【今週はこれを読め! ミステリー編】人類滅亡前夜の捜査行『地上最後の刑事』

文=杉江松恋

  • 地上最後の刑事 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
  • 『地上最後の刑事 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)』
    ベン H ウィンタース,Ben H. Winters,上野 元美
    早川書房
    1,760円(税込)
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 それまでに読んだことがない文章、見たことがない展開を目の当たりにすることがある。

 小説のページを繰っていて、この上もない快感を味わえる瞬間だ。ベン・H・ウィンタース『地上最後の刑事』は、そうした至上の喜びを与えてくれた作品だった。

 一種の終末小説である。直径数kmに及ぶ巨大な小惑星が発見され、それが地球と衝突するのが不可避であることが判明する。絶望の瞬間はわずか半年後だ。そのことが判った日から社会は機能を失い始める。アラブ諸国が石油の輸出を止め、国内のインフラも停止し始めた。職を投げ出し、残された時間を気ままに生きようとする者たちが増えるから、あらゆる場所で人材が枯渇し始める。略奪が横行し、流通が成り立たなくなる。自殺が増える。禁制薬物に手を出す者が後を絶たない。

 警察機構とて例外ではなく、機能不全すれすれのところでようやく組織を維持しているありさまだ。そんな中で、主人公のヘンリー・パレスはコンコード警察署犯罪捜査部成人犯罪課の刑事に就任するのである。

 物語の柱となるのは、とある変死事件だ。メリマック火災生命保険会社に務める計理士、ピーター・ゼルという男が縊死体となって発見された。誰もがそれを自殺だと考える。しかしヘンリーだけは違った。男が首を吊ったベルトは、高級店で売っているものだった。今から命を絶とうとしている者が、わざわざそんなものを買い求める気になるだろうか。しかもゼルの顔面には、数日前に負ったと見られる打撲傷の痕があった。殺人の可能性があると見て、ヘンリーは捜査を重ねていく。誰一人それを信じず、支持もしないというのに。

 ヘンリーのあくなき捜査行の果てに行き着く光景を読者に見せることを目的とした小説だ。中途で描かれる人間模様は辛く、やりきれない。残された時間を静かに過ごしたいと願う者がいる反面で、簡単に命を投げ捨てる者もいる。ヘンリーは捜査のかたわら、会う人ごとに訪ねて回るのである。あなたならどうするか。自分の命をどう扱うのかと。その問答の一言一言が重く、読者の心に銘記される。インタビュー小説としても出色の出来栄えである。

 ミステリーとしても美しい。自分の足で稼ぎ、自分の目で見ることを前提としてヘンリーが推理を行う点が素晴らしく、終盤に指摘される真相にはおおいに納得させられる。これこそ一人称のミステリーという観のある小説だ。ハードボイルド・ファンには1980年代に書かれたスティーヴン・グリーンリーフや、マイクル・Z・リューインなどの良作を思い浮かべてみてもらいたい。
 
 そして何よりも強調すべきことは、終末小説ゆえの問いかけが全体を覆っているという点である。間もなく世界は消滅する。そのときに一人の男の死が自殺であっても、殺人であっても、誰が気にするというのだろうか。そうした死に対する無感覚さと、ヘンリー・パレスは正面切って対決しようとするのだ。世界対個人の闘いと言ってもいい。旧いファンならばエラリー・クイーン『シャム双生児の秘密』を連想するだろうし、マイケル・シェイボン『ユダヤ警官同盟』などの「世界の終わり」を描いたミステリーをそこに加えてもいい。クイーンやシェイボンが描いたのは「誰か」や「ある集団」にとっての世界の終わりだったのだが、ウィンタースは絶対的な死、人類、あるいは文明の終焉を前提としてこの小説を書いた。小惑星の衝突によって破滅からは免れたとしても、後に広がるのは文明が失われた世界、コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』やマーセル・セロー『極北』などの作品で描かれた荒涼とした風景であるはずだ。その前に、一人の「探偵」であることはどんな意味を持つというのか。

 物語の終わり近く、ヘンリーは車を走らせていく。暗澹とした思いを胸に抱きながら。

 ──これからどうなるのか、どれだけ考えても考えはつきない。考えるのをやめられない。

 不安の時代の心境を代弁する作品である。読者はみな、ヘンリーとともに不安の車に乗って走ることになるだろう。誰もが「考えるのをやめられない」のだ。そういう作品だが、小説はふっと終わる。ヘンリーがある人の前で扉を閉ざすのである。突然閉じる。それこそ世界の終わりのように。

『地上最後の刑事』はアメリカ探偵作家クラブの最優秀ペーパーバック賞を受賞しており、作者の第6長篇である。訳者あとがきによれば、それ以前の作品には『高慢と偏見とゾンビ』(ジェイン・オースティン&セス・グレアム=スミス)のような古典マッシュアップ作品がある。それぞれ邦訳すれば『分別と多感と海の怪物』、『アンドロイド・カレーニナ』という題名になるのだそうだ。おそらくは才人であろう。そして技巧というだけでは解釈不能な感慨を読者に抱かせる作家である。本作は三部作の第一作にあたるという。続篇訳出をこれほど望みたい作品も珍しい。

(杉江松恋)

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