【今週はこれを読め! SF編】ボーイ・ミーツ・ガール物語のサイバーパンク的展開

文=牧眞司

  • ダークネット・ダイヴ (創元SF文庫)
  • 『ダークネット・ダイヴ (創元SF文庫)』
    サチ・ロイド,スカイエマ,鍛治 靖子
    東京創元社
    1,298円(税込)
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 冒頭の場面が印象的だ。ロンドンの川沿い、朽ちゆく街区の十四階建てのビルの屋上に腰かけている少年ハンター・ナッシュ。数ブロック先、さびれたスカイライン越しに、金持ちが住む高級マンション群がそびえている。ハンターのうちに滾っているのは、無軌道な衝動だ。なにかをしたい、しかし、なにをしていいかわからない。行き場のない気持ちは、ビルとビルのあいだを跳び越えるスリルへと向かう。たった五メートル、思い切ってジャンプするだけだ。

 青春期にありがちな、世界への無意味な反抗。ハンターもまた、ひとりのホールデン・コールフィールドであり、ジム・スタークなのだろう。彼が屈託を募らせる背景には、抑圧的な社会がある。石油枯渇に瀕した近未来、イギリスはディストピアと化していた。十五年前に政府はエネルギー危機を打開するため原子力発電に舵を切るが、多大な税金をつぎこみながらも電力供給に至っていない。それどころか発電プラントの安全性さえ担保されていないのだ。

 しかし、国民は批判の声をあげられない。政府は思想統制を徹底し、軍警察(コサックと呼ばれている)の監視・暴力でひとびとを抑えこむ。経済的には超格差が固定化され、ひとにぎりの富裕層といっさいのチャンスを剥奪された多くの一般層に分断されている。一般層のごく一部に、市民であることを捨てアウトサイダーとして生きる道を選ぶ者もいた。彼らは劣悪な環境でギリギリの生活をおくりながらも、ネットワークで世界とつながり、状況を覆す機会を狙っている。

 こうした社会システムのなか、ハンターが置かれている立場は、かなり恵まれたものだ。父親は一級技術者階級に属し、ロンドン市長のエネルギー関係の顧問を務めている。ハンターにとって父は体制にすり寄るろくでなしだが、その父の庇護でそれなりの生活が送れていることも事実なのだ。

 端からすれば、金持ちのボンボンが趣味で不良を気取っているだけにみえる。それがわかっているから、ハンターはいっそう屈託するのだろう。そんな彼の運命が、ある夜、街外れでアウトサイダーの少女ウーマと出逢ったことで変わりはじめる。コサックに追われているウーマが、ハンターに託した金属ケース。そのなかに入っていたのは、非常に薄く光沢を帯びた、ちっぽけで湾曲した欠片。ガラス? それとも貝殻か?

 少女が少年に託したのが貝殻ならばちょっとロマンチックだが、じつはこの欠片、特別なデバイスなのだ。アウトサイダーたちは、政府が監視している巨大なネットワーク「家(ジーア)」の裏側に、システムを解読しなければ接続できない「ドリームライン」を構築していた。デバイスはそこへ入るカギだ。

 ウーマと関わりになったハンターも追われる立場になり、アウトサイダーたちが住む地域へ生まれてはじめて足を踏み入れる。そこは彼の想像を絶する、貧しい暮らしがあった。ハンターは自分の閉塞した日常にあきたらずアウトサイダーに憧れていたのだが、自分がいかに世間知らずだったかを思いしる。

 アウトサイダーの老人ハリーは、こう説明する。



「アウトサイダーというのは、ひとつの理想を求めて集まったいろいろな人たちのことなんだよ。それでもふつうの人間だよ。仕事を失い、日々の暮らしにあくせくして、政治家の嘘ばかりの約束にうんざりして----それでも共通の目的のために団結して----狂った政治と戦い、手遅れになる前に新しい世界を築こうとしている人々だよ」



 しかし、ハンターは納得できず、「なにもかも捨てて、まだ洞窟で暮らそうってことですか。冗談じゃないや」と反論する。ハリーはすかかず、こう切り返す。



「洞窟はいらないよ。アウトサイダーはテクノロジーの達人(マスター)だもの。そして、わたしたちは、奴隷じゃなくて主人(マスター)なんだよ」



 彼がいうテクノロジーとは、ドリームネットをはじめ、おもにITに関するものだ。
 テクノロジーと自由によって、新しい時代の理想を希求するアウトサイダー。これは、ブルース・スターリングがサイバーパンクのときに示した志向そのままだ。

『ダークネット・ダイヴ』も、小説の骨格そのものは伝統的な青春アクション小説だが、叙述スタイルやちりばめられたガジェットはサイバーパンク的である。変貌した社会を俯瞰的にではなく、世界を内側から描いていく。研究室のテクノロジーではなく、ストリートに溢れたテクノロジー。単線的にストーリーを進めるのではなく、場面と視点を切り替え、モザイク的に構成するスタイル。それが、独特のリアリティを生んでいる。

 それと引き換えに、慣れない読者は物語に入りこむまで若干苦労をするかもしれない。しかし、心配ご無用。巻末に配された鍛治靖子さんの「訳者あとがき」が、格好のガイドになってくれる。本文より先に読んでもまったく問題ありません。むしろ推奨。

(牧眞司)

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