【今週はこれを読め! ミステリー編】足枷だらけの警察小説『影の子』がいいぞ!

文=杉江松恋

  • 影の子 (ハヤカワ・ミステリ1931)
  • 『影の子 (ハヤカワ・ミステリ1931)』
    デイヴィッド・ヤング,北野 寿美枝
    早川書房
    2,310円(税込)
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 いかに状況を宙吊りにするか。それがサスペンスを書くための条件である。

 では良いスリラーに必要なものは何か。足枷だ。一つでも多く、少しでも重い足枷を主人公につけさせたものがよいスリラーなのである。

 デイヴィッド・ヤング『影の子』に素晴らしい足枷を見たので上の文章を書いている。と書くとなんだかSM小説みたいだが、そういうわけではない。

『影の子』は英国推理作家協会(CWA)賞の歴史ミステリー部門であるヒストリカル・ダガーを与えられた作品だ。おもしろいことにヤングはこれがデビュー作であり、訳者あとがきによればシティ大学ロンドンのミステリ小説創作科(そんなものがあるのか)で修士号獲得するために書いたものなのだという。イギリスといえばエリス・ピーターズ〈修道士カドフェル〉やピーター・トレメイン〈修道女フィデルマ〉などの中世を舞台にしたものから、第二次世界大戦を舞台にした諸冒険小説のように、過去に題材を採った数々の作品を輩出した歴史ミステリーの本場である。ただし『影の子』で描かれるのは大英帝国の歴史物語ではない。本書の舞台はベルリン、それも冷戦体制下、1975年の東ベルリンなのである。

 東ドイツことドイツ民主共和国で思想統制の要となったのは国家保安省、通称シュタージである。苛烈な取り締まりで国民に恐れられた同組織については現在よく知られるようになったが、その恐怖が物語全体を支配している。すなわちこれが第一の足枷だ。

 政治や思想の絡まない一般的な犯罪を扱っていたのが人民警察内の刑事警察である。主人公のカーリン・ミュラーは、ベルリン人民警察の殺人捜査班班長で階級は中尉、国内では唯一の班を率いる立場になった女性の警察官だという。その彼女が1975年2月の早朝に異常な殺人事件の現場に呼び出されることから物語は始まる。

 そこは反ファシスト防護壁(東西ドイツを隔てる、いわゆるベルリンの壁)のそばであり、本来ならば国境警備隊の管轄内であった。壁は二重になっている。最初の壁と第二の壁の間は地雷源になっているという噂があった。侵略者に対抗するためだけではなく、祖国を抜けてファシストの国、つまり西ドイツに亡命しようとする非国民たちを吹き飛ばすための地雷である。

 殺されていたのは少女だった。ひどい損傷のため、顔面は潰されている。そして背中には銃撃の痕がある。状況からは、死者は西から東に、そう東から西ではなく、壁を乗り越えようとして警備兵に撃ち殺されたように見える。しかし、それはナンセンスだった。二つの壁を乗り越えて東側に到達した亡命者を遠い二枚壁の向こうから西側から狙撃することは果たして可能か。そして東側の国境警備隊が彼女を撃つ理由はあるのか。笑止千万の説明は国家保安省が作った表向きのものだった。現場に現れたシュタージの中佐、クラウス・イェーガーは、その筋書きを壊さぬように顔のない少女の素姓を突きとめるようにミュラーたちに命じる。

 主人公がシュタージの支配下に置かれる。その足枷に捜査は影響を受けざるをえない。しかも任務は犯人探しではないのである。場合によっては真相を葬り去ることになるかもしれない。しかし少女が生前に性的暴行を受けていたと知った後、ミュラーは命に背いて犯人を突き止めて罰を受けさせようとひそかに決意する。彼女自身の過去が犯人を激しく憎悪させたのだ。キャラクターの個人的な感情が足枷という状況に反せざるをえない、というのは冒険小説における定番の設定である。

 第二の足枷は主人公の個人生活そのものだ。彼女は既婚者であり、夫のゴットフリートは高校教師の職に就いている。しかし最近の彼は深刻な問題を抱えていた。生徒を正しく指導できなかったという理由により、しばらくの間ゴットフリートはリューゲン島にあるプローラ・オスト青少年労働施設に左遷されていたのである。家庭に問題を抱える若者のための政治的な強制施設だ。そこでの任期中に起きた何かが彼を変えてしまっていた。警察官の妻に政治的に正しくない夫の組み合わせ。これが主人公の足を縛るものでなくて何だろうか。家庭生活という逃げ場をミュラーから奪うためにこの設定はうまく機能している。

 そもそも、ミュラーが読者の前に初めて登場する場面だけでも私生活がうまくいっていないことは歴然としている。事件現場への呼び出しを受けたとき彼女は、前夜にウォッカを飲み過ぎたせいで夫ではない男と同じベッドで眠っていたのである。相手は部下であるヴェルナー・ティルスナー下級少尉だ。ティルスナーとの間に何があったのかはミュラー自身は覚えていないが、それもまた彼女にとっては小さな足枷になっていく。

「ここではない場所」での捜査を描いた警察小説の系譜がある。たとえばフィリップ・カーのベルンハルト・グンター・シリーズ第一作『偽りの街』がそうだった。ナチに支配されたベルリンの街での事件捜査を描き、話題となった。カーはグンター・シリーズの『死者は語らずとも』によってヤングと同じヒストリカル・ダガーを獲得している。近年の作品ではスターリン体制下のソ連で犯罪隠蔽に対抗しようとする刑事を主人公にしたトム・ロブ・スミス『チャイルド44』(新潮文庫)があるし、アメリカ作家マーティン・クルーズ・スミス『ゴーリキー・パーク』(ハヤカワ文庫NV)も同じ鉄のカーテンの向こう側で奮闘する、モスクワの警察官アルカージー・レンコを主人公とした作品だった。

 そうした先行作は警察小説であると同時に冒険小説の性格を色濃く示していた。『影の子』と同じである。それはやはり上記のような足枷の存在があるからだろう。犯罪捜査という使命に向き合おうとするとき、状況が壁となって主人公の前に立ちはだかる。それとの闘いが第二の、あるいは主たる使命となって主人公を動かすことになるのだ。

 本作では中盤以降に警察小説という枠組みからの逸脱が見られ、物語は大きく動くことになる。本国ではすでに二作の続篇が発表されているが、どういった方向に話が進んでいくのか興味をそそられる。というのも、本書の主人公カーリン・ミュラーは、社会主義の忠実な信奉者として描かれるからだ。シュタージの暴政や、東西ドイツの生活格差といった事実を目の前にしても彼女の信念はおよそ揺らぐことがない。これは「ここではない場所」の警察小説としては特筆すべきことで、彼女には自分のいる場所を外から見る視点がないのである。これが果たして後々変化していくのか、それとも愛国心という信念はずっと貫き通されるのか、そこもシリーズを通じての関心事となるはずだ。言い換えるならば、最後にして最大の足枷がカーリン・ミュラーの内にあるか否かという問題である。

 不気味に尾を引く終わり方といい、どうあっても先を読みたいという気持ちにさせてくれる良質のスリラーであった。これ一作で止めるなんて殺生なことを早川書房はしないように。

(杉江松恋)

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