【今週はこれを読め! ミステリー編】"もう一人のサカキ"の外伝『Another エピソードS』

文=杉江松恋

「Anotherなら死んでた」

 そんな言い回しが、2012年にアニメ『Another』放映中に流行した。日常の中で起きるちょっとした失敗、たとえば足を滑らせて転んだり、放られたものを受け止め損ねたり、といった出来事が死に直結してしまう。綾辻行人の『Another』は、そんな具合にふとしたはずみに人が次々に死んでいってしまう不気味な現象を描いたホラー作品だった。それを他の場面に応用して「Anotherなら死んでた」と呟くわけである(用例:食パンをくわえて疾走中の少女が曲がり角で転校生に衝突。「いけない、Anotherなら死んでたわ」)。一説には、角川書店社長の井上伸一郎がtwitter上でそう呟いたのが起源と言われている。

 その『Another』に外伝作品が登場した。『Another エピソードS』、今回は前作の主人公・榊原恒一に代わってヒロイン、見崎鳴が中心人物となる。

 1998年、夜見山北中学校では3年3組の生徒が相次いで命を落とすという変事が出来した。その「夜見山現象」の発端から終結までが『Another』では語られているのだが、実は中学校の夏休み期間にあたる7月末、3年3組に属する見崎鳴は地元を離れて両親とともに海辺の別荘にやってきていた。彼女がそこで見聞した出来事を、『Another』の主人公であった榊原恒一に語って聞かせる、という形式で『エピソードS』は進んでいく。

 鳴はその地でもう一人のサカキ、賢木晃也と会っていた。晃也は、見崎家の別荘からほど近い場所にある〈海辺のお屋敷〉に一人で住む青年だ。彼は1987 年に夜見山北中学校の三年次に在学していた。ことによると晃也は夜見山北中で〈87年の惨事〉として語り継がれている災厄の当事者だったのかもしれない----そう考えた鳴は単身、〈海辺のお屋敷〉を訪れる。だが、時すでに遅く、晃也はこの世を去っていた。鳴が会えたのは生身の晃也ではなく、彼の〈幽霊〉だったのである。 

 前作では大量の死者が出たが、本書で描かれる死は1つだけ、しかも当事者がとっくの昔に命を失った状態で話が始まる。

 鳴に呼び込まれる形で榊原晃也は読者の前に姿を現すのだが、彼は自身が死んだときの記憶を完全に失っている。しかも、その死体すらどこかに隠匿されて行方不明になっているのである。

 自分はなぜ死んだのか。

 自分の死体はどこに隠されているのか。

 死者が自分を殺した犯人を捜す、というプロットの小説は意外に多く存在する。イギリスの作家ガイ・カリンフォードの『死後』、アメリカ作家J・B・オサリヴァンの『憑かれた死』(ともに早川書房。奇妙な符合だが両作ともに1953年発表である)あたりを嚆矢とし、日本でも有栖川有栖『幽霊刑事』(講談社文庫)を代表例としていくつかの作品が書かれている。それらの先行作と『エピソードS』の違いは、過去の出来事を探り続ける幽霊の動機が犯人捜しではなく、行方不明になった自分の遺体捜索にある点だ。

 屋敷を訪ねてきた鳴の助けを借りながら(鳴にはなぜか彼が見える)、晃也は探索を続けていく。特筆すべきは作品の静謐な雰囲気だ。誰もいない屋敷に一人で佇む晃也の姿は幽霊という呼び名がそぐわないほどに穏やかで、かつはかなげな印象を受ける。前作の次から次に事態が推移していく動的な展開を想起しながら本書にあたった読者はやや拍子抜けするかもしれないが、このさみしい感じがなかなか良いのだ。口笛を吹いて涙をこらえている感じ。鉄塔の上に座って、下界を見下ろしている感じ。そういう孤独な小説が好きな人なら、本書は必ず気に入るはずである。

 もちろん前作と同様で、作品世界の中には驚きの要素も含まれている。ミステリー作家として綾辻行人を好きな読者をも失望させることはない内容だ、と保証しておこう。

(杉江松恋)

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