第4回 3カ月 Do it yourself

 さてさて『超難関中学のおもしろすぎる入試問題』松本亘正(平凡社新書)が順調に売り上げを伸ばす中、【誰? フェア】の商品も揃ったので、展開風景をご覧頂きましょう。(写真1)

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(写真1)

真ん中、やや右にあるのが、先月紹介したフリーペーパー。

 きちんと統計をとっている訳ではないけど、こういうフリーペーパーを置いておくと、フェア開始直後の1週間は、商品は大して売れなくてもフリーペーパーは凄い勢いで減っていく。
 この試みを始めた頃は、「無料の小冊子ばっか持って行かれて、商品が売れないんじゃ困っちゃうな」と心配したりもしたけれど、その小冊子をまずは皆さん、じっくり眺めて吟味してくれるのか、2週目に入ると途端に商品が売れ出すというパターンは毎度のことなので、もう慣れた。

 しかも「コレとコレ辺りが、一番の売れ筋だろう」と思っているのとは全っ然違う作品が売れるってのも毎度のことで、昔は自分なりに売れ行きを予想して、発注する数にも強弱をつけたけど、それがまるで当たりゃしないから最近はもう一律5冊とか、「文庫は7冊、単行本は4冊」みたいに機械的に数を決めて、あとは売れ行きを見ながら追加発注することにしている。
 だってホントに意外なものが売れるのよ、いつもいつも。例えば、こないだ紹介した【とっても狭くて深い本 フェア】でも、『カラスの教科書』松原始(講談社文庫)と『身のまわりのありとあらゆるものを化学式で書いてみた』山口悟(ベレ出版)の二つが一番売れた。カラスと化学式って、いつからそんなに人気のネタになったのか?

 ところで前回、フェアの話題をきっかけに、小冊子やパネルなど拡材の件にも話が広がったりしたから、話の逸れついでにもう少し。

 出版社から送られてくる拡材を使わないのは、前にも話した通り、お客さんが見慣れてる(≒見飽きてる)故に、どれだけ効果があるのか疑問だからなんだけど、もう一つ、自分の売り場に合ったものを自分で作った方が使いやすい、ということもある。
 折よく岩波新書の棚の見出しを1コ増やそうと思ってたところなので──新赤の背番号が2000番台に入って暫く経つから──例としてちょうど良さそうだ。

 文庫の著者名プレートなんかは出版社からも貰えるけど、厚紙やプラスチックの1枚板を本と本の間に差すだけだから、しょっちゅう落っこちるのね。しかも、横から見ないと字が読めない。だったら工夫をしてみましょうということで、初めて自作したのは2005年とか2006年の頃。何度か改良繰り返して今は下のような感じ。

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(写真2)

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(写真3)

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(写真4)

 まず写真2の如きものを印刷する。WORDでもEXCELでも何でもいい。それを切り抜いて写真3のようにラミネートする。透明な部分が多いから画面じゃちょっと見にくいかも知れないけど、写真4のように本の幅を残して奥を織り込んでやると、棚に差した時に織り込んだ部分が本の後ろに回るから簡単には落ちてこない。棚の右端の方に設置する場合は、折る方向を逆にすればいい。

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(写真5)

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(写真6)

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(写真7)

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(写真8)

 参考までに、全部の見出しを外した岩波新書の棚が写真5、見出しをつけた風景が写真6。文芸書の棚は写真7。アップで撮ったのが写真8。三角に折ったのが分かって貰えるかな? 1枚板じゃないから、正面からみても判読できるでしょ。
「自分で作った方が使いやすい」って言ったのはこういうことね。

 ついでに言うと、著者名プレートと言うのか著者名見出しと言うのか、こういうものをつけると、お客さんだけでなく自分たち従業員も、目当ての商品を探しやすくなる。その上、日々入荷する商品を配架するのもラクになるし、更には、お客さんが手に取った商品を元の場所に戻してくれる率が格段に上がるから、棚の乱れも減る。
 見出しを作ること自体は正直、面倒だし「やりたい仕事」ではないんだけど、休配日(日曜祝日などで納品が無い日)などにエイヤッとやってしまうと、翌日から棚の仕事が明らかに捗るし、自分の棚ながら、眺めていて気持ちがいい。

 最近流行りのタイパだの効率化だのって言うと、すぐにキーボード叩いてデータ出して云々、みたいな話になるけど、こういう地味な手作業だって、長い目で見れば効率化だと思うんだよね。ただ昨今は何かあるとすぐに、「それによって1か月で何分の時間短縮になりましたか」みたいな報告を求められるんだけど、知らないよそんなこと(笑)。
 自分の仕事がやりやすくなって、お客さんは本を探しやすくなったんだから、それでいいじゃんか。

 昔と違って今は、電子書籍も随分と充実しているし、オーディオブックなんてものまで手に入る。そんな中で敢えて紙の本を売ろうとしている我々は、もっと手でさわれる仕事、机の上じゃなくて売場で体を動かす仕事、を大事にしてもいいんじゃないかなぁ。

 紙の本を買ってくれるお客さんは、ダウンロードする訳じゃなく、店頭に来て、手に取ってページをめくって、本当に欲しい本かどうか、面白いかどうかを吟味する訳だから、我々が、パソコンのモニターで数字だけ見ていても、お客さんを楽しませる売り場にはならならんだろう。
 どうしたら、お客さんが目当ての本を見つけやすくなるか。どうしたら手に取りやすいか、手に取ってみようと思うか、ページをめくってみる気になるか。或いは一度手に取った本を戻す際に、どういう棚だったら面倒が減るか。
 そういう工夫は、いくら数字を子細に検討したところで、出てこないんじゃないかと思うんだけど、徒に経験だけが長いおっさん書店員がアナクロな思想から脱皮できていないだけだと笑われるかな。

 そうだ! ごめん、話、跳ぶ。吟味で思い出した。ゲラ刷りの試し読みも、2006年頃から続けてるんだ。

 業界の外の方々、〈ゲラ刷り〉って、分かります? 原稿用紙に手書きだったりWORDだったり、作家さんによってまちまちな原稿を、〝まだチェックと修正は重ねますけど、本にした時は大体こんな感じになりますよ〟と、一応発売する時のレイアウトに組んで印刷したもの......っていう説明で大体合ってるのかな。
 それがね、2005年、2006年辺りから、一部の書店員に出回るようになったの。

 当時は営業さんが(場合によっては編集さんと連れ立って)、「あの書店員さんなら、この作品を気に入ってくれるんじゃないか」といった目星をつけて(多分)、店頭で熱心にプレゼンして、「読んでみて下さい!」「そりゃあ大いに楽しみだ!」みたいなやり取りがあったのね。
 出版社としては、それで気に入って貰って、発売と同時に店の一等地で展開して貰って、あわよくば手書きの熱いPOPなんかもつけて貰って、それで売上が伸びる気配があればすかさず他の書店にも「力を入れて展開してくれてるお店では既に実績が出始めてます」みたいな営業をかけて追加の注文を貰って、あっちでもこっちでも売れ始めたら重版かけて、新聞に「発売即重版!」なんて広告をうってetc......みたいなシナリオを描いていたんだろう。

 我々本屋の人間も、自分に声をかけてくれたという時点で既に意気に感じたし、それが日頃から応援している──〈推し〉なんて言葉はまだ無かった──作家の〝発売前の作品〟なんだからテンション爆上がりで「頼まれなくたって読まずにいられるか」って思いだったし、読んで実際に面白かったらすぐに営業さんに電話して「よかった! これ頑張って売ろうよ!」みたいに熱意を共有して、書店員同士でもチェーンを越えてmixi(笑)で「今度のアレ、面白いよね、売りたいね」みたいに盛り上がってetc......。

 それが今や、一斉FAXやBccメールで「○○さんの最新作のゲラ、読んでくれる書店員さん大募集!」みたいな案内が届くだけで味も素っ気も無くなっちゃった。本当に勧めたいと思ってるんだったらちゃんと顔と顔を突き合わせてプレゼンすりゃいいのに。遠く離れた地方の書店にはそうそう頻繁に顔を出す訳にはいかないだろうけど、せめて電話で「これこれこういうところが面白いんです、だから他の誰でもないあなたに読んで貰いたいんです」って思いを伝えればいいのに。
 一斉FAXやBccメールなんて、家の玄関に投げ込まれるダイレクトメールと一緒で、熱意も意欲も感じないよ。その店の棚を見もせずに、よくぞ「これお勧めです」とかって営業できるなぁ。私なんかは歳とってひねくれちゃってるから、「うちの店にお勧めなんじゃなくて、あなたが一方的に売りたいだけだよね?」と、つい意地悪なことを考えてしまうよ。言わないけどね。

 だからかつては、売れ行きが鈍って平積みから外す時に、ふと顔が浮かぶ営業さんってのが10人や15人はいたんだよね。「○○さん、ごめん、さすがに売行きが鈍ったから、平積みから外すね」って心の中で詫びながら返品したんだけど、最近はそういう風に顔が浮かぶ営業さんって、せいぜい3~4人だなぁ。
 まぁ、これからの時代はそういう暑苦しいやり方よりも効率化、なんだろうね。

 とっとっと......愚痴と不平をこぼす場所ではなかった。閑話休題。ゲラ刷りの話。
 とにかく、書店員の間にゲラ刷りが出回るようになって暫くした頃。
 とある出版社の営業さんが、とあるエッセイのゲラ刷りを持って来た。既にエッセイストとして賞も獲り、人気も不動になっている作家ではあるものの、忘れられたように放っておかれていたデビュー作の旅行エッセイを改めて編集し直して復刊する、というような話だった。

「まだ若い頃に書いた文章なんで、最近の著作と比べると固いんですけど、旅先で見たこと感じたことを飾らずに綴る素直さは今と変わらないですし、行き先が極端に辺鄙なところなんで、そういった意味でも面白く読めるんです」

 そう熱心に語る営業さんは、名前を聞けば誰でも知ってるような大手版元ではないけれど、そして私が勤務していた店舗も都心の大型店と比べれば売り上げはその10分の1といった弱小店だったけど、普段から足繫く通ってくれていた人で、彼女の「どうにかして、きっちりとファンに届けたい」という思いは直接こちらの胸に響いてきた。
「どうしたら手に取って貰えますかね?」
「一等地にどーんと積みましたってだけじゃ弱いよね」
「積んで貰えるならそれに越したことはないんですけど、それで売れるかとなると何とも......」
「積みゃあ売れるってんなら、俺たち苦労しないよね(笑)」

 ちょうどお客さんが途切れて暇な時間だったこともあって、のんびりとそんな相談をしていた時。最初に言い出したのはどっちだったかなぁ。

「このゲラ刷り、冒頭の部分だけでもコピーして配って見たらどうだろう」

というアイデアが出た。スーパーの食品売り場の試食のように、ちょっとだけ無料で〝食べて〟貰って、美味しかったら買ってねという訳だ。
 食品売り場で何故、ああも頻繁に試食をやっているかと言えば、美味しいかどうかは、言葉で説明するよりも一口食べて貰った方が断然伝わるからだろう。百聞は一口に如かず、だ。

 通常、我々は何かを購入する際、その商品のメリット、デメリットを或る程度は把握した上でレジに持って行く。

 例えばセーターやカーディガンなら、「ちょっと袖が短めだけど、柄は好きだ」とか、逆に「サイズはちょうど良いんだけど、柄がイマイチ」とか色々検討した上で、デメリットはデメリットとして「この程度は妥協しよう」と納得して会計する。袖が短めなことは試着して確認した上で会計して、帰宅していざ着る段になって「サイズが合うと思ったのに!」と文句を言う人は、あんまりいない。
 もう幾つか例を挙げよう。
 家族4人でドライブに行きたいから車を買った、という場合。定員五人のハッチバックが欲しかったのに、納車されてみたら二人乗りの軽トラックだった......なんてことは、絶対にない。
 友達を家に呼んでパーティをするからピザとフライドチキンが欲しかったのに、買って帰ったのは鯵の干物と白菜だった......なんてこともまずあり得ない。

 というのは少々極端だとしても、普通我々は、ある品物をレジに持って行く時点で、その品が自分が欲しかったものか、自分が必要としているものか、かなりはっきりと分かっている。買ってはみたものの何が入っているか分からないなんてのは、正月の福袋ぐらいのもんだろう。

 だがしかし、である。書籍の場合はそういうことが往々にしてある。泣けると思ったのに泣けなかった、笑えると思ったのに笑えなかった、単発の小説だと思ったら別の作品の続編だったetc......。
 つまり本の場合、それが本当に自分が必要としていたものか否か、購入前に判断することは難しく、それがハッキリするのは〝使用後〟なのだ。当然、その時にはもう手遅れだ。

 これが、本を買う際のハードルを高くしているんじゃないだろうか。

 そこで出てきた、「ゲラ刷りの冒頭をコピーして、発売前に配ってしまえ」作戦。これなら、面白そうかそうでないか、好みに合いそうかそうでないか、買う前に多少の感触は得られるのではないか。家に持ち帰って軽く読んで気に入ったら、発売後に再来店して、今度はキレイに製本された実物を手に取って改めてじっくり検討してくれるんじゃないか。
 言わば、新刊の試食だ。

 当時実際に店頭で配った試し読み小冊子は、今は手元に残ってないので、最近使ったやつの写真を挙げておきます。(写真9)

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(写真9)


 良い意味でも悪い意味でも、手作り感満載(笑)。こんなんでも協力してくれる営業さん、編集さん、そして許可してくれる著者さん、ありがとうございます。

 こういうのを、発売1か月ぐらい前から売場の一角に設置して、「発売前の試し読みです。ご自由にお持ちください。気に入ったら買って下さい(笑)」とかってPOPつけて、もう17~18年にもなるのか。

 当然ながら〝試し読み冊子を配った場合〟と〝配らなかった場合〟の売上の比較は出来ないんだけど、冊子が毎度、順調に減っていくのだから、お客さんにはきっと面白がって貰えているんだろう。最近は出版社がWEB上で試し読みを公開していたりするケースもあるけれど、前回も書いたように、紙には紙のメリットがあると信じてやっている。

 こういった売り場の小さなバージョンアップのヒントを、営業さんとの〝雑談以上打ち合わせ未満〟みたいな会話の中で、今までどれだけ貰ってきただろう。営業さんが何気なく放った一言が「お、それ、フェアのテーマになりそうじゃね?」とか、「それ、そのままPOPにしていい?」とか、全部を記録してきた訳じゃないけど仮に記録していたとしても数えきれない量だろう。

 それが昨今のメール営業だと、〝会話のキャッチボールしてる内に話が逸れて、その逸れたところから思わぬアイデアがこぼれ出てきた〟なんてことは、まず無くなった。
 まぁ交通費と労力使って書店を訪問するより、Bccメールで宣伝したいことだけバーっと告知して、あとはそれぞれの書店のチェーン本部にだけ行って一括で注文取っちゃった方が、効率的だもんね。
 そうやって店舗の担当者を口説くことなく出荷した商品が、愛情を以て店頭展開されるかどうかは知らんけど、愛情かけりゃ売れるってもんでもないしね。

 それでも私はやっぱり、店に来て、売り場を見てくれる営業さんと話をするのが好きだな。勿論、忙しくってろくに時間を割けない日も少なくはないんだけど。
 こないだも、とある営業さんが来店した時に、
「あ、こんにちは、ご無沙汰してます」
「実は昨日もお邪魔したんですけど、台車に新刊が山盛りでレジも長蛇の列だったんで、あっちのドアから入って『また来ま~す』って囁きながらこっちのドアから出ちゃいました(笑)」
なんてこともあったりして、そういう無駄足二度手間三度手間にも腐らずに再来店してくれる営業さんは絶滅危惧種だけどまだ頑張っていて、そういう人と話す度に元気を貰ってもいるのでした。いつもありがとうございます。

 いやはや、今回は愚痴っぽくていかんですな。気持ちを切り替えて、手作り拡材の話に戻りましょう。

 POPスタンドってのが正式名称なのかどうか分からないけど、我々がそう呼んでいる文字通り〝POPをたてる為の道具〟。あれも、既成のものが使いにくくて自作している。
 ワイヤー製とプラスチック製のものが一般的だと思うんだけど、ワイヤー製のものはすぐにクニャってなるし、プラスチック製のは折り目に癖がついて頭がブランと後ろに倒れちゃう。

 だったらということで、百均で買ってきた金網。100円のものは細いから加工しやすいけどポキンと折れやすいので、今回使うのは200円のもの。(写真10)

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(写真10)

 これを枠から切り離して(写真11)、更にバラバラに切れば(写真12)、はい出来上がり。(写真13、14)

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(写真11)

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(写真12)

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(写真13)

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(写真14)

 念のために言っておくと、POPスタンドはこうするべきだ、著者名プレートはこうあるべきだ、などと主張したい訳ではないよ。私はただ、既製品が「イマイチ痒いところに手が届かないんだよなぁ」と感じたから、出来る範囲で工夫してみたというだけの話。既製品で不便を感じていないなら別にこんなもの作る必要はないし、その労力はどこか別のところに振り分けた方が得でしょう。
 要は、自分が担当している売場なんだから、「使いにくいなぁ」「不便だなぁ」と感じ続けながら仕事するより、ちょっと手間をかけてやれば仕事がやりやすくなることもあるよ、という話。

 工夫と言えば、これも人に言うと驚かれるんだけど、ストッカーの中に、私は本を横向きに入れるんだよね。(写真15)
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(写真15)

 スタッフに「見にくい」と言われることもまぁ無くはないんだけど、普通に縦に入れるとストッカーを開け閉めする際に本が前後に動いて天と地がぶつかったり、前後の本が互いの隙間に入り込んでカバーや帯が切れたりしがちで、それが嫌だ。
〝工夫〟と言うのも大袈裟だけど、ストッカーなんてお客さんに見せる場所ではないんだから、必ずしも縦に使わなければいけないなんてことは無かろう。自分が使いやすいように使えばいいのだ。

 何しろ、「こう教わったから、その通りにやっている」とか、逆に「教わってないから、やらない」というスタンスだと、多分、いつまで経っても仕事の幅は広がらない。って言うとエラそうに聞こえるかも知れないけど、別にマネージャーの立場で「仕事の幅を広げて成長しなさい」なんて指導したい訳じゃないのよ。

 どう言えばいいのかな、単品の拡販でも、フェアでも、拡材の自作でもストッカーの使い方でも、〝今までのやり方〟が自分にしっくりこなければ、しっくりくるようにひと工夫することで、仕事がやりやすくなるよ。仕事がやりやすくなると、仕事が捗るよ。仕事が捗ると、浮いた時間で+αの仕事にチャレンジ出来るよ。+αの仕事が身に付けば、自分の可能性が広がるよ。自分の可能性が広がると、仕事が少し楽しくなるよ。

 要は、言われたことだけ、課された業務だけでは楽しくないから、楽しくなりそうなことを試している、というだけの話。だから、優先しているのは自分の気持ち。会社のためでもなく上司のためでもない。ここのボタンを掛け違っちゃうと、「ここまでやってるのにちっとも待遇が良くならない」とか「こんなに努力してるのに評価されない」とかって不平不満が際限なく湧いてくる。
 せっかく人とは違う工夫を試みた挙句に不平不満で自家中毒を起こしたんじゃやり切れない。
 工夫してみた。頑張ってみた。その結果、自分の仕事がやりやすくなった。自分の売り場が見やすくなった。それで充分じゃないか。いい仕事はそれ自体が褒美なんだ。