【今週はこれを読め! エンタメ編】仕事と家族をめぐる短編集〜田中兆子『あとを継ぐひと』

文=松井ゆかり

 仕事と家族。この春新社会人になったばかり&現在就活まっただ中な息子たちのいる身には、見逃せないキーワードだ。そうはいっても私などは「会社の方たちとうまくやっていけるのだろうか」「オンライン面接って対面以上に緊張しないだろうか」とハラハラする程度のことしかできないわけだが、本書に出てくる主人公たちの場合は互いにより緊張感のある状況に置かれている。

 『あとを継ぐひと』は、6編からなる短編集。主要人物たちはさまざまな職業に就いている。元力士(現介護士)の息子を持つ理容師の父。代々麩菓子を製造する会社の四代目女社長(母は専務)。障害者雇用のさかんな会社に就職した元プロダンサー。"おじいちゃんの牧場を継ぐ"と言い出した息子に慌てるテレビ局職員。実家の老舗旅館で「若女将」として働きたいトランスジェンダーの息子とそれに猛反対する母親。一般事務職に就いている娘が最近何か悩んでいるのではないかと気をもむ会社員の父。こう並べてみるとかなりバリエーションに富んでいるし、めったにお目にかかれないようなシチュエーションも多い(私の身近には"親子ともども会社員"くらいしか見当たらない)。また、「あとを継ぐ」といっても、必ずしも一般的な親族間での後継者問題とは限らないことがおわかりいただけるかと思う。職場の先輩から後輩へ受け継がれるいわゆる引き継ぎも、後継者を育てるという意味では同じなのだと気づかされた。

 私がいちばん気に入った短編は、「サラリーマンの父と娘」。冒頭は、父親の健一が帰宅途中の最寄り駅で、同じく仕事帰りと思われる次女の美咲の姿を見かける場面。自宅とは反対方向の出口に向かう娘を尾行して1時間ほど(←たぶん思春期にやったら口もきいてもらえなくなるやつ)、スーパー2階のファッションフロアをふらふらしてから家に向かう美咲の様子を見ながら次々と「あんなことで悩んでいるのでは」「いやもしかしたらこんなことで...」と思いをめぐらす健一。滑稽といえば滑稽なのだが、自分が息子たちに向ける視線に通じるものがあり身につまされる。娘との関係を反省し、健一が思いついた美咲と自然に話ができるアイディアとは...。

 とにかく、あれこれと策を練る健一が微笑ましい。父娘の仲がどんなに良好だったとしても包み隠さず何もかも打ち明けているなどということはないだろうし、これまで父親との会話が少なかった美咲ならなおさらだろう。それでも時間をかけて話をするようになると、そのやりとりが自然と仕事の悩みの解決につながっていくことに。「若女将になりたい!」のように親と子で同業だったり、あるいは「わが社のマニュアル」のように血縁関係はなくとも同じ職場にいたりするのと違って、健一と美咲の場合はダイレクトに仕事上のアドバイスをしたり求めたりということはまずできない。それでも、会社という組織で働くことのしんどさあるいはやりがいについては、立場は違えどある程度共有することができる(美咲が「私もお父さんもサラリーマンだから、会社のこととか説明しなくても通じて、こうして話ができるから、いいね」と口にしたように)。

 仕事というのは実務そのものを教えるのがもちろん最重要なのだけれども、どのような思いを持って働くかといった姿勢なり情熱なりを次の人材や世代へ引き継ぐことが同じくらい必要になる場合もある。親や先輩が伝えたことが、引き継いだ子や後輩の内面に根付いて花を咲かせ続けていくのだとしたら、それこそを希望と呼ぶのではないか。であれば私も、「細かい業務内容などわからないから」「自分たちの時代と現代の就職活動は違うから」などと怯まずに、息子たちと仕事について話してみようと思う。

 本書の登場人物たちは誰しもがそれぞれに悩みを抱えているが、自分がどのように働いていきたいと思っているかをしっかり考えていることがうかがえる。どんな職業に就くにしても、そこがしっかりしている人間は強いに違いない。働くことの意義は生きることの意味といったものにも通じているのだと、再認識させられた一冊だった。

 著者の田中兆子さんは、(またしても)「女による女のためのR-18文学賞」出身作家ほんとにこの賞、受賞後も継続して活躍される率が高すぎじゃないですか? 素晴らしい。女性を描くことは他のジェンダーの人々に、仕事を描くことは家族を描くことに、さまざまにつながっているのだと強く感じました。

(松井ゆかり)

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