【今週はこれを読め! エンタメ編】心を動かされる恋愛小説〜フォースター『モーリス』

文=松井ゆかり

  • モーリス (光文社古典新訳文庫)
  • 『モーリス (光文社古典新訳文庫)』
    Forster,Edward Morgan,フォースター,E.M.,卓朗, 加賀山
    光文社
    1,188円(税込)
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 最近のニュースで、衆議院議員による"LGBTは『生産性』がないので支援する必要はない"といった内容の発言が大きな話題になった。この件に関していろいろ思うことはあるが、私が最も気になっているのは、この議員が自分の子どもさんや将来生まれるかもしれないお孫さんたちがLGBTであると自覚する可能性をまったく考えないのだろうかということだ。仮にそうなった場合、子や孫に「たとえ『生産性』がなくても、あなたは私の大切な子ども(孫)よ」と言うのだろうか。

 本書が書かれたのは1913〜14年頃。タイトルにもなっている『モーリス』とは、主人公の名前だ。ケンブリッジに進学したモーリス・ホールは、ひとつ年上の才気煥発なクライヴ・ダラムと出会う。彼らは友情と呼ぶには親密すぎる感情をお互いに抱くようになる。しかし、イギリスにおいては同性愛は1967年まで法律で禁じられていた。以前にくらべればだいぶ進んではきていると思われる現代でさえまだまだ周囲の理解が十分とはいえないのに、そんな時代に同性しか愛せない人間はどれほど生きづらかったことだろう。やがて、彼らの関係は破局を迎える。ふたりともその後表面的には社会に溶け込んでみえる生活を送っていた。しかし、彼らの心には決して消えることのない炎がくすぶり続けていた。ある夜、クライヴの屋敷に泊まっていたモーリスの部屋に、森番のアレック・スカダーが訪れ...。

 私たちくらいの年代の女子にとっては、『モーリス』といえば映画の方が有名だろう。現在でも第一線で活躍する英国俳優のヒュー・グラントが若き日に出演した出世作でもある(残念ながら、モーリス役のジェームズ・ウィルビーは最近見かけないが)。当時は美形揃いの俳優陣にひたすら目を奪われてばかりだったが、今回原作を読んでみて改めて、モーリスたちの人生がどれだけハードモードであるかを思い知らされた。この時代、自らの同性愛指向が他人に知られることは直ちに身の破滅につながる。自らも同性愛者だった著者・フォースターが亡くなった後、1971年まで出版されなかったのもしかたのないことだったのだろう。

 人を好きになる気持ちは容易には止められない。一方で、好きになった相手が必ずしも同じように自分を思ってくれるとは限らない。『モーリス』が書かれた頃はそれこそ、いわゆるノーマルな人々は異性愛者でない人々を容赦なく糾弾することに何のためらいもなかったと思うが、現代においてさえ同性愛者たちを異端視し受け入れない人々も少なからず存在すると思う(3年ほど前に同性に対して恋愛感情を告白した学生が、相手によってその事実を暴露された結果自殺したという痛ましい事件もあった)。思う相手に思われないのは異性愛であろうが同性愛であろうが起こり得るけれども、自分に好意を寄せてくれる人をどんな性指向の持ち主であれ揶揄するようなことだけはしてくれるな、とせめて願わずにいられない。

 ラストは、フォースター本人が「著者によるはしがき」で触れたところの「三人の登場人物、そのうちふたりにとってのハッピーエンド」である。ハッピーエンドではあるが、それは同時に(一般的な価値観でいえば)茨の道でもある。それでも、ふたりはそこを茨の道とは思わずに進んでいくことを予感させる。個人的には昨今、恋愛小説というものにほとんど関心が向かなくなっているのだが、私が求めていたラブストーリーはここにあったのだと思った。同性同士の恋愛だから純粋であるとか、障害があるからドラマティックであるとかいうことでもない。ただふたりが何の打算もなしにお互いの存在以外すべて捨ててもいいという気持ちだけを持って結ばれたことに、強く心を動かされたのだった。再び「はしがき」から引くが、フォースターは「ハッピーエンドは必須だった。そうでなければ、そもそも書きはじめなかった。とにかく小説のなかでは、ふたりの男が恋に落ち、その小説が許すかぎり永遠にそのままでいることにしようと心に決めていた」と語っている。たとえその選択によって「出版がさらにむずかしくなった」としても。世間的には許されなかったふたりに幸福な結末を用意せずにいられなかった著者の心情の吐露に(ひょっとすると本文以上に)感動を覚える。『眺めのいい部屋』『ハワーズ・エンド』など映画でしか知らなかったE・M・フォースターの世界、小説も読んでみようかなと思う。

(松井ゆかり)

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