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7月14日(月)

 必要があって本誌バックナンバーの編集後記を読み返していたら、2000年3月号の後記に私が次のように書いているのが目に止まった。

「▼問題は、いくら探しても見つからない新刊だ。あまり見つからないものだから自分の記憶を最近は疑い初めている。というのは、どの雑誌で読んだのか忘れてしまったのだが、復刊シリーズが出るという記事を読んだのである。それが名著の復刊なのか、物語性の濃い作品の復刊なのか記憶も曖昧なのだが、私が購入しようと思ったのは、その第一回配本が白井喬二の長編だったからだ。すでにその第一回配本分は発売になっているという記事であった。それなら購入しないわけにはいかない」

「▼で、新刊コーナーに行くたびに白井喬二の作品がありそうなコーナーを探しているのだが、影もかたちもないのだ。その記事は本誌のゲラで読んだような記憶があったので確認すると、本誌にはなし。すると、どの雑誌で読んだのか、もうわからない。そのうちに、その記事は私の夢なのではないかという気がしてきた。実際には出てないものを私は探しているのではないか」

「▼夢なら夢でいい。はっきりしてくれればいいのである。それがはっきりしないと書店に行くたびにその幻の本を探してしまうので大変困るのである。どなたか情報をお持ちの方、教えて」


 この後記を読んで、おやっと思った事情についてはあとで書く。その前に、この翌月の4月号の後記もついでに引いておく。

「▼前号の後記で、幻の本について書いたら、たくさんの情報をいただいた。どうもありがとう。実は前号の下版直後に判明したのである。正解は、島津書房の白井喬二『東遊記』。どこでその新刊情報を読んだのかと思ったら、業界では有名なホームページ「銀河通信」であった。それはいいのだが、実はまだその本が入手できていない。それが心配だ」             

 おやっと思ったのは、その白井喬二『東遊記』(島津書房)を、今年の春に買ったばかりだったからである。新宿ジュンク堂の棚をずーっと眺めていたら、横田順彌責任編集、日本「奇想小説」コレクションの一冊として、この本があったのである。奇想小説コレクション? そんな面白そうな企画があったなんて聞いてないぞ。で、あわてて買ってきたわけだが、8年前の後記を読んで今回気がついたことは、

(1)日本「奇想小説」コレクションのことをすっかり忘れていた
(2)白井喬二『東遊記』をその後も探さなかった
(3)書店の棚にその本を発見しても思い出さなかった

 という3点で、まったく情けない。ようするに私、本を探すことにそれほど熱心じゃないんですね。若いときは探している本の書名も手帳に書いて、その探書リストを持って古書店をまわっていたが、そういう人並みの努力を中年以降はしていないのである。ということは、いまの私が忘れているだけで、探そうと思った本がまだほかにもたくさんあるのかもしれない。

 気になるのは、この日本「奇想小説」コレクションがほかにも出たんだろうかということだ。というのは、『東遊記』の巻末に予定作品一覧があり、面白そうな書目がそこに並んでいるからだ。幸田露伴『宝窟奇譚』には、ハガードの名作『ソロモン王の洞窟』を文豪・露伴が舞台を北海道に移して描く異色作、という紹介がついている。読みたいよなあ。こういうのは、だいたい期待を裏切られることが多いんだけど、それを確認するためにも読みたい。

 その巻末に載っている広告を見ると、日下三蔵や北原尚彦の名前が収録予定作品の解説者としてあがっているので、彼らに聞けば簡単にわかるのかもしれないが、たぶん絶対に、彼らに尋ねることをそのうち忘れてしまうだろう。で、そのうちに、幸田露伴の何だっけなあ、読みたい作品があったんだよなあ、と思うようになるのだ。ま、いいんだけどね。

7月8日(火)

 よしだまさしさんのネット日記を読んでいたらびっくり。その7月5日の項に、「目黒考二さんが若い頃に作った同人誌『星盗人』が某古書店の目録に載った。値段によっては欲しいと思っていたのだけれど、さすがに31500円では手が出ない。同人誌は発行部数が少ないから高くなるなあ」とあったのである。

「星盗人」は、本の雑誌の創刊前に、私が作っていたコピー誌「SF通信」(読書ジャーナル、目黒ジャーナルと何度もタイトルを変更したが、ようするに私の読書メモだ)がたった一度だけ刊行した増刊号で、A5版タイプ印刷64ページのもの。私の記憶が正しければ、製作したのは150部だ。椎名誠が『アド・バード』の原型となる短編「アドバタイジング・バード」を寄せてくれたのも、この一度だけの増刊号だったし、「北上次郎」の筆名を最初に使ったのはこの増刊号だった。

 ただし、同人誌ではない。個人誌だ。作ったのは私が二十代の半ばすぎのころで、父親が孔版印刷業を営んでいたから、原価すれすれで儲けなしという印刷代金とはいえ、費用は私が全部負担し、その代わり、掲載するかしないかの権限も私に所属するというシステムであった。つまり、つまらなかったら載せないけど、それでもよかったら原稿を書いてね、と知人に依頼して作ったのだ。同人誌は学生時代からそれまで何度か経験していたが、もう同人誌ごっこはしたくなかったのかもしれない。その気分は、それから数年後に本の雑誌を創刊するときにもずっと続いていて、定価は幾らでもいいから書店に置いてもらって未知の人たちに買ってもらおうと最初から考えていたのも、その延長だったのかも。

 二十代の半ばであるから、友人知人はせいぜい50人。だったら製作部数は50部でもいいのだが、50部も150部も、代金にそれほど大差はないのである。じゃあ、思い切って150部作っちゃえとなったわけだが、これは無謀だった。いくらなんでも、全然興味を示さない人に渡すわけにもいかないから、どんなに配っても50部くらいしか減らないのだ。つまり「星盗人」の100部近くが余ってしまった。

 あれから四十年近くがたってみると、その100部が1部もない。いや、1部くらいならどこかにあるはずだが、最近見かけたことがない。なくなるもんなんですね。100部残っていれば、1部3万で合計三百万かよって、そういう計算じゃないだろうが。

「本の雑誌」の創刊号を500部と決めた理由の一つに、この「星盗人」150部がほとんど残ってしまったという経緯がある。1000部や2000部も作る勇気は、とてもなかった。150部でも余るのに500部も刷って大丈夫なのかよと不安だった。「本の雑誌」創刊号500部のうちの100部は仲間うちでわけてしまったので、書店売りしたのは400部だが、あのとき、見知らぬ人が400人も買ってくれたのだ、と今さらながらに驚く。

 津野海太郎、鏡明の両氏が創刊号を買ってくれたと後日知ったが、それでもまだ398人の見知らぬ人が買ってくれたのである。すごいよなあその人たち。よくあのとき買ってくれたよなあ。素人の作った雑誌を金を出して買ってくれたそれらの人たちに、いま素直な気持ちで御礼を言いたい。あるいは買ったものの読んでみたらつまらなかったので捨ててしまったというケースも中にはあったかもしれないが、しかしちょっと面白そうだから買ってみようと手を伸ばしたあなたの好奇心が、間違いなく398個の好奇心が、「本の雑誌」を育てたのである。

7月4日(金)

 関東はとうの昔に夏競馬に突入しているが、関西はただいま開催中の阪神が終了しないと夏競馬に突入しない。つまり、7月の3週目から全国的に夏競馬が始まるのである。その夏競馬の開幕にあわせて、なんと3連単が全レースで発売になるらしい。おいおい。

 中央競馬の3連単の発売は9R以降に限られている。だから3場開催のときに3連単を発売するのは全部で12レースである。それがなんと、秋競馬が開幕するまでの8週間の期間限定とはいえ、いきなり36レースになっちゃうとは大変だ。

 そんなのに見向きもしなければいいんだけど、売ってると買いたくなる。競馬をやらない人には関係ないことだが、あなた、100円が1000万円になる可能性があるんですよ。それがこれまでは1日に12レースしか売ってなかったのに、この夏は3倍になるわけです。つまり、悩みが3倍になるということだ。困るよなあ。

 と思っていたら、『外れ馬券に微笑みを』(ミデアム出版)の見本が届いた。週刊ギャロップに連載している藤代三郎名義のコラム「馬券の真実」を年に一冊、単行本としてまとめてもらっているこの「外れ馬券シリーズ」もこれで14冊目だ。ということは雑誌の連載は15年目に入っているのか。忘れていることが多いので、つい読みふけってしまって本日は仕事にならなかったが、よくこれほど失敗をしてきたものだと我ながら感心する。

 この本は来週発売になるのだが、版元に迷惑がかからない程度には売れてくれると嬉しい。そういえば6月には、双葉文庫から北上次郎『冒険小説論』が出た。日本推理作家協会賞受賞作全集77巻である。この元版は1993年に出ているから、なんと15年前に出た本だ。5月には、大森望との共著『読むのが怖い! 帰ってきた書評漫才〜激闘編』が出ているから、5〜7月の3ヵ月連続で私の本が出たことになる。こんなこと初めてだ。もちろん今年はもう何も出ません。

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