【今週はこれを読め! ミステリー編】一人の女性の人生を描く『あなたを愛してから』に興奮!

文=杉江松恋

  • あなたを愛してから (ハヤカワ・ミステリ1933)
  • 『あなたを愛してから (ハヤカワ・ミステリ1933)』
    デニス・ルヘイン
    早川書房
    2,160円(税込)
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 え、え、え、どうすんの、どうすんのっ。
 デニス・ルヘイン『あなたを愛してから』(ハヤカワ・ミステリ)を興奮しながら読んだ。とてもとても興奮した。

 ミステリーとして、という限定条件を入れなくても十分おもしろいのである。この人は最近大河小説作家っぽくなっていて、本書でも第一部で三十年がやや早回しで流れたあと(主人公が生まれてからの歳月)、第二部に切り替わって現在の五年が通常時間で再生される。当然だがそこで出て来る人間も切り替わるので、登場人物表も最初ではなくて各部の頭に付されている。そんな具合に一人の人生がじわじわと描かれていくのだ。後でも書くとおり語り口が物語の先を絶対に悟らせない巧みなやり方なので、長い話だけど読みだせばすぐに没入してしまう。だから、小説のプロローグがこんな一文から始まっていたということなど、完全に忘れていたのだった。何の気なしに戻ってみてたいへんに驚いた。


----ある五月の火曜日、三十五歳のレイチェルは夫を撃ち殺した。夫は奇妙な確信を顔に浮かべてうしろによろめいた。まるでレイチェルがそうすることを、最初からどこかで納得していたかのように。


 かのように、じゃない。どうすんの、どうすんの、これっ。

 ページを戻してこの冒頭に気づいたとき、私は全体の三分の一が経過したあたりを読んでいた。主人公が二十一歳のときにちょっとしたことで関わりを持った人物と十年ぶりに再会し、バーに入るという場面だ。こんな風にさりげなく彼らがどんな世代に属しているかをルヘインは描き出す。


----ドアをくぐったとき、ジュークボックスからはトム・ウェイツが流れていて、酒を頼むころに曲が終わり、次にアルバム『パブロ・ハニー』時代のレディオヘッドが流れてきた。トム・ウェイツの曲に時代の違和感はない。ベスト曲のほとんどは彼女が生まれるまえだからだ。それに対して、レディオヘッドがどこでもかかっていた自分の大学時代にオムツだった人たちが、いまやバーで合法的に酒を飲んでいると考えると、どれほど計算上は正しくても、ショックを受けずにはいられなかった。


 レディオヘッドの『パブロ・ハニー』リリースは1993年である。だいたい頭の中で計算していただきたいが、そういう世代ということだ。大河小説は背景に描きこまれた風俗を足掛かりに前に進んでいくところがあるので、そこがお粗末だと読む気が失せてしまう。そういう部分はほぼ完璧だ。ちなみに『あなたを愛してから』という邦題はSINCE WE FELLという原題の雰囲気を活かしたもので、さらにそれはレニー・ウェルチが1963年に吹き込んだ甘い恋愛歌Since I Fell for Youから採られている。作中でこの曲に合わせて主人公のカップルが踊っていて「え、この曲で踊る人がいるの」みたいに友人が怪訝な顔をする場面がある。まあ、本当に踊るような曲調ではないので、暇な人は各自調査して聴いてもらいたい。そういう、話の筋とは関係ないところでちょっとなごませるようなくすぐりも、ルヘインは楽しいのである。まあ、サービス満点だこと。

 第一部の話は、大学一年生になったレイチェル・チャイルズが自分の「生物学上の父」を探すところから始まる。彼女の母エリザベスは、レイチェルがごく幼いときに夫と離婚し、文字通り自分たちの人生から消し去ってしまっていた。だからレイチェルは彼と過ごした記憶がまったくないし、名前がジェイムズだということしか教えられていない。フルネームも知らないのである。レイチェルが十六歳の誕生日を迎えたらそれを教えてもらえるという約束を母親との間で交わしていたが、それは彼女が起こした若気の至りとも言うべき騒動でおじゃんになった。その後も幾度かそういうことがあり、母親が交通事故で急死してしまうまで、約束の遂行は延期されたままだったのである。日記の中でエリザベスは「ジェイムズはわたしたちに向いていなかった。わたしたちも彼に向いていなかった」と書き遺していた。

 このジェイムズ捜しが最初の眼目となって話は進んでいく。わずかな手掛かりからそれに取り組むレイチェルだが、杳として進まない。ジェイムズじゃなくてもっと変な名前だったらやりやすかっただろうに。たとえば松恋とか。読者へのサービスが抜群だと思うのは、ルヘインがこの話題を引っ張りすぎず、ほどよいところで答えを示すところである。よし、わかった。大丈夫。ところがそれで終わりではなく、新たな問題が浮上してくる。レイチェルの人生に不足している欠片を探す旅はなかなか終点にならないのだ。

 この第一部で、彼女の肖像が完全に浮かび上がっている点に注目していただきたい。いちばん欲しいものが常に与えられず、いつもそれを探している女性なのである。彼女は後に報道の世界に入ってキャリアを積み上げていくが、そこでも欠けているものを自覚してしまったために憔悴感にとらわれることになる。三つ子の魂百まで。こうした性格上の特徴を物語の縦線として読者に納得させる機能も第一部には備わっている。それが十分に発揮された時点で、本題にあたる第二部の物語が始まるのだ。

 レイチェル・チャイルズがパニック障害の発作を起こすようになる、ということだけは書いておいてもかまわない。それは物語の本筋とは違うのだが、世界に対する不安、周囲の人間に感じる恐怖といった要素が彼女にはずっとつきまとうことになる。報道レポーターとしての節目は2010年のハイチ大地震取材によって訪れる。歴史上の大事件と作中人物の絡め方をいかにするかという問題は二十一世紀という不安定な時代を生きるものにとっては大きな課題だが、ルヘインもそこには自覚的だ。2001年のニューヨーク、2011年の東日本といった大事件を描いた作品に関心を持つ人にとっても本書は興味深く読めるものになるだろう。世界と自分がうまく同調・同期できないという悩みを抱えている人に、レイチェルの場合はこうなんですよ、という回答例を示す小説ということもできる。

 さて、冒頭の一文に感じた、どうすんの、どうすんのっ、という気分はその後もまったく解消されることがなく結末近くにまで至るということをご報告しておきたい。彼女の肩口から覗く世界は、ひどく危なっかしく、嬉しい出来事のあとに予告もなく大きな悲しみが訪れるようなものに見える。そんな中で一人の女性がどう生き抜いていったか。そこに興味を覚える方は、ぜひこの長大な小説に最後までお付き合いいただきたい。

(杉江松恋)

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