【今週はこれを読め! エンタメ編】料理をめぐる実力派作家のアンソロジー『注文の多い料理小説集』

文=松井ゆかり

 新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、このところ何か月にもわたって我々はさまざまな不自由を耐え忍んでいる。私にとっては、1日3回の炊事が大問題だ。他の家族がリモートワーク・授業となっているため、基本的に私が調理せざるを得ない。自分よりはるかにたいへんな状況におられる方々がいらっしゃることは重々承知しているが、面倒は面倒。「自分の作ったもの以外の食事が食べたい!」と思う方々とのシンクロ率は、渚カヲルくんレベルのパーセンテージをたたき出せる自信がある(←生半可なエヴァ知識)。非常事態宣言は解除されたもののいまだ予断を許されないこの状況において、比較的ネガティヴ思考の私には「もう押さえ込み成功っしょ、外食外食! ウェーイ」みたいなことなどできない。なぐさめとなってくれたのがこの、7人の実力派作家による料理をめぐるアンソロジーだった。

 トップバッターは、『ランチのアッコちゃん』『あまからカルテット』など料理の描写が印象的な著書も多い柚木麻子さん。「エルゴと不倫鮨」の主人公・東條は、外資系投資運用会社の営業部長。26歳年下の営業アシスタントの仁科を、創作鮨の店に誘うことに成功した。閑静な住宅街にあっていかにも不倫カップル(あるいは移行中の男女)風の客たちが集う小さな店で、仁科といい感じに食事を楽しんでいたところ、場違いな赤ん坊連れの母親が飛び込んできて...。ここまでお高いお店でなくていいのだが、せっかくのおいしい料理であればこれくらい堪能できたらいいかもと思える痛快な作品だった。

 2本目は、これが初読みとなった伊吹有喜さんの「夏も近づく」。祖母と母を看取った後、ひとり暮らしを続ける拓実のもとに、兄の克也が前妻との息子・葉月を連れて突然訪ねてくる。前妻は克也と離婚した後に別の相手と再婚していたのだが、その男性の連れ子との間で葉月が問題を起こしたのだという。そのため、寮のある学校への転入が決まるまで葉月を拓実のところに置いてやってほしいと頼みに来たのだ。心優しい叔父と孤独な甥の穏やかな同居生活を描く。現実にはなかなかこういう風に事は運ばないのではないかと思うものの、いちばん好きな一編だった。素朴な味わいの食べ物の描写が続く中でも、水出しのお茶が一段とおいしそう。

 井上荒野さんの「好好軒の犬」は、ご両親(お父上は作家の故・井上光晴氏)をモデルにしたと思われる夫婦の物語。革命家になろうとしながら現在は小説家となった夫・光一郎は、いわゆる「文士」のイメージに近い。「全身小説家」とも称される光晴氏と光一郎がどこまで似通っているのかはわからないが、この小説を娘が描いているというところに半端ではない凄みがある。"原稿用紙に清書する"や"魚屋さんで魚介類を買う"といった部分に時代を感じつつ(魚屋や八百屋などの店頭で買い物をすることはほとんどなくなってしまったが、やはりパック売りのものとはひと味違う気がする)、火事で焼けてしまったという好好軒のラーメンの味も気になるところだ。

 坂井希久子さんの時代小説「色にでにけり」は、江戸住まいで色に詳しいお彩が主人公。上方からやって来た謎の男・右近にその才能を見出されるという、サクセスストーリー的な作品。とある大きな茶会で出される上菓子を選ぶにあたって複数の店に競わせる選考会が行われるとのことで、右近を介してお彩は日本橋人形町の菓子店・春永堂へのアドバイスを頼まれる。和菓子の魅力を色どりから伝える切り口が、収録作の中でも個性的。最近ちょっと日本古来の色に興味があるので、そういう意味でも楽しめた。

 中村航さんの「味のわからない男」は、長らく低迷していた男性アイドルグループ出身の岩上を主人公に据えた、ブラックユーモアみのある一編(グループ名が『絶艶隊Ω』というネーミングセンスがたまらない)。現在は『泣きレポ(泣きながら料理を絶賛する食レポ)』によってまずまずの人気を得ている岩上は、売れなかった時代を支えてくれた大手芸能事務所勤務の平井と婚約しているのだが...。岩上自身は残念ながら好感の持てないキャラであるけれども、私も次に外食した際には彼のように泣いてしまうかも、とは思う。

 深緑野分さんの「福神漬」は、苦学生だった自分には身につまされる物語。主人公ほど切迫した経済状況ではなかったものの、"食べたいもの"より"安いもの"を優先してメニューを選んでいたことなど、経験した者でなければ実感できないリアリティが胸に迫ってくる。このままつらい感じで続くのかな...と思いながら読み進むと、意外な展開が。ふだんは率先してカレーに福神漬けを添えることはないけれど(かといってらっきょう派でもない)、久しぶりに食べてみたくなった。

 柴田よしきさんの「どっしりふわふわ」は、最近たまごサンドとフレンチトーストのおいしさを再認識した身には興味深く感じられた。一口にパンといっても、さまざまなタイプのものがあるとのこと。「膨らんでないパンを食べてる人たちが意外に多い」というのには驚いた。驚きといえば、本作にはサプライズ的な部分があるのだが...。でも、これが特別なことでもないような世の中になるのが望ましいと思う。

 シリーズ中のスピンオフ的な内容のものもいくつかあり、各著者のファンのみなさんは要チェックの一冊だし、それ以外の読者の方々もぜひ。もちろん人の心の機微がしっかり描かれているからこそいずれも魅力的な作品となっているわけだが、「食は大事」ということについても改めて実感させられた。いわゆる「飯テロ」本ともいえるので、要注意。ちょっとおやつ食べてきます。

(松井ゆかり)

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