【今週はこれを読め! SF編】ベスター第一長篇、第一回ヒューゴー賞、伊藤典夫初の長篇翻訳

文=牧眞司

  • 破壊された男 (ハヤカワ文庫SF)
  • 『破壊された男 (ハヤカワ文庫SF)』
    アルフレッド・ベスター,寺田克也,伊藤典夫
    早川書房
    880円(税込)
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『破壊された男』は記念すべき第一回のヒューゴー賞受賞作。1952年に〈ギャラクシー〉に三回分載で発表され、それが対象になった。当時のSFファンにとってはあくまで雑誌が主流であり、連載がかならず単行本になるという発想がなかった。その雑誌にしてもアメリカSF界にリーディングマガジンとして長らく君臨した科学技術主流の〈アスタウンディング〉の座を、よりソフィスティケートされた小説に力を入れる新興の〈F&SF〉や〈ギャラクシー〉が脅かしはじめた時期だ。実際、同じ年のヒューゴー賞の商業誌部門は〈アスタウンディング〉と〈ギャラクシー〉の同時受賞となった。

『破壊された男』は、そうした新しい息吹を体現する作品だったといえよう。人間の心を読むエスパーが存在している未来社会で、完全犯罪をなしとげようと策略する悪漢ベン・ライクと、それを打ち破るべく捜査に乗りだす一級エスパーにしてニューヨーク市警心理捜査局総監リンカーン・パウエルの対決。サスペンスたっぷりのストーリーもさることながら、随所にちりばめられた心理学的ギミック、サム・@キンズ、ダフィ・ワイ&、ジョー・1/4メン----それぞれアトキンズ、ワイガンド、クォーターメンと読む----といった人名、テレパシー描写をはじめとする、大胆なタイポグラフィックな表現が鮮烈だった。その後、多くのSFがこうした小説技法を導入し目新しさこそ減じたものの、『破壊された男』はいま読んでもそれら要素の加減が絶妙で、ケレン味がそれだけで浮きあがらず、物語とうまくなじんで独特の雰囲気を醸しだす。

 日本では1965年5月(奥付準拠)に、ハヤカワSFシリーズ(HSFS)の一冊として、この伊藤典夫訳『破壊された男』が、創元推理文庫SFマーク(現在は創元SF文庫)から沼沢洽治訳『分解された男』が刊行された。同じ作品の翻訳が重なることは珍しくないが、これほどタイミングが一緒というのは大層なめぐりあわせである。その後、沼沢訳は何度も再刊され、ある世代以降の読者はこちらで読んだという者が多い。それにひきかえ、伊藤訳『破壊された男』はHSFSの終刊をまたずして入手が難しくなり、ほんらいならハヤカワ文庫SFに収録されるはずが、いまのいままで日の目をみなかった(あるいは伊藤さんが訳文を改めるつもりで時間が経ってしまったのかもしれないが、冒頭部分を比べるかぎり、改稿は数箇所にとどまっている。元の翻訳の完成度が高かったのはまちがいない)。待望していたファンも多く、今回の文庫化は欣快のいたりだ。

 さて、この作品は結末が、本当に凄まじい。

 未来の華麗なる犯罪小説が、まさかこんなドシャメシャな決着にたどりつくとは!

 しかし、ここでそれを明かすわけにはいかない。ネタバレと誹られることを恐れているのではなく、結末部分だけ取りだしてみても未読の読者にはどういうことかピンとこないだろうからだ。作中でそれまで積みあげてきた奇異なディテール----奇異であるものの、ひとつひとつはほんの些細なアクセントだ----があってこそ、クライマックスで展開するスケールが壮大、というか、ミステリとしては台無しかもしれない、読者の脳天をうしろから殴りつけるがごとき場面が活きる。ベスターはこの作品の数年後に『虎よ、虎よ!』を送りだし、ワイドスクリーン・バロックというジャンルを確立する(A・E・ヴァン・ヴォクトという孤高にして歪な先行者がいたものの)が、その萌芽はすでにここにあったのだ。まさに「破壊」というのにふさわしい。

 ストーリイのほぼ冒頭から主人公ベン・ライクの強迫観念としてあらわれる「顔のない男」とともに、「破壊」という言葉がキーワードのように繰り返され、読者はライクを待ちうける運命、もしくは事件の趨勢を暗示していると了解するのだが、とんでもない。ベスターは土台ごと打ち壊してしまう。

 というわけで、伊藤さんが選んだ『破壊された男』はピッタリの訳題である。

 しかし、ぼくは沼沢洽治さんが訳した『分解された男』(創元SF文庫)にも愛着がある。とくにライクが自分の犯行時の意識をエスパーにのぞきみられないように、心理的マスキングとして採用した歌「もっと引っぱる、いわくテンソル」(伊藤訳では「緊張、と張筋が」)は忘れられない。

 CMソングなどで、何気なしに聴いたのに耳にこびりつき、もうスッパリと忘れてしまいたいのに無意識にリピートしてしまう、そんな曲ってあるでしょ。この作品のなかでは、未来の行きすぎた資本主義の産物として、人間心理に作用する音楽を専門につくるプロが存在している。面白いのは、忘れられずリピートしてしまう曲のことを、彼らは「ペプシス」と呼んでいることだ。ためしに「Pepsi Cola 1940's」で検索をかけてみると、たしかにこの曲はウザい。ベスターは第二次大戦直後からラジオ・ドラマの台本を手がけており、仕事柄こういった音楽に接してうんざりしていたのかもしれない。

『破壊された男』作中の曲は原文はこんな歌詞。

 Eight, sir; seven, sir;
 Six, sir; five, sir;
 Four, sir; three, sir;
 Two, sir; one!
 Tenser, said the Tensor.
 Tenser, said the Tensor.
 Tension, apprehension,
 And dissension have begun.

 伊藤訳の『破壊された男』では、こう訳されている。

 日月火
 水木金
 土日月
 火水木......
 緊張、と張筋が
 緊張、と張筋が
 緊張と窮境と
 紛糾のはじまりや

 いっぽう、沼沢訳の『分解された男』ではこうなふう。

 八だよ、七だよ、六だよ、五
 四だよ、三だよ、二だよ、一
 もっと引っぱる、いわくテンソル
 もっと引っぱる、いわくテンソル
 緊張、懸念、不和が来た

 伊藤訳は音律が配慮されていること、数字を曜日に置き換えて日本語のリズムとしてより自然に入ってくる感じとか、じつにみごとだ。しかし、沼沢訳の「もっと引っぱる、いわくテンソル」の意味不明なのに、呪文のように作用するところも捨てがたい。実用としては----つまりライクが日本人だったとして精神マスクに使用することを考えると----音読して効きそうな伊藤訳かもしれないけど、字面でみたウザったさは沼沢訳が圧倒的だ。

 また、ライクの社交界の仲間であるイケイケでド派手な御婦人マリア・ボーモントのふたつ名が、伊藤訳では「金ピカの死体(ほとけ)」、沼沢訳では「金色(こんじき)お化け」。これは良い勝負でしょうね。ちなみに原文は「Gilt Corpse」。

 さて、マリア・ボーモントの邸宅で開催されたパーティが、ライクによって綿密に計画された犯行の現場となる。ライクは太陽系を股にかける巨大企業モナーク社の社長で、ライバル企業ドコートニイ・カルテルを苦々しく思っていた。提携を持ちかけるがうまく運ばず、思いつめたライクは先方の社長クレイ・ドコートニイの殺害を企てる。パーティの途中、主催者のマリアが参加者全員を巻きこんだ暗闇ゲームをはじめるよう、あらかじめ仕込んでおき、闇に乗じてドコートニイを消すのだ。

 ところがここに予期せぬ伏兵があらわれる。マリアはパーティにエスパーを招かない方針だったが、跳ね返りの若者ゲイレン・チャーヴィルが闖入したのだ。さらにいざ犯行という段になって、ドコートニイの娘バーバラに目撃されてしまう。完全殺人のもくろみは瓦解したが、それでもライクは危うい綱渡りで犯行をやり遂げる。

 そこから先は、証拠隠滅をもくろむライクと、捜査に乗りだした級エスパーのリンカーン・パウエルとの鍔迫りあいだ。

 悪役のライクは屈託を胸に秘めているが、なかなか良い男ぶりで、ぼくなどはどちらかというと彼を応援してしまう。なにしろ、この未来というのが能力主義の階級社会で、しかもエスパーが羽振りをきかせているのだ。能力の高いエスパーは要職につき、同じ程度のエスパーと結婚することがあたりまえとされている。そのなかで、エスパーでない一般人のライクが地位と権力を得ようと格闘しているのだ。いっぽうのパウエルもちょっとシニカルで飄然としていて、エスパー社会のなかでもなんとなく浮いているふうなのが面白い。

 そんじょそこいらの犯罪小説のように、犯人と探偵のどちらが勝つという展開にならないのが、またいい。繰り返しになるけど、結末は本当に凄いよ。

(牧眞司)

  • 分解された男 (創元SF文庫) (創元推理文庫 623-1)
  • 『分解された男 (創元SF文庫) (創元推理文庫 623-1)』
    アルフレッド・ベスター,沼澤 洽治
    東京創元社
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