【今週はこれを読め! ミステリー編】虚実入り混じる執筆牢獄小説『さらば、シェヘラザード』

文=杉江松恋

  • さらば、シェヘラザード (ドーキー・アーカイヴ)
  • 『さらば、シェヘラザード (ドーキー・アーカイヴ)』
    ドナルド・E・ウェストレイク,若島正,横山茂雄,矢口誠
    国書刊行会
    2,640円(税込)
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 これはミステリーというか、へんてこりんな小説である。

 若島正・横山茂雄責任編集の〈ドーキー・アーカイヴ〉は、よそでは絶対出なかったようなへんてこ小説ばかりを集めた叢書だが、その中でも群を抜いてへんだとお墨付きを出せる。おおざっぱに言えばこれは小説家が小説を書けない小説なのだ。変な言い方だが大丈夫、これで合っている。

 ドナルド・E・ウエストレイク『さらば、シェヘラザード』(国書刊行会)がその作品だ。

 小説は「ほんとならぼくはいま、ポルノ小説を書いてなきゃいけない」と主人公がタイプライターにむかって打ち込んでいる場面から始まる。おお、既視感。いったいこれまで何人がが同じ場面に遭遇してきたことだろうか。「ほんとならぼくはいま」と言いながらSNSで自分の名前をエゴサーチしている作家、「ほんとなら私はいま」と言いながら真っ白ないフォトショップの画面を睨んでいるイラストレーター、これはあなたがたのための小説だ。

 主人公が記すところによれば彼の名前はエドウィン・トップリス、ダーク・スマッフ名義でこれまで28作の小説を書いている。しかしその名前は自分自身のものではない。学生時代からの友人ロッド・コックスが作った筆名だ。ロッドは大学時代からずっと小説を書いていて、その名前でポルノ小説を書いて成功した。今はスパイ小説作家として売れっ子になったので、報われないポルノを書く必要がない。そこで旧友のエドに白羽の矢が立った。ロッドからダーク・スマッフを引き継ぐのは君だ、というわけだ。月にポルノを1冊、それで年間1万ドルが保証される。おっと言い忘れた。本書は1970年の作品、当時の1万ドルだから結構な収入になる。

 ちょろい仕事のはずだった。月に10日間だけ働く。1日のノルマは25ページで、それを10日繰り返せば250ページのポルノができる。現に28回同じことをやってきたのだ。だが、29回目の今回はどうしても手が動かなかった。読者を書店のレジに走らせる、劣情の炎というやつが湧き上がってこないのである。やむなくエドは埒もない文章を書き連ねていく。いつのまにか自分にとって退屈な存在になり果てた妻・ベッツィーへの不満、自分にろくでもない仕事を押しつけたロッドへの逆恨み、非情な態度で原稿を取り立てようとする代理人ランスへの憎悪、そして諸悪の根源であるエド・トップリスその人への嘲笑、韜晦、自己憐憫。それが習い性になっているのか、彼の吐き出す文章は決まって毎日25ページである。多くも少なくもならず25ページきっかり。ご丁寧なことに本書のも、1から25までのページ番号が繰り返す造りになっている(混乱を避けるために通しのページは別に振ってある)。

 つまり25ページで繰り返される牢獄の中に囚われた男の話なのだ。そこから脱獄を図る話とすればミステリーっぽくはないかな。駄目か。いや、一応話の後半で事件は起きるのである。10日間の執筆牢獄から脱出しようとした男がいかなる事態に巻きこまれるか、というのは読んでのお楽しみ。しかしそれはあくまでおまけに過ぎない。本書の読みどころは、タイプライターに向って延々と物語を産みだそうとする男が、いつの間にかその中に飲み込まれ、虚構と現実の境が曖昧な幽明境の中で、自分がなぜ小説を書けないのか、小説家としてはなぜポンコツなのか、そもそも小説を書くなんて仕事は、と傷口をつつくような語りを続けるところにある。小説書きという道に踏み込んでみたらそこが人生の隘路であることを発見してしまった。だからといっていまさらどうすればいいのか。

 書いていて胃がきりきり痛くなってきた。おわかりのとおりメタフィクションの要素が強い作品なのだが、現実と虚構がどのように入り混じるのか、についてはかなり自虐的だ、ということだけは書いておきたい。ドナルド・E・ウエストレイクは1960年に発表した犯罪小説『やとわれた男』(ハヤカワ・ミステリ文庫)でいわゆるメジャー・デビューを果たし、以降2008年に亡くなるまでアメリカを、いや世界を代表する犯罪小説作家であり続けた。しかし雌伏期には彼にも書いて書いて書きまくらなければならなかった時代があり、そのころにはポルノだって手掛けていたのである。1960年代にポルノ・ペイパーバックを書いた作家・作品の貴重なレファレンスであるSIN-A-RAMAには、巻末にポルノ作家の筆名と正体を明かした索引がついているが、そこにもちゃんとウエストレイクの名前は載っている。本書は彼が、売れる前の苦労を思い出し、あのころはこうだったこんちくしょう、と私怨をぶつけまくって書いた疑似自伝でもあるのだ。

 したがって自己言及の度合いもはなはだしく、ウエストレイクファンなら笑わずにいられないような小さなギャグが随所に仕込んである。もともとウエストレイクはその手の楽屋落ちが大好きで、天才泥棒ドートマンダーものの『ジミー・ザ・キッド』(1974年。角川文庫)では主人公たちがリチャード・スタークという作家の『悪党パーカー/誘拐』という小説をお手本に犯行計画を立てるという場面が出てくる。これは何が可笑しいのかというと、スタークはウエストレイクの別名義で、〈悪党パーカー〉はその看板作品なのである。

 ウエストレイクは1967年の『我輩はカモである』(ハヤカワ・ミステリ文庫)でMWA賞(エドガー賞)最優秀長篇賞を獲得している。だからクライム・コメディの印象が強いのだが、その作品には1964年の『憐れみはあとに』(ハヤカワ・ミステリ文庫)から始まるサイコ・サスペンスの系譜もある。就職希望者が同じ会社に願書を送った競争相手を次々にぶっ殺していく『斧』(1997年。文春文庫)、どうしても自分の小説を世に出したい作家の歪んだ夢の話『鉤』(2000年。同)などの尖鋭的作品の先駆けになったのが本書でもある。読んで狂気に飲み込まれろ。そしてちゃんと〆切は守れ!

(杉江松恋)

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