第4回 柿の種までも独創的。つまみ力も突き抜けているハイボール・バー。
『お客さんに「家のように落ち着きますねぇ」と褒め言葉をいただく。心の中で「実は家なんです」と100万回以上つぶやく』(「間口一就の、ウェブサイト」 https://maguchikazunari.jp/ より)
あたしの胸を打ったエピソードだ。
ハイボールの聖地として世界中から酒呑みたちが押しかける名バー「銀座ロックフィッシュ」にも、こんな時代があったのだ。
あたしが初めてお邪魔したのは2007年。小雪さんが出演されたサントリー角瓶のCMをきっかけに、角ハイボールが爆発的人気になる前夜。
「倉嶋さん、酒場の本をやるんだったら、ここも知っておいた方がいいよ」
作家・大竹聡さんがいろんな酒場やバーに連れ歩いてくださった。その中の一軒。
ハイボールといえば、甲類焼酎にエキスを垂らしたもの。当時のあたしは、それしか馴染みがなかった。ウイスキー自体も日常呑む酒ではなかったのだけれども、店主・間口一就(まぐちかずなり)さんが作る角ハイボールの美味しさに目をみはった。
氷なしのハイボール。タンブラーも角瓶も炭酸水もよく冷やされた3冷スタイル。サントリーに現存する一番古い角瓶、昭和20年代のものを模して現在風に仕上げた「角瓶復刻版」をダブルで使用。そこにレモンピールをシュッ、さわやかな香りを纏わせてある。
ダブルとは思えないほどのスムースな呑み心地。一発でやられた。
大竹さんおすすめのホットドッグと一緒に味わえば、なんだか昭和な喫茶店のような感覚にも陥った。
いや、しかし。ここは銀座だ。世界に名だたる街・銀座にあるバーなのだ。煌びやかなクラブや、紳士淑女がグラスを傾けるオーセンティックバーが立ち並ぶ一角で、昼間っから角ハイをぐびぐびと立ち呑む酔客たちで賑わっている。それまでのあたしの銀座のイメージを覆す、ざっかけのない雰囲気が、心に刺さった。
以来、酒宴前のひとり0次会、取材後のひとりクロージング酒、打ち合わせの場としてもお世話になってきた。
店主・間口さんが銀座で「ロックフィッシュ」を開業したのは2002年のこと。それまでは同名店を大阪の北浜でやっていた。
「(東京の)銀座に行く、行くって言っているのに、いつまでも銀座に行かない先輩たちがいたので、自分が先に銀座に出てきました(笑)」
恵比寿、青山、新宿など東京を代表するナイトスポットがある中でも、いきなりトップオブトップの銀座に出店するとは思いきりがいい。
「なんか縁があったんですよね。銀座に行きます!って言ってわずか2年後にはもう銀座で店、やってましたね」
現店舗に移転する前の最初の店は、コリドー街近くのビルの2階。そこだけポッカリと空き店舗になっていた。それにはこんな理由があったからだ。
「1階に、伝説的バー〈クール〉が入っていたんです。銀座で初めてオーナーバーテンダーさんになった古川さんのお店です。その上がたまたま空いていたんですが、神様の上では商売をしちゃいけないという不文律がなんとなくあったんです、銀座に。自分、そういうの知らなかったんで」
しかも内見も一切せずに、物件の住所だけで決めたのだそう。
「実際に見た時、ちょっとドン引きしました(笑)。クラブとか飯屋とかが入っているビル内横丁のような造りになっていて。これはえらいところに来たなと」
と同時に、奥まった場所に落ち付きどころの良さも感じ、壁などの造作を整えて店を構えた。
今でこそ銀座で立ち飲みスタイルも珍しくはないが、間口さんは開業当時からスタンディングスタイルをとっていた。
「それが斬新だったことすらわからなかったですね。大阪だと立ち飲み文化が根付いているんですよね。サンボア(間口さんの修業先のバー)もそうですし、串カツの酒場だって立っているでしょう」
お客さんたちとワイワイしたいという気持ちもあり、最初は立ち飲みだけの造りにしていたのだが、実際のところ、当時の銀座の酒呑みたちには受け入れられなくて椅子も入れ込むようになった。
「8脚ほど入れたんですよね。遅い時間になると数脚だけ残して椅子を片付けるという感じ。で、自分の目の前のスペースだけ椅子がない空間になっていたんですが、そこがどんどん特別な場所になってきて。そこだけ混むという状況に。それでちょっとずつ椅子を減らしていきました」
この椅子があった時代の話なのだ、冒頭に紹介したエピソードは。
開業当初は、15時開店、朝5時閉店の14時間営業をしていた間口さん。店の片付けが終わるのは朝6時頃。6時半に寝て、9時半には起きて自転車で築地に買い出しに行く。そんな生活だった。
「意外にね、いいんですよ、フロアで寝るの。椅子もね、背もたれがついていたんで、4脚くらい並べて寝ると、それはそれで塩梅が良くて」
当然店にはお風呂がない。そこで「金春湯」などの銀座の銭湯に必然的に通うようになる。
「銀座で銭湯通い、かっこいいねってみんなには言われてました(笑)。当時は店でおしぼりも出していたんですが、そのおしぼりを1個だけ持って、銭湯通い。ボロボロの穴ぼこになるまで使いましたね」
店に寝泊まりをする生活が2年ほど続いたという。
その後、家を構えたものの、
「水道局から連絡がありました。水道メーターが動いていませんけど大丈夫ですか?って。寝るだけでしたからね。トイレしか流さない。洗濯もお風呂も銭湯で済ませてました」
さらに、
「1日14時間営業していてもお客さんがいるのは2~3時間だけなんで、10時間くらい暇なんですよ。毎日、ここで10時間ですよ。じゃあ、本を読んじゃおうと。幸い、銀座にはいい古本屋さんも当時、ありまして。昭和30~40年代ものの面白い本が手に入ったんです。今は神保町でも古本って言うと平成のものが多く並んでますからねぇ。昭和の古書、ずいぶん買い求めましたね。その一部を、店のカウンターに並べるようになりました」
現在はカウンターに古本がずらりと並んでいる様も名物となっているが、創業当初は洋酒ボトルを並べていたそう(その模様は、切り絵作家・成田一徹さんの初期の作品で見ることができる)。
カウンターに洋酒ボトルとは、ザ・バーの雰囲気もあったのだ。
「自分、カクテルもひと通り、作れます(笑)。そもそも最初からハイボールを普及したくて銀座に来たわけではないんです。アイテムの一つにハイボールがあったということなんです。当時、角ハイ一杯800円で出していたんですが、銀座のバーにしては格安でしたね。それで目立っていたのはあるかもしれない。でも、ハイボールよりも先に火がついたのが缶詰つまみでした。取材を受ける度に、ジントニックなどのカクテルも添えていたのですが、途中からハイボールだけ添えるようになったんです。そうしたらハイボールが名物になってきたんですね。それが2005~06年くらいの時かな。2006年は完全にハイボールブームが到来でしたね。お客さんが広めてくださいました」
そして2008年、小雪さんのCMで銀座どころか全国的に角ハイボールが酒場を席巻することになる。
「小雪さんのCMはね、うちの店がベースなんだそうです。えらい人たちが前の店の窓辺の席で週3くらいCMの会議をしていたんです。うちがちょっとしたモデルでもあるんですね」
ブームがきたことで、客層も広がっていった。ハイボールの聖地として知名度が上がり、炭酸が売り切れる日が続出した。そしてドバイやシンガポール、フランス、台湾、香港など世界を股にかけての出張ハイボールを担うまでに。
「日本と違う反応が面白いですよね。フランスだとハイボールよりもレモネードが人気だったりして。自分のスクイズは上手なんだなと思ったり(笑)。台湾では色味がついていて甘味がある方が好まれるとか。土地柄が出るので勉強になります」
国外のみならず国内でもあちらこちらでハイボールを振る舞っている間口さん。福岡のとあるスナックでは間口さん用に角瓶が用意され、客として呑みに行っているはずが、角ハイをお客さんたちに作る時間になっているそう。しかもそれらは無償での助っ人だ。
「別にお金が欲しいわけではないんです。それをきっかけにお客さんがうちの店に来てくれるのを期待するというのも違うんです。そういう接点で地方の知り合いが増えるのがありがたくて嬉しいんです」
そんな酒縁の結果、青森ではハイボール列車を走らせた。しかもチャーター便だ。駅のホームの案内板にも「ハイボール列車」と掲示され、鉄道好きたちの間でも話題となった。それも地元の有志たちが手弁当で企画してくれたものだ。
間口さんの飾らない人柄に惚れ込んだ人たちがさらに人を呼ぶ。好い循環が生まれている。
カウンターの中に入っている間口さんは、無口だ。必要最低限の言葉しか客と交わさない。それはバーとしてあるべき姿なのだが、酔客たちの動向には全身で気配りをしている。
口開け15時。ピッタリの時間で男性ひとり客が来店、注文するは角ハイボール。BGMでジャズがうっすらと流れる中、誰も喋らない。静謐な時間。10分後にはお代わりをされる男性。その間、さらにひとり呑み男性客が来店。
「お久しぶりです」
間口さんが声をかける。常連さんのようだ。この方も角ハイボール。さらに10分後、またしても男性ひとり客来店。
「毎度です」
注文せずとも瞬時に角ハイボールが手元に置かれる。それから5分後、今度は女性ひとり客来店。お馴染みさんのようで「後から来るので」と間口さんに声をかけると、テーブル席へ案内された。そして連れを待たずに角ハイボール。その5分後にお連れさんがいらっしゃってやっぱり角ハイボールを注文。20分後には退店をされていった。0次会として楽しまれた模様。
そして16時。年配の男性ひとり客が来店。
「毎度です」
オーダーせずとも自動的に角ハイボールが置かれる。そのすぐ後、またしてもひとり男性客が来店し、角ハイボールを呑みながら、読書をされている。
新聞を読みながら呑む方には、その方の愛読紙をサッと手渡し、壁にかけてある藤原ヒロユキさんのイラストレーションに興味を持たれたお客さんには絵の話題をされる間口さん。スタッフさんも、サンドイッチを頬張る客には素早くウェットティッシュを差し出す。
適宜、客が欲するものを瞬時に判断し、出す。全方位で感知しているのだ。
かく言うあたしも、企画の打ち合わせをしながらここで呑んでいた、とある日。帰りしな、間口さんがそっとメモを渡してくださった。そこには、その日あたしが仕事相手と打ち合わせをした内容をポイントごとにまとめて書き記してあったのだ。驚愕した。そんなそぶりは一切見せていなかったと言うのに。
お邪魔するたびに呑みすぎて記憶を飛ばす、あたしの悪癖を把握している間口さん。仕事上重要な打ち合わせをしていると察知されてのお気遣いだった。
お代わりハイボールを作ってくださるタイミングの的確さも秀逸。それに惹かれて知らず知らずにグラスを重ねてしまうのだが、気づけばこの日は5ハイボール、やっていた。
角ハイ、角ハイ、CCレモンハイ、ソルティハイ。最後に角ハイに出戻って5ハイボールだ。
CCレモンハイは、カナディアンクラブをベースにレモンスライスを浮かべたハイボール、ソルティハイは、バランタインファインネストをベースに塩をグラスの縁にまぶしたスノースタイルのハイボール。
角瓶の人気が凄すぎて、販売の制限がかかっていた時に間口さんが新しく考案されたハイボールだ。3酒3様魅力的すぎて、自ずと全制覇するどころか、角ハイに出戻り呑みまでしてしまう人、続出。あたしも、まんまとその罠にかかってしまった。
つまみは、アジフライサンドウィッチに砂ズリ・カレー味、そしてオムレツ。
アジフライは甘酢の効いたマヨネーズジンジャーが格別に美味しく、カレーの香り高い砂肝も歯応えもよく、卵を3個も使った贅沢なオムレツはトッピングされた山椒のピリッとした辛味がますますハイボールを進ませる。
さらに合いの手で出してくれたMIX柿の種は、カレーパウダーを塗したかりんとうとジンジャーパウダーを纏わせたドライフルーツが柿の種にミックスされたもので、口に運ぶ度に唸る逸品。何重にも奏でられる旨味は唯一無二。
そう、ここはつまみも素晴らしく、しかも独創的なのだ。
「囲炉裏のある角打ちで呑もう」。
間口さんに誘ってもらって足を運んだ三ノ輪のとある酒屋でのこと。食材の持ち込みOKだった角打ちで、間口さんが数々の手料理を振舞ってくれた中で特に驚いたのが「クレソンとキウイ」だった。味付けなし、ただシンプルにクレソンとキウイを一緒に食べる、と言うもの。こんな掛け合わせがあるとは。しかも素材だけ。シンプルの極みだ。しかし、15年近く経った今でも、忘れられない味なのだ。
間口さんの料理は独創的だが、どれもシンプル。シンプルなのに独創的であると言うことがどれだけ難易度が高いことか。あれやこれやといじくり回すこともできない。ガチンコ勝負での素材の組み立てだ。
『バーの主人がこっそり教える味なつまみ』(柴田書店刊)を筆頭に、数多の料理本を出されてきた間口さん。3ステップほどで完成するシンプルレシピなれど、掛け合わせの妙に唸るものぞろい。
「料理は感性ですね、想像力です。例えば、SKT(しゃけ、キムチ、トマト)サンドウィッチ、文字面だけ見て、美味しそうと思えるかどうか。自分は、幼い頃から母の料理が好きで。高校生の頃には『non-no』のお料理ブックをとにかく読んでいました。読んで、読んで、読み込んで、料理の写真を見ただけで素材もレシピもわかりましたし、逆に素材やレシピを見ただけでどんな料理になるのかもわかるようになりました」
だからと言って美食至上主義というわけではない。
「普段はこんなもんですよ」
この日の賄い飯で間口さんが口にされていたのは海苔を巻いたおにぎりと蒸したじゃがいも。
若かりし頃は、コンビニのお弁当も、ファミレスのメニューも網羅した。今でもジャンル問わず、いろんなものを幅広く食べる間口さん。
「食材の掛け合わせは頭の中です。誰かが作った既存のメニューからは何も生まれないので、他人のレシピは見ないですね。
玉子サンドも1年前に始めたばかりなんですが、これ、ゆで卵が大量に余ってしまったからやろうかと。でも銀座で卵サンドイッチというと「みやざわ」さんがあるから。じゃあうちでやるなら、とみょうがを入れたんです。人気メニューになりましたね。そういう発想です。目の前にあるキャベツをどうしよう、ではなくて、キャベツが山のようにある、どうにかしなくてはならない。だったら何が作れるか。そこからの発想なんです。そしてあるもので組み合わせをしていきます。だからうちは食材の廃棄率も低いです。100%使い切ります」
メニューは今や100品を超えると言う。食事を目的にやってくる人もいるほどだ。
その真骨頂が、間口さんのお節。冷汁リエット、穴子ラスク、ようかんペルノなど、30品にも及ぶオリジナリティ溢れる珠玉のつまみ達がぎゅぎゅっと詰め込まれた宝箱のような2段重。採算度外視に作られたもの。
「みんながよろこんでくれたらね。それが嬉しいから」
銀座という街で、立ち飲みスタイルでバーを開業、缶詰酒肴で洋酒を出し、年中無休(2024年になってようやく不定休となりました)で営業をしてきた間口さん。ことごとく既存の概念を壊し、銀座らしくないと言われてきた。しかし、今や、世界から酒好きが集う聖地となった。
それもこれも、
「だって楽しいことをしたいじゃないですか」
間口さんのその一言に尽きる。
店名 |
銀座ROCK FISH(ロックフィッシュ) |
住所 |
東京都中央区銀座7-3-13 ニューギンザビル7階 |
電話番号 |
03-5537-6900 ※予約不可 |
営業時間 |
平日:15:00~22:30 土:14:00~17:00 |
定休日 |
日・祝日 |
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