きいですね。かつて強姦罪だと言っていたものが、2017年に強制性交罪に変わり、男性も被害者として認められるようになった。あとそれまで強姦罪は親告罪で、被害者が告訴しない限りは裁かれる対象ではなかったんですけど、刑法で裁けることになった。それがさらに2023年、一昨年に不同意性交等罪になったわけです。強制性交と不同意性交は段違いで、不同意性交は性的同意のない性行為のほぼ全てが含まれます。

平山 夫婦でも恋人でもってことですよね。

斎藤 そう、強制性交罪は身体的な暴力が伴わないと認められなかったけれど、不同意性交罪は、暴力や脅迫がなくても、同意がない性行為は基本的に全部性犯罪、性暴力になった。例えば、酔っていたり眠っていたり、権力や経済力を笠に着てたり、恋人同士の間でも嫌という意思が伝えられなかった、みたいなことも全部含める。よく通ったと思うけど、これは超党派の議員立法でしたから、立憲民主党や共産党、社民党はもちろん、与党の自民党や公明党にも頑張った議員がいたんですよ。

平山 何がきっかけでこれを推進しようと思ったんですかね。

斎藤 世界的な流れでいえば、2017年のアメリカから始まった#Me Too運動が大きいと思います。ハリウッドの大物プロデューサーであるワインスタイン事件というのがあって、女性スタッフとか女優さんとかに対して彼は30年間も性暴力を続けてきた。それをニューヨークタイムズの女性記者がずっと取材を続けて、実は私はこういう目に遭いましたってことを実名で言う人が出てきた。それで「Me Too」なわけです。「私も、私も」って。ワインスタインは逮捕されたけど、その過程でMe Tooがハッシュタグで世界中を駆け回って、世界中で告発運動が起きた。これはかつてない動きですよね。

平山 本当ですね。

斎藤 今までだとみんな押しつぶされてきたんだけど、世界中の女性が一斉に声を上げて、日本でもフラワーデモ(注11)とかがあったりして、問題が顕在化した。日本の場合は父親が娘をレイプするという事件が軒並み無罪になってたんですよ。

平山 聞いたことあります。

斎藤 2017年以降も無罪。本人が強く抵抗しなかったから無罪って。おかしいでしょ?

平山 ありえない。おかしい。

斎藤 それはありえんだろということを女性団体や個人が粘り強く働きかけた結果、2023年に法律ができたわけですけど、私はね、これはよくぞやったと思う。

平山 本当にそうですね。

斎藤 自民党の女性議員もじつはかなり頑張ったんだよね。成立したのは、上川陽子法務大臣の時ですけど、法務大臣経験者の森まさこ議員とか松島みどり議員とか、あと稲田朋美も。人権の問題として考えればわかることなんですけどね。その後、ジャニー喜多川、中居正広、松本人志といった人たちの行為が問題になったのも、そういう法的な背景があってのことです。法律でダメなんだといわれるとわかりやすいですよね。

平山 確かに。伊藤詩織さんも公表したのが2017年。

斎藤 その頃ですよね。少し遡ると、セクハラっていう言葉が出てきたのは1989年。

平山 そうですよね。流行語大賞になりました。

斎藤 そう。だけどその時は誰もあんまりピンと来てなかった。セクハラという行為自体は戦前から延々とあるわけです。でも「セクシュアルハラスメント」という言葉ができると、みんなが「あのことか!」って思い当たるじゃないですか。だからやっぱり言葉を作るのも大事ですね。1999年に横山ノック事件というのがあって......

平山 ありましたね!

斎藤 横山ノックが大阪知事時代に、選挙カーの中でボランティアの女子大生の下着の中に手を入れ、結果的に彼は強制わいせつ罪で起訴されましたが、2000年代初めぐらいまでは認識としてはあっても世間の理解度はものすごく低かったですね。

平山 そうですね。

斎藤 隣に座った女が悪いとか、女にハメられたんだとか、横山ノック事件ですら擁護するバカがいっぱいいました。

平山 ああいうときに必ず擁護する人がいるんですよね。不思議だよなあ。

斎藤 「その程度のことでガタガタ言うな」という人が、私のイメージではかつては7割だった。だから「セクハラはダメだ」というコンセンサスができたのは大きな進歩。みんながみんな本当に理解してるかどうかはともかくね。ただ。それでも伊藤詩織さんは日本にいられなくわけじゃない。#KuToo運動の石川優実さんへ風当たりも強かった。バッシングというのも相変わらずあるのが本当に問題なんだけど。

平山 自衛隊時代に性被害を受けた五ノ井里奈さんも。

斎藤 そうそう、五ノ井さんもね。だけど全体の雰囲気として、少なくとも大手新聞レベルでは性暴力はぜったいダメだということになってるじゃない。建前ができるということは結構大事で、その背景としての法律も大事。それは黙ってても手に入らないので言い続けなければならないんです。でもごく不同意性交罪が成立したのは一昨年ですからね。

平山 そうですね。でも、ここ数年で一気に進んだ感はありますよね。(中編につづく)


注1 憲法24 日本国憲法第24条は、日本の家族制度に関する基本原則を定めた条文で、婚姻が「両性の合意のみに基づいて成立」すること、夫婦が同等の権利を有することを明記。また、配偶者の選択、財産権、相続、住居、離婚など家族に関する法律は「個人の尊厳と両性の本質的平等」に立脚して制定されなければならないと規定している。

注2 2005年に抜くまでずっとここがトップ 1946年4月の総選挙の女性衆議院議員数(39人)は59年間超えられず「39人の壁」と言われたが、2005年の第44回衆院選で女性当選者は43人となり、現時点での過去最高人数は2024年衆院選の73人である。

注3 性別役割分業 男女を公的労働(男性)と家庭内労働(女性)に分けて配置する社会的な役割分担の考え方・制度のことで、19世紀の産業化と近代家族の成立のなかで形成され、20世紀に制度化された社会的規範である。

注4 リブ合宿 田中美津率いる「ぐるーぷ・闘う女」、思想集団「エス・イー・エックス」らの呼びかけで、1971年8月21日から24日まで飯山市のヒュッテ鈴荘で開かれた宿泊イベント。全国から300人が参加した。マスコミの取材は女性記者に限定し、取材費1万円を徴収した。初日に20時間の自己紹介ティーチイン、「離婚のススメ」「家出のススメ」などの自主講座があった。その後、場所を変えて3回開催され、これをきっかけに活動団体やミニコミ誌が多数生まれた。参照:田中美津「わかってもらおうと思うは乞食の心」『新編 日本のフェミニズム1 リブとフェミニズム』(岩波書店)、林郁「行動の季節、女たちと」『銃後史ノート戦後篇全共闘からリブへ』(インパクト出版会)、「インタビュー田中美津 未来を掴んだ女たち」『戦後日本スタディーズ6070」年代』(紀伊国屋書店)

注5 森崎和江 (1927~2022年)詩人・作家。九州の筑豊炭鉱地帯を拠点に、炭鉱で働く女性や周縁化された人々の生活史を記録したことで知られる。1960年代以降、女性の労働や身体、植民地主義の問題を独自の視点から論じ、近年は交差性(インターセクショナリティ)的視点の先駆としても読まれている。

注6 田中美津 (1943〜2024年)女性解放運動家、鍼灸師、フェミニスト。日本のウーマン・リブ運動の中心的存在。20代前半に市民運動などに参加していたが、学生運動やヴィルヘルム・ライヒ『性と文化の革命』の影響で女性解放運動に目覚めた。1970年1021日、国際反戦デーの女性によるデモで配った「便所からの解放」という手書きビラは伝説的である。70年代初頭には「ぐるーぷ闘うおんな」のメンバーとしてリブ新宿センターを拠点に活動。75年から4年以上メキシコで暮らし、帰国後に鍼灸師の資格を取得して新宿御苑前に開店、以降は鍼灸師として生活した。著書に『いのちの女たちへ――とり乱しウーマン・リブ論』(河出文庫)など。

注7 女性学 1960〜70年代のフェミニズム運動の高まりの中で欧米の大学に成立した学際的研究分野。Women's Studies。歴史・社会学・文学など既存の学問が十分に扱ってこなかった女性の経験、社会的地位、ジェンダー関係を研究対象とする。日本では1970年代後半から社会学者の井上輝子らにより研究と教育が広がった。

注8 魔女コンサート 月経関連商品のリサーチのために立ち上げた女性たちの会社「レディース・ボイス」が「未婚の母K子さん」裁判闘争救済の資金のために企画した、女による女のためのコンサート。ポスターを山口はるみ、コピーを小池一子、舞台美術を朝倉摂、出演は加藤登紀子、松島トモ子、中山千夏など、基本的には女性だけで運営した。第1回は1974年7月24日に日比谷野外音楽堂にて開催され、3000人を動員。75年、77年と3回開かれた。参考:麻鳥澄江「魔女よベ翔べ!」『銃後史ノート戦後篇全共闘からリブへ』(インパクト出版会)、『資料日本ウーマン・リブ史』『資料日本ウーマン・リブ史』(ともに松香堂書店)

注9 「ホーキ星」 リブの女性たちが運営した夜営業の二階建て一軒家の共同カフェ。一階では定食やビールなどを提供し、二階(6畳、4畳、3畳)では車座形式のライブや中国語教室、「男の料理を女が食べる日」などのイベントが開かれた。1970年代のウーマンリブの文化・交流拠点として重要な存在である。参考:【随筆】「新宿ホーキ星」の頃(司凍季)、『資料日本ウーマン・リブ史』(松香堂書店)

10 「ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」 正式名称は「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」。2005年に自民党が設置した政治チーム。七生養護学校で行っていた性器模型(人形)を使った性教育を保守系議員が問題視したことなどを契機に、学校の性やジェンダーの教育時間を減らすなどした。日本の性教育内容の縮小と教育現場の萎縮を招いたといわれ、教育内容に対する政治介入の象徴的事件として今も語られる。

11 フラワーデモ 2019年に性暴力事件の無罪判決への抗議をきっかけに、松尾亜紀子(出版社エトセトラブックス代表)、北原みのり(作家・フェミニスト)、仁藤夢乃(Colabo代表、当時)らの呼びかけで始まった、花を持って性暴力の被害と司法の問題を訴える市民運動。2019年4月11日に東京で開催されて以降。毎月11日を基本として各地で継続的に開催されている。

斎藤 美奈子(さいとう みなこ)

文芸評論家。1956年、新潟県生まれ。児童書の編集者を経て、1994年『妊娠小説』(筑摩書房)でデビュー。2002年『文章読本さん江』(筑摩書房)で第1回小林秀雄賞受賞。近著に『絶望はしてません ポスト安倍時代を読む』(筑摩書房)、『ラスト1行でわかる名作300選』(中央公論新社)。その他の著書に『モダンガール論』(文春文庫)『戦下のレシピ』(岩波現代文庫)、『中古典のすすめ』(紀伊國屋書店)、『挑発する少女小説』(河出文庫)、『出世と恋愛―近代文学でよむ男と女』(講談社現代新書)など多数。