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4月28日(月)

 古い知り合いからメールがきた。『読むのが怖い! 帰ってきた書評漫才〜激闘編』(ロッキング・オン)に誤植があったという指摘のメールである。2006年のブック・オブ・ザ・イヤーで、大森望があげた小川一水『天涯の砦』について、面白かったという私の発言を受けて、大森望が「去年翻訳が出たジェフリー・A・ランディスの『火星縦断』も北上さんに薦めればよかったね。地球に帰る帰還船が壊れちゃって、火星に取り残された五、六人が赤道から北極までを旅するサバイバル冒険小説」と言ったあと、私は次のように続けている。

 北上 面白そうじゃないの! 冒険小説の名作に『不死鳥(フェニックス)を倒せ』(アダム・ホール/ハヤカワ・ミステリ文庫)っていう、映画にもなったやつがあるんだけど。砂漠に不時着しちゃった十数人の男女がどうにか脱出してくるっていう、名作中の名作。

 このくだりについて、N君はメールの中で、それは『不死鳥(フェニックス)を倒せ』ではなくて、『飛べフェニックス号』(トレーバー著)ではないかと書いている。おお、そうだ。砂漠に不時着した人間たちが奇想天外なアイディアで脱出するサバイバル冒険小説は、『不死鳥(フェニックス)を倒せ』ではなく、『飛べフェニックス号』だ。

 最初に翻訳が出たのは四十年ほど前、講談社ウィークエンドシリーズの一冊で(N君がメールで書いていたように、この叢書には、マクリーン『原子力潜水艦ドルフィン号』も入っていた)、映画のときの題名が「飛べ! フェニックス」。数年前にリメイクされ、「フライト・オブ・フェニックス」の邦題で公開されたとはN君の情報である。彼は映画雑誌の編集部にいたので、映画には詳しい。

 大森望との対談のときには、フェニックスなんとかだよ、と曖昧な発言をし、それを編集部が調べ、『不死鳥(フェニックス)を倒せ』としてゲラを出したんですねたぶん。それを本来ならゲラの段階で厳しいチェックをしなければいけないのに、ふーんとそのままにしてしまったのである。だからこれは編集部の責任ではなく、全面的に私が悪い。

 アダム・ホールという著者名を見たときに、ヘンだなと思った記憶がある。そんな作者名ではなかったのだ。そのときに、待てよと調べればよかったのに、あとにしようとスルーして、そのまま忘れてしまったのだろう。

『不死鳥(フェニックス)を倒せ』は、私の記憶が正しければ、たぶんスパイ小説で、冒険小説ではない。絶対にこれではない、とどうしてそのときにチェックしなかったのか。しかも「冒険小説の名作中の名作」とまで、私は断言しているのだ。まったく恥ずかしい。この『飛べフェニックス号』については、『面白本ベスト100』か『冒険小説ベスト100』(どちらも本の雑誌社刊)のどちらかで紹介した記憶があるので、いまそれを調べようとしたら、本棚をいろいろ漁ってもなかなか見つからない。そうだ。あのときも、同じことをして見つからず、あとで調べようとしてそのまま忘れてしまったことを、たったいま思い出した。

 本に誤植はつきもので、珍しいわけではないが、ホントに恥ずかしい。この『読むのが怖い! 帰ってきた書評漫才〜激闘編』は、季刊誌「SIGHT」連載の対談書評をまとめたもので、2005年3月に出た『読むのが怖い! 2000年代のエンタメ本200冊徹底ガイド』に続く第2弾だが、出来上がった本を見て、えっ、これ、漫才だったのかよとびっくり。どうもそうらしいんですね。ま、いいんだけど。

 この本の出版を記念してトークショーが行われる。5月5日は7時からやなか往来堂書店にて、5月9日は6時半より神田三省堂書店にて。いま本が売れないと言われている中で、こういうマイナー本をとりあげてくれる書店が嬉しくて、バカ面をさらします。増刷が掛かれば誤植を直す機会にもなるから、出来れば売れてほしいのです。

4月25日(金)

 知人の日記を読んでいたら、書評の一部を宣伝用のPOPに使わしてもらいたいと版元の人間から電話がきた、というくだりがあった。どの部分ですかと尋ね、それをこれからFAXしますと先方は言い、で、送られてきたFAXを見て、問題もないのでOKのメールを出そうとしたら、FAXのどこにも先方のアドレスが記載されていなかったという日記である。電話を待たなければならないのはイヤだ、と知人は書いている。さっさとメールを出して、仕事に掛かりたいのに、絶対に来る電話を待っているのは気分的に落ちつかないと言うのである。

 こういうことはよくある。おそらく、そこにアドレスを書いてしまうと、お前のほうから連絡を寄越せ、と暗に催促していると誤解されるのが心配で、編集者は遠慮して書かないのではないかと思うのだが、彼は違う推理だ。

 おやっと思ったのは、この日記にすかさず某評論家がコメントを寄せていたことだ。この中身が凄かった。某社の文庫が重版に際して、解説の一部を帯に引用したいと編集者から電話がきたんだという。どの部分ですかと尋ね、じゃあFAXしますという返事までは通常だが、それが全然来ない。来ないまま重版され、彼は書店でその現物を見て、引用部分をようやく知ったのだが、いまにいたるもその文庫は送られてこないという。

 その同時重版に、私が解説を書いた一冊も入っていたので、「北○おやぢも同じ目にあったのかしら」と彼は書いているのだが、私、その文庫解説を書いていたことを、初めて知りました。その程度なので、そういう連絡が来たことも、あるいは来なかったことも、そしてどうなったのかも、まったく覚えておりません。

 という話を書きたかったわけではない。こういうのを読むと、オレなんてもっとひどい目にあってるぜと書きたくなるのだ。ようするに、被害自慢である。

 つい先日、見知らぬ編集者からFAXがきた。文庫解説の依頼である。すごいのはこの先だ。本をすでに発送したというのだ。えっ、発送ずみってどういうこと? FAXの最後の一文にのけぞってしまった。

「お受けいただけない場合は、お手数ですが、同封の着払いの伝票でご返送いただけますようお願い申し上げます」                                  

 そちらでどうにでも処分してくれてかまわない、というならまだ理解できるが、返してくれというのが想像を絶している。送ってくれ、と頼んだわけではないのだ。先方が勝手に送ってきたのである。いくら着払いの伝票が同封されているからといって、それでいいというものではない。ちなみに、そのFAXにもアドレスは記載されていなかった。

 久々の自慢である。どうだ!

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