【今週はこれを読め! ミステリー編】少年の夏と秘密をめぐるサスペンス『白墨人形』

文=杉江松恋

 目を閉じればすぐ浮かんでくるのに、手が届かないほど遠いもの。

 それは過ぎ去った時間の思い出だ。C・J・チューダー『白墨人形』は、記憶の中に消しがたく存在する忌まわしい過去、誰とも共有することができない秘密について書かれた緊密なサスペンスである。

 物語は二つの時間を往復しながら進んでいく。2016年の語り手エド・アダムズが30年前の7月の、「この世界がスノードームなら、気まぐれな神様があの日どこからかやってきて、それを思いきり振ってから、また置いた」としても不思議ではない、決定的な一日のことをまず語り始める。1986年前の語り手を務めるのは、アダムズの30年前の姿、12歳のエディ・マンスターだ。言うまでもなくアダムズが本名でマンスターはあだ名。その日、彼は町にやってきた移動遊園地で、重傷者が出るほどの大事故に遭遇していた。エディは事故現場近くで、学校に赴任してきた教師、ミスター・ハローランと初めて出会う。白墨のような顔色が印象的な、痩せ細った男だ。

 エディにはごく親しい遊び仲間がいた。裕福な家庭の子で、最年少ながらボス然としてふるまうファット・ギャヴ、牧師の娘のニッキー、札付きの不良ショーンを兄に持つメタル・ミッキー、清掃員の母に育てられたホッポの4人だ。8月の初旬に開かれたファット・ギャヴの誕生会に、誰かがしょぼくれたプレゼントを持ってきた。バケツに入った色とりどりのチョークだ。遊び仲間たちはそれを使い、自分たちだけに通用する暗号を思いつく。たとえば棒人間の横に円が描いてあったら、誰々がグラウンドで待っているということである。この他愛もない思いつきが後年、悪夢の象徴のようにエディたちを責めさいなむことになる。

 物語は初めから不穏極まりない。プロローグではバラバラ死体がどこかに存在することが示され、続く序盤では前述のとおり移動遊園地で悲惨な事故が起きる。ワルツァーという回転遊具が破損し、一人の少女が顔面をえぐられるという大惨事である。だが、エド=エディの語りはゆるやかであり、記憶の核心に触れることを避けるかのように、自分の住むアンダーベリーの町やゴシップについて話し続ける。

 もちろんその中に悲劇の導火線も含まれている。2016年でいえば、町を出て広告業界で成功したらしいメタル・ミッキーことミッキー・クーパーが戻って来たことがそれだ。そして1986年では、ファット・ギャヴの誕生会でエディの父・ジェフが、ニッキーの父親である牧師を殴り倒すという思わぬ事件が起きる。作者はこうした出来事の意味をその場では説明せず、情景の印象が読者の中に十分沈殿したときを見計らって種明かしをするのである。こうした情報の遅延と、気になって仕方がないところで場面転換を行うという切れ場の技術を作者は駆使する。ページ・ターニングの魔術である。

 中盤に入ってからは登場人物の死が相次ぐ。そのさまは神が戯れに行った見立てのようであり、もしかすると事件全体に超自然的な力が働いているのではないか、という恐れの感情を読者は掻き立てられるはずである。本書帯には「スティーヴン・キング強力推薦!」と誇らしげに書かれているが、そのキングの『IT』を連想する人も多いはずだ。ただ、本作は意外なほど謎解き小説の作法に則って書かれており、先ほど挙げた情報遅延や切れ場の技巧についてもフェアプレイを守って用いられている。何が起きているかもわからないほど曖昧な物語が、少しずつ与えられる情報によって輪郭を明らかにしていき、最終的には意外な形へと変貌を遂げる。そうした形のミステリーをお好きな方は、間違いなく本書を読むべきだ。

 子供と大人の区切りとなる夏を描いた小説であることも強調しておきたい。エディたち仲良し5人組が子供のように振る舞えた最後の時間が物語の前半では描かれる。ニッキーは仲間の中で唯一の女子だが、それを気にせずに付き合えた間柄だったのだ。作者が巧みなのは、30年後の彼らを成功者として書かなかったことである。主人公のエドは、幼少期を過ごした家に戻り、町の高校教師として働いている。本人は否定するが明らかなアルコール依存症であり、下宿人として同居させている一回り以上も年齢の違う女性に恋慕の気持ちを抱いているなど、他人には言えない感情の固まりなのである。

 どこでどう間違えてしまったのか。
 自分が今こうあるのはどこかで道を選び損ねてしまったからだ。

『白墨人形』を読み進めていくと、主人公の悔恨の言葉が行間から浮かび上がってくるように感じる。残酷な出来事に満ちた1986年を、その答え合わせのために遡っているようにも思えてくる。

 今の自分が完璧だと自信をもって言える人は本書を読む必要はない。心のどこかで間違いの答え合わせを望んでいる人、できることならば自分の一部分を何かで上書きできたら、と考えている人こそふさわしい一冊なのだ。いや、間違いは間違いだし、上書きも絶対できないんだけどね。

(杉江松恋)

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