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10月31日(金)

本の雑誌風雲録[新装改訂版]
『本の雑誌風雲録[新装改訂版]』
目黒 考二
本の雑誌社
1,890円(税込)
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 大森望との共著『読むのが怖い! 帰ってきた書評漫才〜激闘編』(ロッキング・オン)が4月に出て、北上次郎『冒険小説論』が6月に双葉文庫に入り、藤代三郎『外れ馬券に微笑みを』(ミデアム出版)が7月に出たとき、「今年はもう何も出ません」と7月4日の当欄に書いた。もう1冊出るとは、そのとき思ってもいなかった。

 7月4日にそう書いた直後に、「風雲録を復刊します」と浜本から電話がきたのである。正式な書名は、『本の雑誌風雲録』。1985年5月に本の雑誌社より刊行された本である。創刊10周年記念イベントに合わせて2週間で書き上げた記憶があるが、それが角川文庫に入ったのが、今から10年前の1998年。どちらも、とうの昔に絶版になっている。復刊してくれるのは嬉しいのだが、しかし、もともとは20年以上前に出た本だ。今さら売れるんだろうか。

 そこで、昔のやつをそのまま出すのでは芸がないから、「新装改定版」を出そうということになった。『本の雑誌風雲録』を刊行後に書いた関連エッセイがあるので、まずそれらを収録。具体的には、創刊10周年のときに刊行した『記念文集』、1991年10月号(100号記念号)、1995年5月号(20周年記念号)などに書いた、本の雑誌の発行にまつわるエッセイである。
 さらに25年間に渡って書いてきた編集後記から20数本を抽出。その間を「新装改定版」のあとがきで埋めたら、50ページ厚くなった。400字の原稿用紙に直すと、増えた原稿は90枚くらいだろう。

 その見本が届いたのは1週間以上前だが、数日前に町田の久美堂に行ったら、新刊コーナーの棚に差されているのが目にとまった。そうか、もう出ていたんだ。

 原稿を書き終えた途端に、いや送った途端に、すべて忘れてしまうという悪い癖が私にはある。たとえば、文庫の解説などを書きますね。それを編集者に送った段階で、もう自分の仕事が終わってしまうのである。そういう気分になるのである。だからしばらくしてから、その文庫が送られてきても、見ることが少ない。いや、文庫が送られてきたら、巻末を一度は見るか。いつだったか、どうしてその文庫が送られてきたのか巻末を開くまでわからなかったことがあるが、そうだよな、それは手に取って一度は読むか。

 ようするに、今度の『本の雑誌風雲録』のケースで言うと、「新装改定版」用の90枚を整理して浜本に送った段階で、私の中では「終わったもの」になってしまうのである。だから書店の棚に発見して驚いてしまうのである。そうか、発売中だったのかと。俄然、宣伝しなくては、という気になってきた。そんなにたくさん売れる本ではないが、本の雑誌社に迷惑をかけない程度には売れてほしい。

 たぶん小部数の復刊だろうから、全国津々浦々まで行き渡ることもないだろう。ですから、見かけることも少ないかもしれません。もし興味を持たれた方がいらっしゃったら、お近くの本屋さんで注文してください。『本の雑誌風雲録』新装改定版(本の雑誌社)、で注文できます。
 著者名は忘れてもいいのです。版元名が住所で、書名が名前ですから。住所と名前がわかれば郵便物が届くように、本もあなたのもとに届きます。

10月6日(月)

 必要があって昭和40年代の中間小説雑誌を読んでいるのだが、いやはや、驚いた。五木寛之「さらばモスクワ愚連隊」が小説現代新人賞を受賞したのは昭和41年で、その年の小説現代6月号にその結果発表が載っているが、作者名の横に住所が記載されているのだ。当時五木寛之は金沢にいたので、その住所とアパートの名前と何号室というところまで克明に記載されている。このとき同時受賞したのが藤本泉「媼繁昌記」だが、藤本泉の住所も当然ながら載っている。いまなら絶対にあり得ないだろう。もしもその後四十年、引っ越しをしなければ現住所がわかってしまうことになる。

 小説現代だけがそういう住所の記載をしていたわけではないだろう。というのは、昭和44年10月刊行の阿部牧郎『袋叩きの土地』(文藝春秋)という本を書棚から取り出して読んでいたら、その奥付の著者略歴に「現住所」が記載されていたからだ。

 もっとも昭和40年代、あるいはそれ以前に刊行された本すべてに著者の住所が記載されていたわけではない。その一部に見られる傾向にすぎないことは書いておく必要がある。      

 自分の書棚から昭和40年代以前の本を無作為に数冊選んで調べてみたが、他の本には住所の記載はなかった。もっともその数冊には著者略歴がなかったので、著者略歴のある昭和40年代以前の本を調べる必要があるかもしれない。面倒なので今回はしませんが。

 で、そうして書棚を漁っていたら、阿部牧郎『失われた球譜』(文春文庫/1988年5月)という本が出てきた。私の書棚には野球本コーナーがあって、本当は阿部牧郎『南海・島本耕平の詩』という本をそのコーナーで探していたのだが見つからず、代わりに出てきたのがこの本だった。

 何の話かというと、なんと私が解説を書いていたので、「北上次郎解説文庫リスト」を作成してくれた北海道の山下さんにご報告しておきたい。私もすっかり忘れていたが、山下さんのリストからも落ちていたので、埋めておいていただけると助かります。ええと、それだけの話なんだけど。

10月2日(木)

「面白い」という言葉が力を持ちえた時代があった。『本の雑誌』を創刊したころの話である。なぜかというと、書評の中で「面白い」という言葉をみかけることが少なかったからだ。どうして見かけなかったかというと、「面白い」というのは感想であり、評語ではないという認識が一般的だったからである。文学評の話ではない。エンタメの書評においても「面白い」という言葉は滅多に使われなかった。そういう時代だから、「面白い」という言葉を書評の中に見かけると実に新鮮だった。

 ところが、「面白い」という言葉が巷にあふれてくると、もう力を持ちえなくなる。この場合の力とは、読者の胸に届ける力だ。新鮮であるときは力を持ちうるが、色あせると力を失っていく。だから、読者の胸に届ける最適のワードは、時代によってどんどん変わっていく。褒めればいい、というものではないのだ。無味乾燥な褒め言葉は論外だ。最強の褒め言葉とは、読者の胸に強く刻まれる熱い感情にほかならない。

「今年のベスト1」「10年間のベスト1」「戦後のベスト1」というベスト1ものから始まって、「号泣本」「魂が震えた本」と、その褒め言葉の歴史を繙くとそこにはさまざまな言葉が並んでいる。

 で、もうだいたいの褒め言葉は出尽くした、と思っていた。あとはこれまでのフレーズの組み合わせしかあるまいと考えていた。たとえば、「戦後の号泣本ベスト1」とかね。ところがあったのである。それもすごいやつが。

 週刊文春9月25日号に、柳広司『ジョーカー・ゲーム』(角川書店)評が載った。評者は村上貴史。これを読むと、ぶっ飛ぶ。なんとなんと、「人間の書いたものではない!」と言うのだ。おお、それでは誰が書いたんだ! こういうことを言われると、無性に読みたくなる。

 いや、こういうのは正確に引用したほうがいいので、その冒頭部分を引く。

「これが本当に人間が書いた作品なのだろうか。この密度。この重さ。この冷たさ。この奥行き。柳広司『ジョーカー・ゲーム』は、そのすべての要素が人間の生み出しうるものを超越しているように思える」

 すごい賛辞だ。これは大変、という気になってくる。もちろん書評であるから、それが本当に内容に見合ったものであるのか、ということも重要だが、それはここでは問わない。モダンホラーが日本に上陸したときの紹介者たちの熱い弁を思い出すのである。結果的にはそれほどの作品かよと言いたくなる小説もあったけれど、しかしあのときの紹介者たちの熱弁を私は忘れない。新しい小説を世に紹介するときはあれくらい熱く、そして印象深く、語ってほしいと思う。同業者として素直に拍手を送るのである。

 もしも、戦後褒め言葉グランプリというものがあったなら、今回の柳広司『ジョーカー・ゲーム』評はベスト1だ!

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