第十二回 女100年の政治と経済――男女平等、下から見るか?上から見るか?(前編) 対談ゲスト:佐藤千矢子さん
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【対談ゲスト:佐藤千矢子さん(毎日新聞専門編集委員)】
平山 本日はお忙しいなか、ありがとうございます。いつも『ひるおび』(注1)を拝見してます。
佐藤 あっ、『ひるおび』。こちらこそありがとうございます。
平山 佐藤さんのご著書『オッサンの壁』(講談社現代新書)を拝読していると、本当にさまざまなハラスメントに遭ってご苦労された様子が伝わりました。
佐藤 そうですね。私は1965年、昭和40年早生まれで、高市早苗さんより4歳年下です。高市さんとは全然考え方が違うし、問題だと思うことも多いですが、苦労がわかるところもあって、すごくアンビバレントな思いを抱えながら見ているところがあります。
平山 そうだったんですね。
昭和100年のなかのエポックメイキングは
平山 対談の前に女性の政治・経済100年年表を作ってお渡ししましたが、幅広いので......。
佐藤 すごいですね、詳細なもので、大変だったと思います。
平山 政治・経済にあまり詳しくないので、年表を作りながら勉強していたようなところがあるんですけれども、ご覧になって何かお感じになったことはありましたか。
佐藤 100年を通して大きな出来事って何かなって考えたときに、法制度的には当然戦後の憲法(注2)、それからそのもとでの新しい民法(注3)の施行が一つあるのと、女性の参政権(注4)が戦後ようやく認められたこと、その一連の出来事かなと思います。あと、もう一つはグッと時代が近くなりますけども、それまで雇用についての男女の差別を禁じるような法律はなかったのが、国連の女性差別撤廃条約(注5)に伴って男女雇用機会均等法(注6)が初めてできたことです。それ自体は問題の多い法律だったんですが、やはりその二つは100年のなかで大きな出来事だったなと改めてこの年表を見ながら思いました。
あと参政権でいうと、この年表は1926(大正15)年から始まっていますけれども、その1年前の1925(大正14)年に普通選挙法(注7)が成立して、男性の財産制限がなくなり、満25歳以上の男性は全員選挙権が与えられました。だけど女性はそこで排除されました。そこから100年が始まっていて、戦争を経て戦後ようやく女性の参政権が認められたというところがまず一つ、大きかったことかなという感じを持ちましたね。
平山 そうですね。
佐藤 出来事だとそうですし、時代の流れでいうと、高度経済成長の時に、結局地方が衰退して都市化が進んで、「都会でサラリーマン生活する夫とそれを支える専業主婦」という家族モデルが定着したといわれているんです。その後、女性が働くといっても、パートとか制限勤務で働くという、一種の性別役割分担が続いてきた。安倍さんの時代になって女性活躍(注8)をうたって、労働力確保のために女性はもっと働いてくださいということになり、専業主婦だった人をより社会に押し出す効果はありました。専業主婦は少なくなったけど、男性が長時間勤務で働いて女性が短時間労働で早めに家に帰って家事をやって、女性は家でも外でも働かなきゃいけない状況がいまだに続いていることを、この年表を見ながらちょっと噛み締めて思ったってところがありました。
女性はいつも労働の調整弁
平山 なるほど。私は前回、コラムに書いたんですけれども、女性史的にいうと昭和100年は女性が労働市場に出てきたというのが大きな出来事だと思ったんです。もちろんそれより前から家業を手伝うとかありましたが、職住が分かれるようになって、いろんな分野で女性も働くようになって、戦争になると働き手としてすごく求められて。
佐藤 そうですね。
平山 戦後の高度経済成長期に男性が一家を支えられるぐらい稼ぐようになって、それに伴って女性は専業主婦になったけれども、その時点で女性たちはある程度の教育を受けていたので、主婦の傍ら、社会活動をし始めました。その後だんだん景気が良くなってバブルになり、女性たちはブランド物を買ったり自分にお金を使うようになったと言われたりしてたんですけど、実は非正規雇用の人が半分以上という状態でした。今は「失われた30年」でさらに非正規雇用が多くなり。女性はなんだかいつも労働の調整弁という扱いを受けてきたんだなということが如実にわかりました。
佐藤 本当に。雇用調整を女性の多い非正規でやってきたのが日本の雇用システムで、それは日本型雇用慣行とすごく関係しています。正社員には基本、終身雇用で長時間働いてもらう代わりに、長く雇用して首を切らない。なるべく少なめに正社員を採用して、産業構造とか景気の変化で調整が必要になった時は非正規で調整するということが、特に2000年代以降、デフレ経済のもとコストカット経営で凌いでいくことになったので、より鮮明になっています。そのしわ寄せが女性に来る状態がずっと続いている。
平山 そうですね。さらに今後は低賃金の仕事がだんだん外国人に移っていっていますよね。
佐藤 そうですね。確かに。
平山 救われないなあと感じます。
「男並み」を求められた男女雇用機会均等法第一世代
平山 100年間で、女性にとって悪法だったなと思われたものはありましたか?
佐藤 100年ということだと、戦前・戦中を通して続いた明治憲法(注9)と旧民法(注10)ですね。女性の権利が完全に制限されました。NHKドラマの『虎に翼』(注11)に随分出てきましたけど、結婚した女性は無能力者であるという。つまり男性の同意がなければ法的なことはできないとか、財産も夫に管理されるとか。
平山 離婚もできないし。
佐藤 政治活動が制限されるとか、もうこれは本当に悪法だと思います。旧民法は男女差別そのものの、男尊女卑がシステム化された法律なので、女性にとっての悪法っていうと真っ先に思い浮かびます。あとは、旧優生保護法(注12)もありますよね。
平山 確かに。男女雇用機会均等法はどうでしょう。
佐藤 そうですね。私はちょうど1987年入社で均等法第一世代なので、すごく思い入れがあるんですけれども、女性たちが求めたものとは違うものになってしまいました。つまり採用や処遇など、雇用に関わる差別をなくして完全に平等に、ということだったけれども、経営側が「じゃあ総合職と一般職みたいにコース別雇用にして、仕事の内容を変えれば差別ではない」という抜け道を編み出した。銀行の窓口業務なんて典型ですけど、一般職はほとんど女性で、総合職に一部女性を入れて、それで男女差別がないということにしたんです。そして総合職の女性は男性と同じように長時間労働をして潰れていったわけですね。本当は「働き方改革」みたいなものが先に、あるいは同時にあって、男性の働き方をもっと健全にすることと併せてやらないといけなかった。すごく思い入れがあったので......いいですか、個人的な話をして。
平山 お聞きしたいです。
佐藤 私、入社して最初の配属が長野支局だったんです。日経新聞さん以外の全国紙は最初に地方支局に3~4年行ってサツ回りから始めるんです。男女雇用機会均等法は85年成立、86年施行、私は87年入社だからもう施行はされていました。それに伴い労働基準法の女子保護規定(注13)、つまり女性に深夜労働とか長時間勤務などをさせてはいけないという規定をなくしますというのがセットになっていたんですが、弊社の場合、労働組合がなかなかOKしなかったんですよ。そうすると、現場にいる私たちにどういうことが起こるかっていうと、同期の男性記者が私の代わりに1ヶ月に8回ぐらい泊まり勤務になって......。
平山 ああ、他の男性にしわ寄せがいっちゃうんだ。
佐藤 支局長とデスクがいて、あと兵隊とよばれる普通の記者が長野支局だと5、6人いたんですけど、支局長とかデスクは泊まらないので、泊まり勤務は兵隊で順番に回すんです。同期の彼が一番若手だったので泊まりをたくさんやらされることになってしまって。私が泊まれれば彼は月4回泊で済んだんですが。
平山 兵隊!
佐藤 ああ、新聞社は軍隊用語ばっかりなんです(笑)。泊まり勤務は1週間に1回くらいありました。支局の場合だと夜9時ぐらいにはひと通り仕事が終わってみんな帰るんですけど、残って夜回り(注14)に行ったり、警電(警察電話)(注15)をかけたり、何か発生したときにすぐ出ていくとか、誰かを呼び出すとか。支局の宿直室、長野支局はシャワーがなかったと記憶していますけれど、そこに泊まって、朝6時とか7時ぐらいに起きて、また警電から始まって、そのままその日は代休にならずに仕事を続けるという、過酷な勤務なんです。よくやっていたなと思います。それを月8回って、労働基準法違反になりかねないんですけど、それを彼は月8回もやらなきゃいけなかった。当時、多くの支局でそういうことが起こったんです。
平山 それは大変ですね。
佐藤 だから女性記者に支局に来てほしくない。来てもさっさと本社に上がってくれということになる。支局にいると邪魔になるから。だから男性はだいたい4年ぐらい支局勤務やるんですけど、女性記者は1年、2年で本社に上げていくんですよね。そうしないと支局がへばっちゃうので。
私は同僚の若い男の子を見ながら、非常に複雑な気持ちになりました。自分が同じように勤務ができれば、彼はこんな目に遭わないで済むと思いつつ、でもそんなに非人間的な働き方をしたくない。だから申し訳ない気持ちはすごくあるんだけど、代わりにやりたいとも思わなかったですね。彼は4年ぐらい支局にいなきゃいけないのに、私は3年で上がったので、女性は楽してえこひいきされている、みたいなのがすごく可視化されて。本当はそうではないんだけど、形式的にはそういう構図になっちゃうんですよ。
平山 それじゃあ逆恨みされちゃいますよね。
佐藤 そうそう。支局の3年目、最後の年に労働組合が折れて、女性記者にも泊まり勤務をさせることになり、試行的に月1回から始まって、だんだん増えていきました。私が本社に上がった後に入ってきた女性記者は男性と同じように対等に泊まり勤務をやるようになったんです。男性と同じように長時間勤務も深夜業務もやるって、本当に雇用機会均等法の問題が凝縮されているというか、象徴的な例だと思うんです。
それは女性記者が求めていたことでもないし、健全なことでもない。そういう時代がすごく長く続いて、その後何十年経って、「警察にそこまで張り付く必要ないね」ということになり、記者の健康と天秤にかけたらどっちが大事かということから、働き方改革もやるようになって、だんだんそういう議論が増えてきましたね。最近はもうほとんどの支局で泊まり勤務ではなく、転送電話になりました。当番は決めているんですけど、家に帰って転送電話がかかってきて、何かある時は対応する。もっと早くできたことなんだけど、割と最近までそういう形でやってきたわけです。
雇用機会均等法は当時から問題がある法律だと言われながら、それがわかっていても一歩踏み出して雇用の平等に少しでも近づくような法律がなければということで、女性たちも賛否両論の中受け入れたところがありました。そういうことも含めると、完全に悪法とは言えなくて、問題をはらみながらも一歩進めたという思いと、ちょうど自分の同時代感がものすごくあるので、すごく大きな法律だったなという思い入れがあります。
平山 なるほど。労働組合も泊まり勤務自体を問題にすればよかったですね。
佐藤 そうなんですよ。そういうふうに動いてほしかったんだけど、そうはならなかったんですね。
平山 労働組合も男性が多いんでしょうか。
佐藤 そうですね。女性部がありますけどまだ力がないので。世の中全体にそうですよね。長時間勤務をこそ問題にすべきと、いろんな女性団体とかも声を上げたけれど、それは結局通らなかったんです。まだ右肩上がりで「24時間戦えますか」(注16)というCMが流行ったような時代ですから。働いて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(注17)と言われて、成長することがいいことだって、そういう時代だったので、そこはなかなか。
「男女平等」によってドロップアウトしていく女性
平山 女性も男性ぐらい働けるところを見せたい面もあったんでしょうか。
佐藤 そうそう、なんかおかしいなと思いながら。でも多分やってみせないとわかってもらえない、「やれない人が外から無責任に言っている」というふうにしかとられないというところがありました。新聞記者の世界はそうだし、多分日本のサラリーマンの世界が当時はそうだったのだと思います。「俺たちが国を支えているんだ、家庭を支えているんだ、会社を支えているんだ。女性は働きもせずに偉そうなこと言うな」と。「そうじゃないんだよ」と言うためには、「私たちもやれるけど、それはおかしいでしょ」と、その考え方自体全然正しいと思わなくても、まず見せないといけませんでした。当時、若かったというのもあるけれど、そこをくぐらないと、っていうふうに思っていましたね。
新聞記者の世界では、政治部とか社会部は一種花形の職場だけど女性記者は配置されなくて、暮らし関係とか学芸関係に回されていました。そこだと夜回り朝回りとか日常的にやる必要もないし、めちゃくちゃ体がきついわけでもないので。女性記者は完全に配置も分けられていました。そうすると、男性と同じように長時間でも休日でも深夜早朝でも働いて、政治部、社会部でやれるんですよ、というところを見せないと壁を突破できないんだろうなって思いましたね。
日本企業全般にいえることですが、評価システムがちゃんとしていない。メンバーシップ型雇用(注18)であってジョブ型雇用(注19)ではないので、会社に就職してジェネラリストとしていろんな仕事をやっていかなきゃいけないんです。この職種をやりなさいということで採用される形ではないので、この仕事ができるから評価されるのではなくて、結局長時間いつでも働きますということが一番の評価基準になる。今でもそういうところありますけど。
平山 従順さが求められる。
佐藤 そう、従順。会社の言うことを聞いて長時間勤務をして、あと転勤にNOと言わない。これが日本のサラリーマンの大きな条件。今はだいぶ変わってきましたけど、つい最近までそれが絶対条件みたいなところがあった。女性はそれはできないでしょうと。認めてもらうためにそれを一生懸命やろうとして、どんどんみんなドロップアウトしていく。雇用機会均等の第一世代というのは、そんな非人間的なことをやれないっていう歴史だったと思いますね。ちょうど私はその世代なんです。
平山 兵隊として散っていく......。
佐藤 高市さんは会社員として働いた経験がないはずなのでちょっと違うんでしょうけど、でも多分世代的に同じ感覚があって、男性社会に同調して男性と同じように働かないと出世の階段を昇れない。ましてや高市さんの場合は世襲議員でもないし、コネがあるわけでもないので、とにかく頑張って働きますといって来た人なんだろうなって、なんとなくわかる気がするんです。辻元清美さんがよく高市さんのことを「よう頑張ったな、考え方全然違うけど、その苦労はわかるよ」という趣旨のことをいろんなところでしゃべってますけど、イデオロギーを超えて、そういうシスターフッドみたいな感じはありますね。特にあの世代は苦労した感じがあるかなと思っています。
ジェンダー問題で重要なのは「制度」「慣行」「意識」の改革
平山 今、辻元さんのお名前が出ましたけど、私最近、これを読みました。辻元清美さんと野田聖子さんが今年出された対談集『女性議員は「変な女」なのか』(小学館新書)。
佐藤 ああ、はい。
平山 野田さんはずっと自民党、辻元さんはずっと野党でどちらかというと対立するイメージだったんですけど、お二人はほぼ同期で実はすごく仲が良いそうなんです。女性議員でいることの大変さとか、女性議員を増やすためにそれぞれが行っている試みとか、議員立法を一番の任務として考えていたりと共通点が多々ある。辻元さんはNPO法(注20)を作ったり、野田さんはお子さんが障がいをお持ちで、医療的ケア児支援法(注21)を作ったりされていて。野田さんは辻元さんに「自民党にいた方が法案が通るよ、おいでおいでって言ってる」みたいな話をされてて驚きました。そういう関係性って意外とあったりするんですね。
佐藤 女性議員同士は、わりとそういう繋がりはあるかもしれませんね。そうか、このお二人が仲がいいってあんまり知らなかったんですけど。
平山 辻元さんが選挙に落ちたときは、野田さんが「ちゃんとご飯食べてる?」って連絡してきて、毎月毎月レトルトのご飯を送ってくれたって辻元さんが話していました。
佐藤 えー! でも「ご飯が食べられる」ってそういう意味なんですか、お金がないわけじゃないでしょう。
平山 実は苦労されてるみたいです。
佐藤 そうですか。
平山 その話も本のなかで細かくされていました。あとは辻元さんはおひとり様なので、ひとり暮らしの女性の老後についても話されていて、すごく興味深かったです。
「昭和100年女リレー」の企画で年表を作ってみて、極論してしまうと、結局は法律と景気しかないんじゃないかっていう気がしてきまして。法律で女性の機会均等を作り、景気で仕事を増やす。そうすれば自ずと住みやすい社会になるのでは、という気もしてきたんですが、どう思われますか?
佐藤 ジェンダー問題を語るときによく言われるのは、「制度」と「慣行」と「意識」の三つの要素。これが今、悪循環になっているって言われているんですね。「制度」というのは、男女雇用機会均等法とか育児・介護休業法とか、いろんな法制度が整備されることです。最近で言うと103万円の壁のような働き控えにつながるような税制とか、そういう仕組みのことです。「慣行」というのは、終身雇用、それで非正規で雇用調整するとか、長時間労働。これらは法制度ではないので企業の判断で変えてもいいんだけど、日本型の雇用慣行や労働慣行がそうなっているということです。「意識」というのは、さっき言った性別役割分担意識、相変わらず男性が外で稼いで女性は家庭の中のことをやる、それがいまだに非常に根強く残っているということです。
法制度を変えることができるのが政治家なのは間違いないんだけど、慣行とか意識は政治だけでは解決できません。最近よく、いろんな女性議員の方から「女性の人数を全体の3割に増やすのにはどうしたらいいか」とかについて意見を求められるんですが、意思決定に関わるような人たちを上に引き上げる、企業で言えば管理職とか取締役に女性を増やすことも大事なんですけど、それだけでは......。
フェミニズムの前進には下からのボトムアップも重要
佐藤 リーンイン・フェミニズム(注22)と言う言葉を聞いたことがありますか?
平山 ないです。
佐藤 シェリル・サンドバーグ(注23)という、昔フェイスブックのCOOをやっていた女性が『リーン・イン』っていう本を10年くらい前に書いたんです。シェリルみたいな立場の、社会に対して影響力のあるいわゆる管理職層みたいなところに女性を増やして、発信力を高めましょうということですが、エリート女性を増やせば何とかなるのか、みたいな批判にも繋がっています。管理職を増やすのは大事だし、それ自体が達成できてないんだけど、それだけだと響かない。特に格差が開いている社会になっているので。
よく男女共同参画局みたいなところが主催して、地方でセミナーとか講演とかやると、成功した女性が「みなさん頑張りましょう」とか「女性議員増やしましょう」とか、そういう話をされるんですけど、聞いている方からすれば、例えばシングルマザーだったら子どもを抱えて低賃金で働いて、家帰って子どもの世話もしてそれどころじゃないよと。じゃあ女性の国会議員を増やしたらなんとかしてくれるのかって言ったら、なんともしてくれないじゃないかと。女性がリーダーになっても、おそらく高市さんのような人だと何ともしてくれないんじゃないかと、格差にはあまり関心もないと思うので。
やっぱり上を引き上げるだけじゃなくて、下をもっとボトムアップさせるとか、格差を少なくすることが必要です。非正規が多い、賃金格差がある、根強い性別役割分担意識がある、そういうところを変えていくには、おそらくもうちょっと草の根のことをやっていかないと変わらないところがある。そこが今すごく深刻になってきているなと思っています。
アメリカの政治学者でフェミニズム理論家のナンシー・フレイザー(注24)という有名な人がいるんですが、彼女が朝日新聞(11月19日朝刊)のインタビューに答えています。高市さんが首相になったことを受けてしゃべっていることが参考になったのでちょっと紹介します。
「女性が首相になったという事実だけで、フェミニズムが前進したとは言えない」。サッチャー元首相(注25)は典型例で、彼女は「労働者や福祉に厳しい政策を進め、多くの女性や弱い立場の人びとの生活を損なった」。「ごく少数のエリート、いわば上位1%の世界だけで男女比を整えても、残る99%の女性たちの賃金、働き方、ケアの負担が変わらないままで平等と言えるだろうか。言えない」と。そういう発信をしていて、まさにそうなんですよね。
女性全体が普通に働いて普通に処遇される世界を実現していくにはどうしたらいいかっていうところに目を向けないと、偉い女性だけ増やしても、なかなかうまくいかないなっていうところに今来ているんじゃないかなと、とても思います。
あと、社会学者の菊地夏野さん(注26)っていう人が、これはカンテレニュースデジタルというところで、2021年に、今のナンシー・フレイザーと同じような趣旨のことを話しています。ちょうど2021年の自民党総裁選の候補者が野田聖子さんと高市さんと岸田文雄さんと河野太郎さんの4人で、初めて女性が2人出たんですけど、社会学者の菊地夏野さんの分析によると、女性が2人出たことでいろんなメディアが女性の特集をしたけれど、話題は政治家をどう増やすかとか、企業の中で管理職をどう増やすかとか、そんなことばかりだったと。恵まれない女性たちのことを、一部の貧困の問題とか福祉的な対象としてしか見ていない。社会全体の構図から来ていると捉えてないんじゃないですか?、と。ナンシー・フレイザーと共通するようなことを言っています。1%の女性たちが競争社会を勝ち抜いて上へ行くことだけじゃなくて、残りの99%の女性がもっと声を上げやすい社会にするにはどうすべきかを考えるべきだっていうことを言っています。
映画『女性の休日』にみるアイスランドのフェミニズム運動
それでいうと、最近すごく話題になっている『女性の休日』(注27)というアイスランドの映画を11月に観に行ったんです。今から50年前、1975年に起きた女性たちによるゼネストを描いた映画です。ストライキというとなかなかみんながついてこられないので、今日一日は女性の休日にしましょうと言って、今から50年前の1975年の10月24日に、アイスランドの女性の9割ぐらい、主婦から何からいろんな人が職場や家庭の仕事を放棄したんです。
平山 そんなことがあったんですか!
佐藤 その日は男性が子どもの世話をしなきゃいけないし、料理をしなきゃいけないしで、いかに女性にいろんなことを押しつけてるかということを男性に認識させた日だったんです。その頃、アイスランドも全然男女平等じゃなかったんだけど、今はいろんなランキングで1位になるような国になって、やっぱりそういう50年前の経験から少しずつ少しずつ積み上げていって今があることを言っている映画なんです。
観終わった後にアイスランド政治研究者の塩田潤さん(注28)のトークショーがあって、質問もできたので、どうして今から50年前にこんなことができたのか聞きました。日本だとちょっと考えられないじゃないですか。塩田さんは、労働組合の組織率も高いかもしれないけど、主婦同士で集まったりとか、地域のコミュニティがたくさんあって、そういうものの積み重ねが大きかったという分析をしていました。やはり草の根のいろんな運動になっていかないと、男女平等ってなかなか達成できないのかなと思います。普通の人がお互いに声を上げて、悩みを共有して、少しずつ輪が広がって運動になって、それで上を動かすようなことを同時にやっていかないと限界があるなと最近、とても感じます。
平山 そうですね。今はSNSもあるから、もうちょっと横のつながりができてきてもいいと思いますけどね。でも、日本って「運動」アレルギーがあるのか、いまいち団結しないですよね。
佐藤 デモとかあんまり好きじゃないですしね。すぐレッテルを貼るし。声を上げるとか人と違うことするとか、政治的なことを話すのに対しての教育ができてないですよね。人と議論しないように教育されているっていうのが大きいと思います。
平山 どうしたらいいんだろう。(中編に続く)
注1 『ひるおび』 TBSテレビ系列で平日に生放送されている情報番組。総合司会
は恵俊彰と八代英輝で、佐藤さんは選挙や政局など政治の話題がある際に出演している。
注2 戦後の憲法 1946(昭和21)年11月3日公布、翌年5月3日に施行された103条からなる「日本国憲法」のこと。基本原理は国民主権・基本的人権の尊重・平和主義。
注3 新しい民法 1947(昭和22)年12月22日に日本国憲法の基本原理に基づき、第4編(親族法)・第5編(相続法)を中心として改正された民法のこと。旧民法との大きな違いは、家・戸主の廃止、家督相続の廃止と均分相続の確立、婚姻・親族・相続などにおける女性の地位向上など。
注4 女性の参政権 1945(昭和20)年11月21日に治安警察法が廃止され、女性の結社権が認められる。12月17日の改正衆議院議員選挙法公布により女性の国政参加が認められ、1946年(昭和21年)11月3日に公布された日本国憲法により女性参政権が明確に保障された。
注5 国連の女性差別撤廃条約 正式名称は「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(Convention on the Elimination of all forms of Discrimination Against Women, CEDAW)」。1979(昭和54)年12月18日に、国際連合第34回総会で採択された公平な女性の権利を目的に女子差別の撤廃を定めた多国間条約。これにより、日本では勤労婦人福祉法を改正し、男女雇用機会均等法に改題。国籍法を改正して父系血統主義から父母両系主義にした。
注6 男女雇用機会均等法 正式名称は「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」。1972(昭和47)年に施行された「勤労婦人福祉法」が何度か改正を経て現在のかたちとなった。5章33条から成り、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保、性別を理由とする差別の禁止、事業主の講ずべき措置、事業主に対する国の援助などが規定されている。
注7 普通選挙法 1925(大正14)年に制定された、満25才以上男子による普通選挙を規定する法律で、1900(明治33)年制定の衆議院議員選挙法を全面改正したもの。それまで選挙に参加できる資格は、男子にして年齢満25歳以上であること、選挙人名簿への掲載から満1年以上、府県内で直接国税15円以上を納めている者であることなどの制限があった。
注8 女性の活躍 正式名称は「職業生活における活躍の推進に関する法律(女性活躍推進法)」。2015(平成27)年9月4日に公布された。具体的には、2016(平成28)年4月1日より、301人以上の労働者を雇用する事業主は、女性の活躍状況の把握、課題分析を行ったうえで一般事業主行動計画の策定と届出・外部への公表が義務付けられ、そのうち優良な企業は「えるぼし認定」を受け、商品や広告に認定マークがつけられ、日本政策金融公庫による低利融資の対象となる。
注9 明治憲法 大日本帝国憲法。1889(明治22)年公布、1890(明治23)年に施行された東アジア初の近代憲法。天皇の下にある中央政府に国家権力が集中され、帝国議会の設立が規定され、三権分立が明文化された。臣民の財産権を保障し、居住移転の自由、職業選択の自由を与え、徴兵制度を採用。納税が義務化され、「華族令」を定めて華族に身分的特権を与えた。
注10 旧民法 1896(明治29)年に定められた総則、物権法、債権、および1898(明治31)年に定められた親族法、相続法の五編で構成された法典で、1898(明治31)年に公布、施行された。「家制度」を基盤とする家父長制を採用し、戸主に全財産と地位を継承させ、妻は夫の許可なしでは行動できないなど封建的な内容だったが、1947(昭和22年)に憲法改正と同時に現行民法に改正された。
注11 『虎に翼』 吉田恵里香脚本、伊藤沙莉主演の2024(令和6)年度前期放送のNHK「連続テレビ小説」。日本初の女性弁護士、判事、裁判所長を務めた三淵嘉子をモデルにしたフィクション。戦前から戦後、高度経済成長期に至る激動の時代に、女性の社会進出、ジェンダー、戦争、法と正義、人権などの骨太なテーマを真正面から扱い、とくに女性から支持された。
注12 旧優生保護法 1940(昭和15)年に公布された「国民優生法」を踏襲し、1948(昭和23)年から1996(平成8)年まで存在した法律。優生思想の見地から、不良子孫の出生防止、母体保護を目的とし、強制不妊手術、人工妊娠中絶の合法化、受胎調節、優生結婚相談などを定めていたが、優生思想は障害者差別であるとして削除され、1996(平成8)年の法改正で「母体保護法」に改められた。なお、2024(令和6)年には最高裁判所大法廷が違憲の判決を下した。
注13 労働基準法の女子保護規定 労働基準法では、女性労働者に対して、労働時間・深夜業に関する制限、危険・有害な業務からの隔離、母性・生理機能の保護と手当などの保護規定があった。しかし、男女雇用機会均等法、それに伴う労働基準法の改正の際に見直され、最終的に母性保護を除いたほとんどが解消されることになった。
注14 夜回り 捜査関係者らの帰宅時に家の前などで待ち伏せして取材をする手法。以前は「夜討ち」といった。
注15 警察電話 管内の警察電話に電話すること。
注16 「24時間戦えますか」 三共(現・第一三共株式会社)の栄養ドリンク『リゲイン』のコマーシャルに使われたキャッチコピー「24時間、戦エマスカ。」は1989年の流行語大賞を獲り、バブル経済絶頂期を象徴する言葉となった。
注17 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」 高度経済成長期の日本を分析した社会学者エズラ・ヴォーゲルの1979年の著書『ジャパン・アズ・ナンバーワン(Japan as Number One: Lessons for America)』から、流行語となった。
注18 メンバーシップ型雇用 先に人材を確保し、後から仕事を割り当てる雇用形態のこと。新卒一括採用などがこれにあたる。
注19 ジョブ型雇用 経団連の「Society 5.0に向けた大学教育と採用に関する考え方」内の定義によれば「特定のポストに空きが生じた際にその職務(ジョブ)・役割を遂行できる能力や資格のある人材を社外から獲得、あるいは社内で公募する雇用形態のこと」
注20 NPO法 正式名称は「特定非営利活動促進法」。1998年3月19日に成立した、ボランティアなど市民が行う自由な社会貢献活動としての特定非営利活動の健全な発展を促進し、もって公益の増進に寄与することを目的とする。
注21 医療的ケア児支援法 2021(令和3)年6月に議員立法で成立した、経管栄養や人工呼吸器などの医療的ケアを受けて暮らす医療的ケア児・者に対する支援の強化を目的とする法律。
注22 リーンイン・フェミニズム 2013年にシェリル・サンドバーグが出版した『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲("Lean In: Women, Work, and the Will to Lead")』(村井章子訳、日本経済新聞社)。多くの女性が無意識のうちに自らの可能性を制限しているという現実を指摘し、「一歩踏み出す」(リーン・イン)ことの重要性を訴えた本で、全世界で150万部以上、日本でも10万部超の売れるなど話題になった。ただし、ミドルクラス、白人、出世欲があるなど一部の特権的な女性に当てて書かれた悪質なフェミニズムとして批判もされた。
注23 シェリル・サンドバーグ Sheryl Kara Sandberg。1969年生まれ。Facebookの最高執行責任者、活動家、作家。2008年に[4]。米国財務長官の下で職員のチーフ、Googleのグローバル・オンライン・セールス・アンド・オペレーションズの副社長を歴任。雑誌『タイム』が選ぶ、世界で最も有力な100人に選ばれたことがあり、10億米ドル以上の資産を持つとも報じられている。
注24 ナンシー・フレイザー Nancy Fraser。1947年生まれ。米ニュースクール大名誉教授。専門はジェンダー論、批判理論。邦訳された著書に『正義の秤―グローバル化する世界で政治空間を再想像すること』(向山恭一訳、法政大学出版局、2012年)、『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』(江口泰子訳、ちくま新書、2023年)、共著に『99%のためのフェミニズム宣言』(人文書院)など。
注25 サッチャー元首相 Margaret Hilda Thatcher。1925年 - 2013年。イギリスの第71代首相であり、ヨーロッパ及び先進国史上初の女性首相。新自由主義に基づき、インフラの民営化と規制緩和・金融システム改革を断行。鉄の女の異名をとった。
注26 菊地夏野 1973年生まれ。フェミニスト、社会学者。おもな著書に『ポストコロニアリズムとジェンダー』(青弓社 2010年)、『日本のポストフェミニズム :「女子力」とネオリベラリズム』(大月書店 2019年)、『ポストフェミニズムの夢から醒めて』(青土社 2025年)など。
注27 『女性の休日』 アイスランドの全女性の約9割が1975年10月24日に仕事や家事を一斉にやめて、一日ストライキをしたことのドキュメンタリー映画。パメラ・ホーガン監督。その後、アイスランドは最もジェンダー平等が進んだ国になっていった。
注28 塩田潤 1991年生まれ。政治学、政党論および社会運動論の研究家。おもな論文に「市民熟議と政党の組織化―アイスランドにおける憲法改正の失敗とその後」(『年報政治学2022-Ⅱ』)、訳書にシャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(共訳、明石書店)など。
【対談ゲスト】佐藤千矢子(さとう・ちやこ)
1965年生まれ、愛知県出身。名古屋大学文学部卒業。1987年毎日新聞社に入社し、長野支局、政治部、大阪社会部、外信部を経て、2001年10月から3年半、ワシントン特派員。米国では、米同時多発テロ後のアフガニスタン紛争、イラク戦争、米大統領選を取材した。政治部副部長、編集委員を経て、2013年から論説委員として安全保障法制などを担当。2017年に全国紙で女性として初めて政治部長に就いた。その後、大阪本社編集局次長、論説副委員長、東京本社編集編成局総務を経て、現在、専門編集委員。著書に『オッサンの壁』(講談社現代新書)。
