6月14日(木)
僕の父親が、それまで勤めていた会社を辞め、独立したのは、僕が小学校5年生のときだった。そのとき母親から「これからはいつ借金取りが来て、家がなくなるかわからない、その覚悟をしなさい」と言われ、夜も眠れないほど不安に陥ったが、運良く借金取りが押し掛けてくることはなかった。ただし、会社が軌道に乗るようになる5年ほどの間は、ビックリするような貧乏暮らしが続いた。
そんな父親の仕事は機械屋だ。鉄や金属を加工し、部品をこさえ、組み付ける。独立する際、それまでつきあっていた多く取引先から「こんどは杉江さんところに頼むよ」と言われたいたのだが、いざ独立してみると前の会社の手前から誰も仕事を頼んで来なかった。それどころか仕事場を提供してくれるはずだった知人すら、急に態度を変え、当初のもくろみは大きく外れたらしかった。父親は夜遅く母親にこぼしていた。
それでも毎日仕事を求め得意先回りとしていると、やっと1軒の工場から注文をもらった。父親の会社にとって初めての仕事だった。これは失敗できない。最高のものを作ろう、父親はそう思い、図面を引き、加工を考えた。そのときある加工をどうしても頼みたい職人さんの顔が浮かんだ。年老いた、小さな小さな町の旋盤屋さんなのだが、腕はピカイチだった。あの人に頼めば絶対良いものができると思った。
しかしその旋盤屋さんは、現金払いだった。代金をすぐ払わないと仕事を引き受けてくれないのだ。でも、父親の会社にはお金がほとんどなかった。この仕事が終わればまとまった金が少しは入るがそれもまだ先の話。ダメかとあきらめかけたけど、どうしても良い物をこしらえたかった。
翌日、中古のバンに材料を積み込み、旋盤屋さんに向かった。
図面を見せ、話をした。職人さんは「できるよ」と難なく答えた。
「でも...」と父親は支払いのことを話そうとした。するとその職人さんは、父親の言葉をさえぎり、こう話したという。
「支払いなんて後で良いよ。今まであんたの仕事を見てきたから。信用しているから。」
その夜、父親は家に帰って、母親と兄貴と僕を呼び出し、肩を震わせながらそんな話をしてくれた。
「お前たちには苦労をかけるけど、お父さんは今日のことだけでも、独立して良かったと思っている」
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本日読了した『いっしん虎徹』山本兼一著(文藝春秋)は、伝説の刀鍛冶・長曽弥興里(のちの虎徹)の生涯を描いた時代小説なのだが、父親を救ってくれた職人さん同様、職人のアツイ魂が凝縮された渾身の1冊である。刀に託された職人の魂が人に伝わったとき、激しい感動に包まれること間違いなし!