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4月11日(金)

銀座・教文館のYさんを訪問したら開口一番「淋しいよね」と切り出される。銀座で淋しい出来事といえば、当然、旭屋書店銀座店の閉店(4月25日午後6時で閉店される)で、それは同地域ライバル書店の書店員さんもまったく同じ想いなのであった。

「近いけどライバルっていうよりも、もう共存共栄の、仲間だよね。旭屋さんはこのジャンルが強いから、そこはお任せして、うちはこっちのジャンルを強くしようとか。新刊台もフェア台も、仕事の帰りによく見に行ったの。でもそれも偵察っていうよりは、ただ普通に本屋さんに寄ろうって感じだった。良い店なのよ。ほんと哀しいし、淋しい。」

私がいちばん最初に引き継いだときの、今ではボロボロになってしまった営業訪問リストを見ると、銀座には近藤書店があり、積文館もあり、日比谷には良文堂もあった。もちろん今は三省堂が有楽町駅前にあり、その隣の丸井の上にはツタヤがある。数や面積の上では、この10年の変化もまったくないように思えるけれど、やはりそこにあって欲しい本屋さんというのがある。

私にとって旭屋銀座店は、まさに営業の青春である。
なぜなら私が「本の雑誌」に入社し、前任者が体調不良だったため外回りの同行営業による引き継ぎはまったくできなかった。もはや自分でいって飛びこむしかない状況だったのだが、その本の雑誌社の営業として、初めて訪問したのがこの旭屋書店銀座店だった。

その頃の担当は大牧さんと塚本さんで、私はこのふたりから営業の基本をほとんど教わった。厳しくもあり、優しくもあり、書店員の誇り溢れる人たちだった。その誇りは棚に現れ、渋谷の旭屋書店同様、ヘンに偏りのない新刊台ときちっとした品揃え、独創的なフェアなど、まさに本屋さんの基本がここにあった。

『本屋大賞2008』に掲載されている実行委員の高頭佐和子さんが書かれた「本屋大賞の5年間」読みながらふと思い出したのだが、私はあの頃、確かに「本屋大賞的な何か」を暖めていたのだ。

そのひとつは書店員さん同士の横の繋がりで、営業で訪問していると、同じチェーンでありながら、ブツブツと途切れていて情報共有どころか人間関係もまったく出来ていない現状がとっても淋しかった。それをどうにかしたくて、当時の旭屋書店の文芸書担当者さんに声をかけ飲み会を開いたことがあった。確か越谷店のHさん、船橋店のYさん、渋谷店のHさんが参加してくれ、大いに盛り上がった。盛り上がったけれど、私はその社内の話にはまったくついていけなかった。でもすごく楽しかったし、いつもお世話になっている書店員さんの役に立てたという実感があった。こういうことの積み重ねが本屋大賞の創設につながっていくのだがそれはまた別の話だ。

世の中には無くなってはいけないものがあると思う。
私にとって旭屋書店銀座店は、絶対に無くなってはいけないものだった。
もはやどうすることもできれないけれど、私は一生忘れない。銀座に旭屋書店があったことを。そしてそこで私は、たくさんのことを教わったことを。

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