【今週はこれを読め! ミステリー編】タイの犯罪報道記者ジム・ジュリー登場!

文=杉江松恋

  • 渚の忘れ物 犯罪報道記者ジムの事件簿 (集英社文庫)
  • 『渚の忘れ物 犯罪報道記者ジムの事件簿 (集英社文庫)』
    コリン・コッタリル,中井 京子
    集英社
    957円(税込)
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 ジム・ジュリーは1年前まで「チェンマイ・メール」の犯罪報道記者だった。有能であり、もしかするとタイで2人目の上席犯罪報道記者の地位を獲得できたかもしれない。しかし今は、タイ南部の小さな漁村マプラーオでホテルの料理人兼洗い場担当として働いている。そのガルフベイ・ラヴリーリゾート・アンド・レストランは、名前こそ立派だがその実は倒壊寸前のおんぼろだ。当然客など来るはずもなく、いつも閑古鳥が鳴いている。

 ある日ジムは、飼犬のゴーゴーとスティッキー・ライスを散歩させている途中で人の生首を見つけてしまう。なんでも食べてしまうスティッキー・ライスを引っ剥がし、善良な市民としての報告義務を果たそうとするが、面倒くさがりの村長プーヤイ・ブーンはなかなか取り合ってくれない。ようようのことで警察が到着するも、死体回収を行うレスキュー業者(タイでは救急制度が整備されておらず、民間業者に託されている)の男たちの態度が非常に悪く、ジムの祖父で元警察官のジャーと一触即発の険悪な雰囲気になってしまうのである。おかげでジャーが、違法に拳銃を所持していることも判明した。やれやれ。

『渚の忘れ物 犯罪報道記者ジムの事件簿』(集英社文庫)は、タイ在住のイギリス人作家コリン・コッタリルが2012年に発表した長篇だ。コッタリル作品はこれ以前に、ラオス在住の74歳の検死官を主人公とした『老検死官シリ先生がゆく』、続篇の『三十三本の歯』(ともにヴィレッジブックス)が邦訳されている。ゆったりめの雰囲気が魅力であった前シリーズに比べると本書はアップテンポで、どこかジャネット・イヴァノヴィッチを連想させるスラプスティックな味がある。

〈ステファニー・プラム・シリーズ〉を引き合いに出したのは、ジムの家族もまたプラム家に負けず劣らずの曲者揃いだからだ。ジム自身のことは上に書いたとおり......だが、名前からは判りにくいけど女性である。34歳で離婚歴あり、なんとか犯罪記者として復帰することを夢見ている彼女は、生首事件を自分で追及することを誓う。そのために思わぬ陰謀のただなかに巻き込まれてしまうのである。彼女が職まで投げ打って住み慣れたチェンマイから見知らぬ地へとやってくることになったのは、元ヒッピーで時折突飛な行動に出る癖のある母親(通称はママ)を放っておけなかったからだ。それにつきあってマプラーオに移住してきたのは前述のジャーお祖父ちゃん(異常に偏屈で怒りっぽい)と弟のアーニーだ。アーニーは筋骨隆々の美丈夫だが、母親と同年齢の女性と婚約しており、悪い遊びにはまったく関心がないという堅物。ちなみにまだ童貞である。ジムにはもう一人、シシーというきょうだいがいるが、ただ一人母親には同行せずに自分の生活を守った。シシーはチェンマイの豪勢なマンションで引きこもり生活を送っており、その風貌と電子空間を操る能力ゆえにネット上の有名人なのである。

 ジムは大小さまざまの謎を同時に負うことになる。その中には既出の生首事件あり、ホテルに突然現われた母娘の素性を探るという案件あり、ママの寝室から夜な夜なベッドのヘッドボードが壁を叩いているとしか思えない激しい音が聞こえてくるという娘としては考えたくない一件あり。ハイテンポかつギャグも満載で楽しいのだが、背景にきちんとタイの社会事情が描き込まれていることに感心させられる。ご存じのとおりタイの首都バンコクではしばしば大規模なデモや軍事クーデターが起きて国際的なニュースとなる。そうした不安定な国情や、国内では政治経済と骨がらみのものとなってしまった人権問題の存在などが、プロットに活かされているのである。単に楽しいだけではなく、そうした側面を指摘する内容になっているのがさすがだ。登場人物の何人かは明らかにLGBTであり、その生き方がセクシャルマジョリティーとも対比される場面も随所にある。見かけはふわっと軽いが、それだけではない。理想的なユーモア・ミステリーなのだ。

 ちょっと気が早いが、ゴールデンウィークにタイ旅行を考えている人はお供にどうぞ。

(杉江松恋)

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