【今週はこれを読め! ミステリー編】心に鎧をまとった男の長い旅『マイロ・スレイドにうってつけの秘密』

文=杉江松恋

  • マイロ・スレイドにうってつけの秘密 (創元推理文庫)
  • 『マイロ・スレイドにうってつけの秘密 (創元推理文庫)』
    マシュー・ディックス,髙山 祥子
    東京創元社
    3,195円(税込)
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 子供のころ、一日には良いことと悪いことが同量含まれているのだと信じていた。いいことがあると悪いことも同じだけ起きる。それが世界の真理だと考えていたのである。だから、とびきりいいことがあった日などは、逆にこれはものすごく悪いことが起きる前触れなのだと感じて怯えていた。悪いことが起きるのではないか、と布団に入って目をつぶる瞬間まで気が気ではなかったのである。逆に悪いことが二つ起こった日は、なぜだか、これで明日の分まで済んだ、というような前向きな気分にはなれなかった。悲観主義者だったらしい。

 世界と向き合わなければならないときにはいくつもの決まり事があり、内なる声に耳を傾ける必要があった。それなしでは一人で立つことさえ難しかったのだ。こうした自分だけの秘儀を他人には話さなかった。逆に秘密が露見することを恐れた。自分がどのような規則を守って生きているかを知られたらおしまいだと思っていたのだ。

 マシュー・ディックス『マイロ・スレイドにうってつけの秘密』(創元推理文庫)を読んで主人公の生き方に触れたとき、理解できるとは言わないが、その道の一部は自分も通ってきたものだと感じた。マイロ・スレイド。職業は訪問看護師。彼には誰にも明かしていない秘密がある。内なる欲求と呼んでいるものが高まると、その声を無視することが難しくなってしまうのだ。なぜ彼はスーパーでジャムを何瓶も買うのか。なぜ定期的にカラオケバーに行ってネーナの「ロックバルーンは99」を熱唱しなければいけないのか。なぜ最新式の自動製氷機が付いている冷蔵庫を買わず、昔ながらの容器に水を溜めて冷凍庫に入れるタイプのものを選んだのか。すべては内なる欲求のためなのである。

 物語はマイロが妻・クリスティンと別居生活を送っているところから始まる。彼らは結婚して三年になるが、あるときから不意に、クリスティンが彼に強い苛立ちを示すようになったのである。しばらく距離を置きたい、という彼女の言葉を愚直に受け止め、マイロは一人で暮らすためのアパートメントを借りた。しかしそれもクリスティンの怒りを煽るだけだった。少し友達の家にでも行っていてほしいという意味だったのに、なぜ勝手に別居を決めるのか。そうなじられても、マイロには彼女の怒りをどのように受け止めればいいのかわからないのだった。それに別居には思わぬ利点もあった。普段はクリスティンにわからないようにやっている行為、内なる欲求を処理することが何の気兼ねなくできるからだ。

 そんな風に夫婦生活が危機に瀕しているとき、マイロは犬と散歩中の公園でビデオカメラを発見する。そばにあったビデオカセットを入れたバッグごと、彼はそれを持ち帰る。持ち主に返すことができたら、というぐらいのつもりでビデオを再生していくうちに、マイロは録画されている内容に魅了されていく。映っていたのは、一人の女性が過去を振り返り、もはやどうしようもない出来事を懺悔する姿だったのだ。

 一口で言えば、他人と共有できない心の不自由さを抱えた男が、自分と同じような哀しみを抱えた人のためになろうとする話だ。放置されたビデオカメラとカセットが何を意味するのかは物語の序盤ではよくわからない。第一に読者が感じるのは、マイロ・スレイドという主人公の危うさだろう。彼は自分という人間は絶対に他人には理解できないと信じており、真の姿を知られないよう、心にまとった鎧を外さずに生きている。夫婦の絆に亀裂が走ったとき、すぐに適切な手を打てないのもそのためだ。物語はマイロの側から行われるが、彼の態度を傲岸だと思う人がいてもおかしくない。そう決めつけられてもおかしくないほどに、彼の心を覆うものは分厚く、強固なのである。

 中盤、ビデオに保存された映像がどういうものかがだんだんわかってくるあたりから、その印象は変わり始めるはずである。マイロが鎧を脱がないのは、そうしないからではなく、できないからなのだ。彼の心がどういう風な働き方をするのか理解できたころ、物語は大きく動き出し、そこから長い旅が始まる。

 変則的な謎を扱ったミステリーでもある。序盤の段階では、何が謎なのかも皆目見当がつかないのである。どういう種類の謎なのか。解き明かすためにはどんな行動を取らなければならないのか。それが判明する瞬間が非常に遅いのが特徴で、ああ、そういう話だったのか、とわかったころにはすでに物語の折り返し点は過ぎている。引き込む力の強さに感心するばかりである。

 本書をお薦めしたいのは、誰に対しても真の意味では胸を割って話したことがないのに、自分のことを本当に理解してくれる者はいない、と考えているような人、そう、十代のころの私のような読者だ。寂しいのはだいたい自分のせいだとわかっているけど、それを認めるくらいなら死んだほうがましだ、と考えているような人、他人に向っておどけてみせるたびに心の傷が少しずつ深くなっていく人、家に帰って扉を閉めた瞬間、安堵の溜め息をついてしまう人。ひとりごとを言いながら散歩をする癖のある人。そんな読者にうってつけ。

(杉江松恋)

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