【今週はこれを読め! ミステリー編】探偵VS殺し屋夫婦の変幻自在ミステリー『アベルVSホイト』

文=杉江松恋

  • アベルVSホイト (ハヤカワ文庫NV)
  • 『アベルVSホイト (ハヤカワ文庫NV)』
    トマス ペリー,渡辺 義久
    早川書房
    2,934円(税込)
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 自分の右手と左手が勝手にじゃんけんを始めてしまったような感じ。

 トマス・ペリー『アベルVSホイト』(ハヤカワ文庫NV)の読み心地を喩えるとしたらそんなところだろうか。

 右手も自分、左手も自分。だからどっちをひいきするなんてありえない。だって両方に荷担したいのだから。この作品には二組のチームが登場する。どちらも夫婦である。シドニー(シッド)とヴェロニカ(ロニー)のアベル夫妻は元警察官で、とある特務班に属しているときに知り合った。警官の夫婦は、勤務のシフトが一致しなければ長い時間を共に過ごすことができない。だから二人は退職し、夫婦でできる仕事を始めたのである。すなわち、私立探偵だ。

 もう一方の主役はエドとニコールのホイト夫妻だ。ニコールはアリゾナ州の田舎町出身で、理想の男を探しながら十代の時間を浪費した。ようやくエドと出会ったとき、彼女は軍に入隊するための訓練キャンプにいた。ニコールが出会った理想の男は、幼いころから動物を殺すのが得意で、十八歳のときに初めて人を手にかけ、生まれ育った町を出奔したという生まれながらの狩人だった。二人は惹かれ合い、彼らの特技を生かした仕事を開始する。殺し屋である。ニコールにも、天性の狙撃手の素質があった。

 この二組がぶつかり合うのである。だから『アベルVSホイト』。アベル夫妻がある事件の捜査を引き受けたことから話は始まる。その時点から一年と一日前、インターセレロン・コーポレーションという企業に勤めていたジェイムズ・バランタインという研究者が頭を撃たれた死体として発見された。南カリフォルニアには珍しいほどの大雨が降るさなか、ごみで詰まった排水管に彼の亡骸も引っかかっていたのだ。長い間水に流されたために遺体からは証拠を発見することが難しく、捜査は難航した。さらに担当の刑事が事故死するという不幸も重なり、事件は迷宮入りしかかっていたのである。警察は別の視点で捜査を続けられる有能な探偵が必要だった。

 さっそく殺人現場の特定に乗り出したアベル夫妻を凶弾が襲う。彼らの車のフロントウィンドウを吹き飛ばした銃弾を放ったのは、他ならぬニコールのライフルだった。アベル夫妻が殺人事件の情報提供を求める広告を出したことから危機感を抱いた者がどこかにいて、彼らを雇ったのである。二組のプロによる死闘がこうして開始された。

 1947年生まれの犯罪小説作家、トマス・ペリーの作品が初めて日本に翻訳されたのは1984年のことで、本国では1982年に刊行されアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞を獲得した『逃げる殺し屋』(文春文庫)がその作品だった。そこから『メッツガーの犬』(原書刊行1983年)、『ビッグ・フィッシュ』(同1985年。以上、文春文庫)と邦訳が続くが、そこで途絶えてしまう。その後は1994年に『殺し屋の息子』(原書刊行1992年。福武書店ミステリ・ペイパーバックス)、1995年に『アイランド』(原書刊行1987年、文春文庫)と復活するがまたもそこから沈黙、2001年に『蒸発請負人』(原書刊行1995年。講談社文庫)が出たものの、それからはまったく音沙汰なしであった。今回の『アベルVSホイト』は、なんと17年ぶりの翻訳なのである。まさかもう一度トマス・ペリーが日本語で読めるとは。

 ペリー作品には三つの魅力がある。第一のそれはキャラクターで、本書の二組の主人公、アベルとホイト両夫妻の造形がまずいいのである。物語は双方のチームが交互に語り手を務める方式で進んでいくが、アベル夫妻が結婚して三十年が経ったベテラン・カップルなのに対してホイト側はまだ若々しく、互いの肉体を貪るのが唯一にして最高の趣味という年齢差や、元警官チームが比較的対等な関係でどちらかといえばロニーのほうが主導権を握ることが多いのに対し、殺し屋側は本能的に動くエドがリーダーである、というような対比が巧く効いている。

 第二の魅力は変幻自在なプロットだ。上に書いた内容紹介から、読者は両チームが命を賭して闘う活劇小説を想像されるだろう。前半はたしかにその通りで、探偵夫婦の家はたちまち突き止められ、襲撃を受けてしまう。狩人の襲来を避けながら捜査を続ける探偵チーム、という図式が出来上がるのだが、中盤以降はそれが変わっていくのである。

 ネタばらしになってしまうのでこれ以上は書けないが、探偵と殺し屋、立場こそ違うが同じように依頼人あっての商売であるだけに、その職業上の弱点を衝かれるような展開にホイト夫妻も巻き込まれていく。狩人がその立場に安閑としていられなくなるわけで、追う者と追われる者の双方が同じような危機に直面することになるのである。このうねりこそがトマス・ペリーの真髄である。ここでどうしても思い出してしまうのがデビュー作『逃げる殺し屋』だ。同作は、殺し屋と捜査官の両視点をカットバックで描いていくという形式をとりつつ、まったく予想外の結末へと読者を導いてみせた。追う者と追われる者の立場が固定されず、ぐらぐらと揺れ動きながら話が進んでいくあたりの興趣は本書にも似たものがある。自分の両手がじゃんけんしだしたら、きっと私もどっちに勝たせたらいいんだろう、と気持ちがぐらぐらするに違いない。

 そして第三の魅力が、奇妙なユーモアの感覚である。上にも書いたようにアベル・チーム、ホイト・チームのそれぞれに似たような災厄が降りかかるので、その場面を対比させてみていただきたい。変な風にねじれていく状況のおもしろさを書かせたらペリーは天下一品なのだ。さらに言うと、彼のユーモア・センスが端的な形で発揮されるのが小説の題名である。忘れがたいのは『メッツガーの犬』で、実はメッツガーというのは登場人物の一人が飼っている猫の名前なのだ。その猫が犬を飼っているから『メッツガーの犬』。なんだそれは、と思われるかもしれないが、本当にそういう話なので読んでもらうしかない。『アベルVSホイト』の原題はForty Thieves、つまり「四十人の泥棒」だ。そこから連想されるのはあのお伽話だろう。上で紹介したようにお話はねじれまくり、最後の最後にこの題名が納得できるような地点にストンと落ちてくる。題名の意味を理解したときの私の気持ちをぜひ想像してみていただきたい。やりやがったなトマス・ペリー、と笑うしかないのである。

(杉江松恋)

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