【今週はこれを読め! ミステリー編】"何かが違う" 道尾秀介『鏡の花』の精密な技巧
文=杉江松恋
小学2年生の章也はバスに乗って自宅から離れた町へとやって来た。隣に乗り合わせたおばあさんから「偉いのねえ、ちゃんとバスん乗って。お母さんもお父さんもいないのに」と褒めてくれたが、章也は「二人とも、ずっと前に死にました」とそっけなく言った。
嘘だ。
嘘というか、お話だ。
章也はそんな具合にお話を作って、他人に聞かせる子供なのである。一緒についてきた姉の翔子には叱られた。まあ、当然です。
道尾秀介『鏡の花』の第一章「やさしい風の道」は、こんな風な出だしから始まる。章也がわざわざバスにまで乗って遠いところまでやって来たのは、両親には内緒でどうしても調べたかったことがあったからだ。他人にはわかってもらえない、心の澱。捨て置いて前に進んでいくことは難しい、喉にささった骨のような疑問である。それを解消するための小さな行動が「やさしい風の道」には描かれている。
次の「きえない花の声」の章では、十八年前に夫を亡くした女性・栄恵が主役を務める。息子の俊樹には、父親が冬の堤防をぶらついていたときの事故だと説明してある。しかし栄恵の中には誰にも他言していないこだわりごとがあった。小学二年生の章也がそうであったように、栄恵もまたその荷物を抱いたまま十八年という年月を黙って生きてきたのだ。心の蓋を開けるためには、やはり小さな行動が必要になる。
次々に主役は交代するが、どの章にも何かの秘密があるという構成は変わらない。『鏡の花』はミステリーというジャンルのみに収まる小説ではない。しかし、登場人物の背中を押すことになるものが小さな謎解きである、という構造はミステリーのファンも魅了するはずである。特徴的なのは、謎が解けたときに待ち受けているものがカタルシスだけとは限らないということだ。それはパンドラの匣を開けるような行為に近く、飛び出してきたものの意外さが、時として登場人物たちを、そして読者を戸惑わせる。しかし現実世界における謎解きとはそういうものだろう。
第三章の「たゆたう海の月」は結婚して長い年月が経つ瀬下夫婦の物語だ。彼らには一人の息子がいた。その息子の携帯電話からかかってきた通話が、意外な知らせを彼らに告げることになる。電話をしてきたのは、息子本人ではなかったのである。
この第三章を読んだあたりで、読者の頭上には疑問符が浮かぶはずだ。
あれ。
これ、何かが違う。
その疑問は正しい。そして次の第四章「つめたい夏の針」を読むと、絶対に第一章の「やさしい風の道」を見返したくなるはずだ。この、胸を騒がせるような物語の形式は、いったい何を意味しているのか。気になっても先を急がず、第五章「かそけき星の影」、そして最終章「鏡の花」と順番に読み進んでいってもらいたい。そこで初めて小説の全貌が明らかになるのである。ただし中央にスポットライトが当たるのではなく、各所に配置された灯りの照り返しによってぼんやりと浮かび上がるような形で。全六章で描かれた人生模様の数々は、決して無駄に配置されたわけではなかった。物語の最後では、それぞれの章にもう一度光が照射され、再び輝き始める。こうした構造美もまた楽しみどころなのである。
ミステリー・レビューとしてはやや抽象的な書き方になってしまったことをお許し願いたい。それだけ、精密な技巧をもって書かれた小説だということである。ぜひご一読を。
使用上の注意は一つだけ。あ、いや二つ。
一つめは、必ず最初から読んで最後まで読むこと。
もう一つは、何があっても道尾秀介という作者を信頼して読むこと。
以上です。ではよき読書を。
(杉江松恋)