【今週はこれを読め! SF編】他者の記憶、自分の輪郭、宿痾もしくは恩寵としての共感

文=牧眞司

 第五回創元SF短編賞を受賞した「風牙」からはじまる連作集。風牙(ふうが)というのは作中に登場する犬(ラブラドール・レトリーバー)の名前である。しかし、実体があるわけではない。記憶のなかにいる犬である。少年がペットショップで出逢った、可愛い一匹。これから仲良しになるんだ。おじいちゃんが買ってくれて、風牙の名もおじいちゃんがつけた。

 そんな少年の記憶を、記憶翻訳者(インタープリタ)の珊瑚(さんご)が、いま、共有している。彼女はこの連作をつうじての主人公だ。記憶翻訳は、他人の情動に反応して発火するミラーニューロンの仕組みを利用している。しかし、被験者の脳と記憶翻訳者の脳を情報的につなぐところまでは処理装置でできるが、被験者の記憶を「生」のまま取りだしても、他人にとっては何の意味もなさない。人間の感じかた(世界の捉えかた)は個別であり、それを他人に共有できるかたちに翻訳----汎用化----するためには、まず辞書をアドホックに整える必要がある。記憶翻訳者が他人の記憶に入りこんで、まずおこなうのはこの辞書づくりだ。辞書が整うにつれて、曖昧だった世界が、徐々に鮮明になっていく。

 冒頭で紹介した風牙と少年との甘やかな記憶は、記憶データを扱う企業、九龍(くーろん)を率いる、不二(ふじ)社長のものだ。珊瑚は、九龍所属の腕利き記憶翻訳者である。不二は病で余命二年を宣告され、自分から記憶データのレコーディングを申し出る。ただデータを残すだけで、汎用化作業は不要だという。しかし、通常なら半日ほどで終わるはずのレコーディングが、五日を経過しても依然続いている。このアクシデントを解明するために、急遽、珊瑚が不二の意識にダイブすることになったのだ。

 珊瑚にとっての不二は辣腕ビジネスマンの中年だが、本人の記憶のなかではひたむきな少年だ。そして、いつも風牙がそばにいる。レコーディングがいつまでも終わらない原因は、おそらく風牙だ。



 通常、ほとんどの出来事は忘却されてしまう。事実通りであっても、自分に都合よく解釈したものであっても、とにかく覚え続けていることには何か理由がある。
 いったいなんで、と珊瑚は思う。社長はこんなんばっかり覚えてるんやろか。



『風牙』は、豪華なことに巻末解説を、長谷敏司さんが担当している。長谷さんは「風牙」について、次のように指摘なさる。



 ペットを飼う人々にとって、すでに異種知性とのファーストコンタクトは果たされているが、本作では、情報として翻訳された記憶という、新しい手つきでこの親しい異邦人にコンタクトしている。新しい方向から扱われることで、改めて異種知性としての犬との関係の豊かさと不思議さが鮮やかに浮かび上がる。



 人間にとって犬が異種知性だというのは、まったく同感である。さらにいえば、ひとりの人間にとって、ほかの生命(それが人間であっても)すべて「異質な他者」なのだ。そして自分と他者は隔絶しておらず、理解しきれないながら(いや、しきれないからこそ)つながってしまう。『風牙』は、その機構と衝動をとことん突きつめていく。

 他人の意識に入りこむ能力という設定は、筒井康隆『パプリカ』や夢枕獏《サイコダイバー》などの先行作があるが、『風牙』がユニークなのは個別の記憶辞書が必要という考えかただ。煎じつめれば、人間ひとりひとりが感じているのは「別な世界」ということにもなる。同じ物理世界であっても、個別の体験から生まれる印象は同じではない。あなたの感じる赤は、私の感じる赤とは違う。

 それ以上に『風牙』が独特なのは、記憶翻訳者たる資質は、ハイ・センシティブ・パーソナリティ(HSP)という障害に拠っていることだ。HSPは他人の受けている刺激を自分のものと混同してしまう。そのままでは自己同一性を保持できず、社会生活を営めない。珊瑚は重度のHSPで、生化学的および情報制御的な補助によって、なんとか自分の輪郭を保っている。

 キャラクター造型としては、珊瑚はこてこての関西弁を喋る若い女性で、記憶翻訳に際しては相棒のハリネズミ孫子(そんし)が帯同する。孫子の実体は統合サポートシステムなのだが、珊瑚がインターフェイスとしてハリネズミをイメージしているのだ。結線とクスリで人格をかろうじて保っている重度HSPという身の上にもかかわらず、珊瑚は元気で前向きだ。

 第二篇「閉鎖回廊」、第三篇「みなもとに還る」、第四篇「虚ろの座」と進むに従って、珊瑚の背景が明らかになっていく。彼女は幼いときに両親と別離して、HSPのため隔離され、意識の海に溺れそうになっていたところを、不二に救いだされた。不二が立ちあげた企業が記憶データ汎用化のビジネス化をめざす九龍であり、その仕事に珊瑚は自分の存在意義を見出す。それ以前の過去は、珊瑚が珊瑚として自分を確立する前のことであり、彼女は両親の記憶すら持っていない。

 しかし、記憶がある以前の過去は消えたわけではない。やがて、それが執拗なしがらみとして、あるいは細やかな郷愁のように、珊瑚に追いすがってくる。珊瑚の一家が離散したのは彼女のHSPのみではなく、もっと屈折した状況によるものだった。そのカギとなるのが新興宗教団体〈みなもと〉である。〈みなもと〉は共感能力を神に近づくための力として礼賛しており、信者には健常者もいるが、HSPの生活共同体という側面を有する。

『風牙』の連作は、優れた記憶翻訳者である珊瑚が〈九龍〉のミッションをこなす展開ではじまるが、しだいに珊瑚自身が複雑な事情、あるいは共感能力の問題へ重心を移していく。

 共感能力は対人・対社会的に有利に働くが、自我の境界が曖昧になることでもある。ぼくたちは日々のなかでそれを天秤を釣りあわせるようにして生きているが、『風牙』はSFの設定を投入し、そのバランスを大きく振幅させる。

(牧眞司)

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