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5月19日(月)

 週刊朝日に連載中の嵐山光三郎「コンセント抜いたか」は愛読しているコラムだが、その5月9日号に、あるパーティで出版業界の先輩から「60歳をすぎたら原稿執筆依頼なんか来ねえぞ」と言われたエピソードが出てくる。その出版業界の先輩とは、「週刊女性」の編集にたずさわったり、「家庭画報」を創刊し、プレジデント社の社長になり、エッセイや小説も書いた諸井薫である。
 諸井薫さんは嵐山さんより11歳上で、「俺がそうだった。俺だけじゃない。NAだってYJだって、みんな、仕事が来ねえんだ」と言ったそうだ。

 そのとき、嵐山光三郎さんは59歳で、月刊誌5本、週刊誌3本の連載を持ち、テレビ番組のレギュラーもあって結構売れていたが、そう忠告されたので用心ぶかく、そーっと60歳を迎えたものの、61歳になっても62歳になっても、さしたる収入減にはならなかったという。
 変化が現れたのは63歳からで、64歳、65歳と仕事の量が減り、65歳のときの収入は59歳のときの半分になった、と書いている。

 いろんな先輩作家と会うたびに、「いくつぐらいからビンボーになりましたか」と尋ねると、「65歳」という答えが多く、「65歳になると、原稿を注文されても書く体力がなくなるし、性欲、金欲、表現欲がなえるんだ」というのも興味深かったが、変化が現れたのは63歳からだったというくだりがいちばん印象に残る。
 というのは、私、今年で62歳になるからである。おお、あと1年じゃん。本人はまだまだ若いつもりでいるが、62歳といえば、おじいちゃんだ。そんな歳になったとは信じられないが、これから仕事が激減するとは複雑な感慨がある。

 もっとも収入が半分になったというのは、月刊誌5本、週刊誌3本の連載を持ち、テレビ番組のレギュラーもあった人の場合であって、つまりもとが大きい人の場合なのではないか、という気がしないでもない。書評家の収入などはたかがしれている。もとはかなり小さいから、これが半分になったら大変だろう。

 いや、仕事は減らないと言っているのでない。やっぱり仕事は減るだろう。どんなジャンルでもどんどん世代交代していくものであるから、書評家だって例外ではない。オイルショックのときに各誌から書評ページがいっせいになくなったことがあるように、歳を取らなくても仕事の場が失われることは今後も十分にあるけれど、歳を取れば確実に仕事は減っていくのである。

 しかし、その境目が63歳であるとは知らなかった。まだ30代や40代の人、あるいは50代前半の人にとって、63歳というのはおそらく遙か彼方の出来事で、「そんなの全然先のことだろ」と実感がないに違いないが、私にとってはとてもリアリティのある年齢なので、うーむうーむと深く感じ入ってしまったのである。

 ところで、NAさんとYJさんって、誰のことなんでしょうか。

5月12日(月)

 千駄木往来堂書店と、神田三省堂書店のイベントは無事に終了。その神田三省堂書店のトークショーが終わって打ち上げの会場に向かおうとしたら、「これ、見本、出来たから」と大森望が差し出してきたのが、大森望と豊崎由美の共著『文学賞メッタ斬り! たいへんよくできました編』(パルコ出版)。シリーズ第4弾。

 シリーズ第3弾の『受賞作はありません編』は、大森望と対談した折りにやはり見本を貰い、町田に帰ってくるまで読み続け、とうとう自宅に着く前に読了してしまった記憶があるが、読み出したらホント、止まらないのだ。

 私は、この二人とは小説の評価が食い違うことが多く、この本の中で語られる小説についても必ずしも同意見ではないのだが、しかし読み物としては最高に面白い。それは噂の真相を読んでいたときのように、業界裏話が面白いということが大きいが、もう一つ、理由がある。

 大森望とサイト誌で対談をやって8年になるが、その前から本の雑誌の座談会などで会っているから、長い付き合いになる。私の『笹塚日記 ご隠居篇』に寄せた原稿の中で、「目黒考二はとにかくわがままである」と大森望は書いているが、「ワガママ」というよりは「マイペース」と言ってほしいなという気はするものの、まあ、これは認めてもいい。しかし私のキーワードが「ワガママ」だとするならば、大森望のキーワードは「イジワル」につきる。

 唇の端を歪めて褒める(活字になるとそれが伝わらない!)ということ自体が、そのイジワルな側面を語っているが、しかしこの「文学賞メッタ斬り」シリーズになるとそれが俄然活きてくる。もともと批評というのはイジワルなものだから、どんぴしゃなのである。そうか、それでは「ワガママ」な私よりも、「イジワル」な大森のほうが正統的な批評家ということになるか。うん。たぶんそうなんでしょう。

 それにしても、もう4冊目だというのに飽きるどころか、もっと読みたくなるというのが不思議。年に1冊じゃ待ち遠しいんで、年2回刊にしてくれないかな。

5月7日(水)

 6月末に仕事で某地に出かけるのだが、仕事が終わり次第、その日のうちに新幹線に乗ってもう一つの目的地に行くか、それともその日はその地で宿泊するか、それを決めたくて連休中に現地の知人にメールを出した。

 私を呼んでくれたのはその知人であり、彼に迷惑をかけてはいけない。ようするに彼の了承が得られれば、その日のうちに新幹線に乗って移動しようと思ったのだ。
 すると折り返し、彼からメールがきた。ずいぶん先の話をするのが好きだなあと彼は言うのだ。普通、6月末のことならば、6月中旬にならなければ話を具体化しないよ、と言うのである。で、こんなふうに書いてきた。 
 せっかちなのか、たんに予定を立てるのが好きなのか。計画が崩されることが怖いのか、対人関係に不安があるのか、すべて管理したいのか、思う通りに世の中を動かしたいのか(笑)、そのへんの深層心理、エッセイにでもしてください。

 そうかなあ。月末のことを中旬になってから決めるとは遅すぎるんじゃないの。それではホテルが満室になってしまいかねない。そうなのである。私が早く物事を決めるのは旅に関することだけだ。どのみち行くことが決まっているのなら、ホテルを押さえるのは早いほうがいいではないか。遅くする意味がなんにもない。
 私の知人に、そういう物事をなかなか決めないやつがいる。ただいまは地方都市に転勤中で、ときどき東京に遊びに来るのだが、日程が決まっているなら早くホテルを予約すればいいのに、いつもぎりぎりまでしないのである。何とかなりますよ、というのが彼の癖だ。いつだったか、府中近辺のホテルがどこにもとれず、結局新宿のマンガ喫茶で夜を明かしたことがある。何とかなってないぜ。

 ずいぶん前、突然菊花賞の指定がハガキ抽選に当たり(当時はその連絡が来るのが数日前だった)、あわててホテルを探したことがある。電話をかけたのは浜本で、私は見ていただけだが、淀から大阪に向かって1駅ごとに電話しまくったら、寝屋川という町のビジネスホテルで空室があった。それを今でも覚えているのは、「窓のない部屋にしますか、窓のある部屋にしますか」と尋ねられたことで、浜本が受話器を押さえて、「どっちにします?」と聞いてきたからだ。その設問があまりに斬新だったので、これは忘れがたい。後年、三重県の競馬友達にその話をしていたら、「そのホテル、ぼくも泊まったことあります!」と言われたから、直前予約の客には有名な宿だったのかも。

 つまり、そういうことがあるから、ホテルは早く予約しておいたほうがいいわけだ。私だって、普段のスケジュール表で決めるのは1ヵ月先までで、それ以上は決めていない。仕事はいつも1ヵ月先までしか決まってないから、書きたくても書くことがない、ということもあるけど。ところが旅行はずいぶん前から決まっているから、早く決められるのである。出来れば、新幹線の切符も早く買いたいところだが、1ヵ月前にならないと買えないのは不満。

 ところで、さっきのメールにあった「対人関係に不安」というのがどういう意味かわからない。物事を早く決めるのが、どうして「対人関係に不安」がある、と繋がるのか、誰か教えて!

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