4月20日(日) ぼくのJリーグ・ライフ 04
それは2年遅れで入学した専門学校の昼休みのことだった。
ほとんどが2つ年下のクラスメイトのなかで、数少ない同じ歳のとおるが、興奮気味に話かけてきた。そのときはまだ付き合いが浅くわかっていなかったのだが、とおるは常に興奮しているのであった。
「スギエ! スギエ! ヤバイっちよ。浦和にJリーグのチームができるよ。マジ、どうしよう?!」
正直告白すると僕は、とおるがその言葉を発するまでJリーグはおろか日本にプロサッカーリーグが出来ようとしていることも知らなかった。なぜなら僕にとってサッカーはやるものであって見るものではなかった。ダイヤモンドサッカーとW杯を別にして。だからとおるの問いかけに対して、僕は結構冷ややかに答えたと思う。
「でさ、スギエ。サポータークラブっていうのがあってさ、3人集まれば登録できるらしいんだよ。悪いけどスギエの名前貸して」
このとき名前を貸さなければ、僕の人生はこんなに狂いはしなかった。いや人生が狂ったのではない。サッカーに、浦和レッズに狂ったのである……。
★ ★ ★
さいたまダービーのこの日、なぜか反対側のオレンジ色に染まったゴール裏に、僕を狂わせた張本人とおるがいる。あれほど一緒に浦和レッズを応援していたのに、とおるは、3年間の大阪転勤の後、浦和レッズから距離を置くようになった。その理由は深く聞いたことはないのだが、おそらく朝から並ぶことが面倒だったり、あの頃と少し変わったゴール裏の雰囲気に違和感を感じたのか、弱かったレッズが好きだったのかもしれない。
そんなこと詳しく聞いたらケンカになるかもしれないので、僕は友情を大切にするため聞かないでいたのだが、あろうことかそのとおるが今年の年賀状で「大宮サポになりました!」と書いてきた。しかもこいつはやるとなったら即行動する男だから、大宮の年間チケットを購入し、開幕戦から通い出したではないか。
そのとおるが反対側のゴール裏からメールを送ってくる。
「せまいよ、アウェーゴール裏。もっと開けろよ」
僕は友達であることをすっかり忘れてメールを返す。
「さいたまには浦和だけ!」
試合開始とともにメール交換は終わり、互いに声を枯らし、チームを応援した。結果0対0の引き分け。
何をやっているんだ! 浦和レッズ! これじゃとおると見ていた頃のレッズじゃないか。ブーイングしていると、とおるからメールが届く。
「引き分けでブーイングか。やっぱ時代は変わったなあ……」