【今週はこれを読め! SF編】偶然性と運命のアラベスク、あるいは過去からの迷い弾

文=牧眞司

  • アンチクリストの誕生 (ちくま文庫)
  • 『アンチクリストの誕生 (ちくま文庫)』
    ペルッツ,レオ,創一郎, 垂野
    筑摩書房
    990円(税込)
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 レオ・ペルッツの作品は、無理やり分類すれば幻想小説、奇想小説、歴史小説などといえなくもないけれど、ぼくがいちばんしっくりくるラベルは「アンチミステリ」だ。しかも、彼はアンチミステリを目ざして書いたのではなく、偶然性/運命の機微を物語構造に巧みに織りこみ、繊細な叙述を重ねたあげく、はからずもアンチミステリになってしまう(微分的には滑らかなのに全体を通してみると異様な軌跡----ねじれた因果----が完成してしまう)。まことに希有な存在といえよう。なにしろ、ペルッツはアガサ・クリスティやエラリー・クイーンに先行しているのだ。

『アンチクリストの誕生』はペルッツの生前に刊行された唯一の中・短篇集。八篇が収録されている。

 アンチミステリを構成するにはそれなりの長さ(ロジック連鎖の距離)が必要なので、『最後の審判の巨匠』や『夜毎に石の橋の下で』といった長篇のような眩惑感はないが、偶然と運命の間隙を突く意外性は短篇のほうが際立ってみえる。

 たとえば、「ボタンを押すだけで」は、語り手が降霊術の会に参加している最中に、遠隔する場所にいた知りあいの博士が突然死を遂げる。通常で考えれば、語り手のしわざということはありえない。犯行の「手段」がないばかりか、「動機」すらないのだ。そして、博士の死因も「突然の脳卒中」と鑑定されている。しかし、語り手は博士の死と同時期に、彼を思い浮かべてボタンを押している。



 どんなボタンですかって。いやほんとにボタンがあるわけじゃなくて、話をわかりやすくするためのたとえですよ。あんたは戦に出とりましたな。海軍でしたっけ。(略)
 ともかくわしはボラで伝令兵でした。港湾司令部のある部屋には、テーブルの上に港の地図が広げてあって、その地図に水雷の位置が描かれとりました。地図の水雷には一つ一つボタンがついてて、それを押したら----電気が通ずるってわけです。(略)ただボタンを押すだけ、それきり何もせんでいいんです。



 この作品が印象的なのは、「心のボタンを押す」というイメージ(フレドリック・ブラウンのショートショートか藤子不二雄の奇想漫画にありそう)の鮮明さと、降霊術の情景(神秘とアクシデント)の不穏さ、そして、語り手さえ知らなかった「ボタンを押した理由」が明かされる結末----これらが一気に揃うからだ。

「夜のない日」も、偶然性と運命のふしぎを鮮やかに描いた作品。天才型の青年デュルヴァルは、チェスクラブでの対戦で閃きに任せた駒運びをし、終盤に奇妙な形勢になることがしばしばだった。そんなときに、数学の難問の解法の糸口がつかめるのだ。彼のこのおかしな性質が、チェス以外の場面でも発揮される。

 レストランで些細なことからひとりの男と諍いになり、決闘をすることになったのだが、その夜、昂奮を収めようと本棚に差しっぱなしにしていた冊子を手に取り、新しい数学の解法が閃いたのだ。友人たちがあれこれ面倒をみてくれ、決闘のための準備が着々と進むなかで、デュルヴァルの心は抽象な思考へとすっかり傾いている。ピストルを手にしたときも気がそぞろだ。数学にすっかり集中している。

 決闘がきっかけで数学に没頭し、数学に没頭しているがゆえに決闘が疎かになる。その結果......。因果が皮肉な軌道を描く。

「月は笑う」は、歴然とした奇想小説。一風変わった月への怖れが代々受けつがれている家系がある。曾祖父は、籠城している敵の城壁を夜闇に姿を隠して登ろうとしたところ、急に雲から月が出て射殺されてしまった。また、ある先祖はフランス王国軍の大佐だったが、満月にむかって一斉射撃を命じた次の夜、空から降ってきた奇妙な石に頭を砕かれた。こんなふうに、一家に伝わる月との確執は数知れない。

 その末裔の男爵が、いま語り手と向きあって話をしている。気がかりなのは、男爵夫人がまだ外出先から戻っていないことだ。



「すっかり暗くなりました。わたしは家内が月の夜に街道を走るのを好みません。この近くにある十字路では、月の光が怖ろしい影を投げかけて馬を怯えさせますから」



 月を警戒する男爵。気にしすぎるあまり、望遠鏡で月を監視するほどだ。しかし、それが仇になって......。

 この作品でも、「夜のない日」と同じく因果の皮肉が描かれる。それと同時に、「ボタンを押すだけで」にあったような、知らずにすめば良かったことが偶然のいたずらによって暴かれてしまう悲喜劇が繰り返される。

 中篇がふたつ。

 表題作「アンチクリストの誕生」は、この世が終末に瀕したときに出現すると伝えられるキリストに敵対する存在(反キリスト)を題材にしている。といっても、怪奇小説もしくはオカルティックな展開にはならず、誕生したのがほんとうにアンチクリストなのかは最後まで明らかにならない。その赤ん坊を禍々しい者とみなす根拠は、父親である靴直しが見た夢だけなのだ。

 夢のなかで、靴直しは赤ん坊の入った籠を手に浜辺にいた。やがて遠くから三人の男がやってくる。ひとりは北から、ひとりは南から、ひとりは海を越えて。三人は奇矯な贈り物----瀝青、硫黄、タール----を赤ん坊に捧げる。すると天から声が響く。「これら全世界の罪禍なり。今日生を受けたるものに靡(なび)かんとて皆ここに参上せり」

 ただの夢だが、聖書に造詣の深い老農夫に相談したところ、それはアンチクリストの夢だという。老人のいうことを信じるなら、いちいち符合する。アンチクリストは、キリストと同じくクリスマス前夜に生まれる。父親は逃亡した殺人者、母親は出奔した尼だ。そう聖書に記されている。靴直しはいまこそ真面目に暮らしているが、不可抗力で殺人を犯した過去があった。また、妻はかつて神に仕えていたが、修道院の酷い生活に耐えきれず逃げてきた女だった。しかし、神への誠実を失ったわけではない。靴直しの昔の仲間たちが、彼の過去を暴露するぞと脅かして、金をせびりにくる。そいつら三人が、夢のなかでアンチクリストに贈り物を捧げた三人と重なる。

 ペルッツがうまいのは、靴直しが妻と出会う経緯から語りだし、善良で敬虔な信仰をもつ夫婦のつかのまのしあわせが悪党に脅かされるエピソードを、感傷的なドラマとしてじゅうぶん盛りあげたところで、やおらアンチクリストのモチーフを滑りこませ、物語を思いかげない方向へと逸脱させていく手管である。じつは逸脱ではなくそこが本線なのだが、そこに入るといままで読者が見てきた構図ががらりと変わる。人物の配置はまったく同じなのだが、見えかたがガラリと変わるのだ。だまし絵のように。

「アンチクリストの誕生」は、結末で赤ん坊の意外な正体が明かされ、いわばきれいにオチがつく体裁なのだが、訳者の垂野創一郎さんが「訳者あとがき」で指摘しているように、ペルッツにとっては「(その)正体は何がなんでも隠さなければならぬものでもなかった」ように思える。垂野さんはむしろ靴直しの行動を中心に据えて読み、「怖ろしい難題を運命として与えられ、にもかかわらず全身で取り組む物語」という。

 彼が過去に殺人を犯したのも、ふだんのおこないが悪く、起こるべくして起こったことではなく、予期できぬ巡りあわせ(タイミングや力の入れ加減の問題)によるところであり、妻と出逢ったのも偶然にあずかっている。しかし、いくつもの歯車が噛みあった結果、アンチクリストと対峙する運命へ導かれてしまう。

 もうひとつの中篇「霰弾(さんだん)亭」も、偶然の組みあわせが、どうしようもない運命をもたらす。フワステク曹長の自殺からはじまり、曹長と親しかった語り手の志願兵が、自殺に至る経緯をたどり直す構成を取っている。曹長はもと将校だったが、なんらかの事情で降格になった。いまは酒場の女と住んで野卑に暮らしているが、ときおり将校時代の折り目正しさや教養が顔を出す。

 そうした過去を偲ばせるのが、曹長の部屋にある一枚の写真だ。若いフワステクがひとりの娘と並んで映っている。その娘の顔を見た語り手は、いきなり心臓のあたりに痛みが差す。自分もこの娘を知っている。少年のころ、姉に連れられていったテニス場でよく見かけた彼女だ。

 フワステクの知りあいだった娘を、語り手がそれとは別なところで知っている。これはただの偶然だが、宿命的な偶然である。そして、あろうことか、その娘がある中尉の妻としてふたりの前にあらわれる。彼女はフワステクには親しげに話しかけ、彼を邸宅へ招待するが、語り手のことは覚えていない。

 三角関係と呼べないほど奇妙な三角関係である。だいいち、彼女はもう人妻である。フワステクの態度もおかしい。わざわざ彼女から遠ざかろうとしている。いっぽう、語り手は彼女に恋心を抱いているが、彼女のほうは彼の存在に気づいてすらいない。

 曹長は、語り手が過去に彼女と会っていることを知らない。ただ、語り手が彼女の写真を見て憧れているだけだと思っている。そして、「いいかお前、だしぬけに己の過去に出くわすほど怖ろしい災難はない。サハラ砂漠で迷おうとも己の過去に迷ったよりはたやすく脱出ができる」という。

 いってみれば、曹長は将校から格下げになってから、いままでずっと別の時間を生きてきた。どうやら、格下げになったできごとにも彼女が絡んでいるらしい。それがいま、彼女の出現によって、曹長は過去へ引き戻されてしまったのだ。曹長はそれに抗すべく彼女から遠ざかろうとしていたのだが、そのギアがささいな事件で逆転し、止まっていた時間が動きだす。そう、偶然/運命の歯車が噛みあってしまったのだ。語り手は曹長を殺したのは過去から来た迷い弾で、曹長は運悪くそれにあたっただけでないかと考える。

 ペルッツらしいなと思うのは、語り手がこの手記(「霰弾亭」)を、曹長の自殺から十二年を経た時点での回想として残している点だ。彼も心のどこかで、過去からの迷い弾を覚悟(もしくは期待)しているのではないか。

(牧眞司)

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