第5回 天羽飲料・堺社長、大いに語る!〈後編〉

4.経営の秘密

 堺社長に、経営についてたずねると、

 「うちは従業員5名で、昔から家族だけでやってきました。丸居さんは親戚筋、私のお宮参りのときからずっといる人で、家族も同然。うちの親父はすごく手堅い人でね、自分が抱えられるだけでやっていけ、そりゃあ何百人使おうが何千人使おうが、腕があったらいいけど、やめとけと。家族みんなが幸せに働けばいい、小さいままで行け、とよくいわれたんですよ」

 家族経営と現金商売が、2代目の父に教えられた商売の基本だといいます。

 「いつもニコニコ現金払い。売るために一所懸命サービスしない。欲しい人が買いにきてくださればいいんだからという親父の教えを、いまでも守ってます」

 「秘密主義で50年近く、マスコミ系にずっと出なかったのは、商売っ気がなかったから。儲けるよりも家族が幸せになればいいという考え方で、仲間とか酒屋さんにみんなゆだねて、売ってもらったわけですよ。その中で生活していければいいと」

 いまどき真っ当な話ではないでしょうか。

 「うちが一番売れていたのは昭和50年代だね。あの頃が一番良かった。その後、宝酒造の缶チューハイとか、宣伝力のある大手が酎ハイに参入してから、だいぶ(売り上げは)下がりました。それでも、家族が仲良く幸せに暮らすことは出来ますんでね。のんびりやってます。ここへ来て、また少し上り調子になりつつあるんですよ。だけど、あんまり売れなくていいの。よく親父が、ほんとに忙しいときでも、オレは売りたくない。もう儲けなんかいらないっていってた(笑)。どんどん大きくしたら、必ずダメになる。いずれパンクするんだから。うちもあと5~6年で、(創業)100周年になります。企業がいちばん長もちして、老舗になれるのは、家族だけで細く長くやっているところじゃないかな」

 私が、会社が長続きする秘訣をたずねると、

 「秘訣はね、威張って商売してるってこと(笑)。だから、宝酒造さんもサントリーさんも、天羽飲料さんというのは名詞交換会でも会ったことないけど、どんなところだろうと思ってきてみたら、ああ、ここかと、珍しいものでも見るようでしたよ。そうやって『変わってる』と思わせるのがいいんじゃないですか」

 「昔、養老の瀧さんと取引があったんですが、全体の2/5くらいにまで量が増えた頃、向こうが出資するから、工場を建ててたくさん作らないか、という話があったんです。うちの親父を工場長にするからと言われたんですが、すぐに断り、以後取引はなくなった。レシピさえ手に入れば、オレはお払い箱になるからと、親父は言ってました。大口は止めて、小さい得意先を300軒確保しておけば、廃業するところが多少あっても安定してやっていける。時代が変化しても対応できると言うんです」

 これこそ100年企業の知恵でしょう。人口減少と経済収縮の時代を迎え、生産能力の過剰に悩む大手が新製品をいくら作ろうとも、コストを回収できるだけの需要はもうないのです。

 特定の場所の歴史的文脈において長く愛されてきた商品は、ひとつの文化です。それを山の手の価値観で、物珍しい新奇な差異とみなすことは、「オンリーワン」の存在である天羽のハイボールを、新登場しては消えていくサワー類と同列の「ワン・オブ・ゼム」に貶めることにほかなりません。歴史と風土に根ざした場所の多様性を剥奪し、どこでも似たような街に変えてしまう土地再開発にも通底する論理です。この均質化・画一化の力を放任すると、社会はどうしようもなく不安定になってしまいます。

 新しい差異よりも、地域のコミュニティから支持されてきた文化に満足していくという選択が、いま私たちに求められるのではないでしょうか。

 天羽飲料では、4代目の後継者・健太さんが去年12月から仕事を始めたそうです。手堅い商売と、オンリーワンの商品をつくるアイデアと技術力が、どう受け継がれていくのか、今後も注目です。

(了)

■ 酎ハイ名店ファイル

3.小島屋
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住所:墨田区堀切5-3-11
電話:03-3601-1852
営業時間:16:00~21:00
定休:日曜・祝日
[ひとこと]...天羽飲料 ・ハイボールの素を最初においた3店のひとつで、「元祖」を名乗るにふさわしい名店。炭酸水を入れたグラスを置いて、焼酎と素の混合液をポットからぴたりと注ぐ名人芸が見もの。伝統の作り方を守る氷なしのハイボールは、すっきりとした飲み口で、まったく抵抗感なく何杯でもいけてしまう。酢納豆などの酒肴も美味しい。

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