6月26日(火)
とある大型書店さんを訪問し、売れ行きベスト10を確認したら、文芸書が一冊もなかった。そこは文庫、コミックを抜いた総合のベスト10を掲げているのだが、重松清や江國香織、本多孝好の新刊が出てもこれなのだ。
ガックリしつつ担当者さんに話を振ると「そんなんで驚いちゃダメですよ。ベスト50のなかに小説が2冊しか入ってないんですから」とベスト50のラインナップを見せていただく。うう、マジで小説が2冊しか入ってない…。そして「今や単行本の小説なんて専門書と一緒ですよ」と呟かれる。
ここ数年いちだんと単行本の小説が売れなくなった原因のひとつは、間違いなく文庫化スピード速くなっていることであろうと思うのだが、これはまた別の書店員さんに言われたことなのだが「お客さんが小説に費やす金額が、完全に文庫の金額が基準になってしまいましたね」とのことで、もはや元に戻すなんてことは不可能なのではなかろうか。
ではその分、文庫の売り上げがあがっているかというとそこまででもないような気がするし、文庫の最低初版部数が上昇しているなんて話も聞かない。また文庫も最近は解説がついてなかったりして、結構経費削減しているような気もするし、値段事態じわじわと上昇しているではないか。
ようはパイは広がらずに、金額だけ下がってしまったのではなかろうか。ならばそれは商売として最悪なのではないか。いやもちろんユニクロのように安く作る方法を考えて値段を下げるなら良いんだけど、本の制作費がここ数年ドンと下がったなんてこともなかろうに、果たしてこんなことをしていていいのだろうか。
書店も出版社も大変だが、果たして作家はどうやって生活をしているのだろうか。数千部の単行本を年に何点か出し、そのうち何点かが文庫になったとして、それだって単行本が売れていなければ1〜2万部程度なのではなかろうか。これではとても生活できないだろう。
本日通勤時、京王線のなかで僕が座っていたシートと対面のシートには、12人の人が腰をかけていたのだが、そのうち6人が本を読んでいた。活字離れなんてウソだろう。人は結構本を読んでいるのだ。
うち文庫本を読んでいたのが4人で、単行本(ビジネス書)が2人だった。ちなみに雑誌を読んでいる人は車両中に一人もおらず、何だかこの辺に今の出版傾向を現れているような気がしたのだが、そういえば電車のなかで単行本の小説を読んでいる人を見かけなくなった。たまに見かけたとしてもビニールパックされた、図書館の本であることが非常に多い。
小説の読書は文庫。
こんなことが常識になるのであれば、いっそのこと文庫と単行本を出す順番を逆にして、文庫を出してから、人気のあるものを愛蔵版として単行本にするというのもありなのではないか。いやなぜみんな文庫を買うかというと実は値段の問題だけでなく、ある程度評価の定まったものを購入したいという考えもあるのではなかろうか。でも、ケータイ小説はなぜか文庫は売れず、ハードカバーでみんな欲しがるのはなぜなのだろうか。あれは「本を読んだ」という実感が欲しいのか? 嗚呼、そもそもそこまで単行本にこだわる必要があるのだろうか……。「本の雑誌」も新刊めったくたガイド欄に文庫番を作った方がいいのではなかろうか。
いろんなことが頭の中を駆けめぐる。頼むから「読書は、文庫あるいは新書」にならないで欲しいとチビ出版社の営業マンは願うのであった。
その晩、とある書店員さんと酒を飲みつつ、上記のような話をしたら、グッとビールを煽った後にこういわれた。
「出版社の責任ですからねえ」